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「ご飯の友」と疎遠になった 奥田英朗

 わたしが腹八分目という教えを受け入れたのは大人になってからで、十代の頃は、毎晩、腹いっぱいになるまで、パワーショベルの如(ごと)くご飯をかき込んでいた。食べ足りないという状態は、わたしに落ち着きを失わせ、何か損害を被ったような気にさせた。夜中に腹がすくのはこの上ない恐怖で、なんとしても避けなくてはならない事態であった。早い話が、食い意地が張っていたのである。

 ただ、いくらご飯を三膳食べるとしても、三膳分のおかずが供されるわけではない。家族の晩餐(ばんさん)はいたって平等で、わたしだけハンバーグが大きくなったりはしなかったし、秋刀魚(さんま)はいくら見つめても秋刀魚のままだった。そこで青少年が考えることと言えば、決まっている。少量のおかずで、いかに大量のご飯を摂取するかである。

 ウスターソースを十分に染み込ませたとんかつ(前回参照)をひと切れかじると、間髪を入れず、ご飯を口の中に入れられるだけ入れ、怪獣のように咀嚼(そしゃく)する。よく噛(か)んで食べなさい、なんて聞く耳は持たなかった。要するにエネルギー補給。喉(のど)を通ればよい。一人前のおかずで三人前のご飯を食べる所業は「芸当」と呼んでいいレベルで、もしその手の大会があったなら、わたしは表彰台に立っていたのではないかと思う。

 さらには、おかずがなくなると、ふりかけやら、海苔(のり)の佃煮(つくだに)やら、生卵やらで、もう一膳食べていたことも忘れてはならない。いわゆる「ご飯の友」は、わたしの友でもあった。タラコなんてあった日には何膳でも食べられる気がしたし、べったら漬け二切れでも一膳行ける自信があった。ほぼスポーツ。米食偉大なり。パン食にそのようなどか食いの娯楽性はなかろう。

 そうそう、ご飯は味噌(みそ)汁をかけても食べていた。最後の一膳として、定番中の定番。今、公共の場でそれをしたら、周りは凍り付くだろうなあ。日本人はすっかりおとなしくなった。

 ところで、近年のわたしは「ご飯の友」とすっかり疎遠になった。量を食べられなくなり、ご飯はいつも一膳だからである。おかずを口に入れ、それに見合う適量のご飯を摂取すると、それで一膳は終わる。だから友人たちの出番はなし。タラコなんか今でも大好物で、表面を軽くあぶって熱々のご飯にひとはら載せ、豪快にかき込んでみたいのだが、それを一膳やってしまうと、ほかが何も食べられなくなり、バランスのとれた食事ではなくなる。ご飯は二膳くらいがスタンダードだと、最近になってつくづく思う。わたしはもう食の現役選手ではない。

 最後の晩餐は、ご飯にタラコかな。まったく手間のかからない人間に育ったものである。=朝日新聞2020年2月15日掲載