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「食福」の子 二宮由紀子

 「口福」とは何とも美しい言葉です。まろやかな幸せの光が内に輝いて、まるで神の恩寵(おんちょう)のような。と書いて思い出したのは十数年前にスペインで見た風景。その年は日本語の文字デザインが流行し始めた年で、前を歩く素敵な女性のスカートのプリント模様の中に「福」の字が見えたので、つい目を凝らすと、「福」の下に「神」が、さらに下に「漬」が……という話は、ま、置いとくといたしまして。

 「食福(くいぶく)」という言葉があります。「口福」に較(くら)べるとビジュアルといい、音の響きといい、かなりの落差が感じられますね。私は幼少期から、この「食福」のある子だと言われて育ちました。たとえば、お友達の家に行くと、ちょうど上等のお菓子が届いてご馳走(ちそう)になるとか、お料理屋さんで「今日はちょっと、これも松茸(まつたけ)入れてみたんです」とか。要は、期せずして美味(おい)しいものに恵まれる運を指します。

 とはいえ、私は自分の家族以外に、この言葉を使う人に会ったことがない。誰か冗談好きの親戚の造語だったらいけないので、いま急いでネット検索すると、「くいふく」とか「くちふく」という言い方もあるみたいですね。なるほど。そのほうが少し品はいいかな。

 ともあれ食福に恵まれた私が物心ついて最初に「好き」と明言した食べ物はウニとジュンサイでした。「この子は佳(い)い酒呑(の)みになる」と父は目を細めたものの、そのうち私の嗜好(しこう)がプリン、ババロア、ゼリー……といった分野で深まるにつれ、私の食通としての地位は低下し、「この子はなんかぺちょぺちょしたモンが好き」との評価に落ち着くわけですが、しかし食福の威力は衰えることなく、おかげで出会えたとしか思えない立派な友人知人もいます。

 Kさんもそのお一人で、知的で華やかなグルメ通。母上はさらに輪をかけた美食好みで、かつ生粋の京女らしく日常の所作も美しい、厳しい方だったと聞きます。晩年に病を得られて子らが集まると、母上も少し元気になられたので、ご贔屓(ひいき)の店のお鮨(すし)をとって皆で一緒に、ということになった。電話をと立ち上がるKさんの袖を母上はつと抑え、しっかりした声で、こう念を押されたそうです。「上(じょう)にしてや」

 注文の電話が無事終わると安心されたのか、母上はそのまま静かに息を引きとられました。「上にしてや」は、悲しみの家族に遺(のこ)された、母上の人生最後の言葉となったのです。

 毎週この欄を特に楽しみに読まれてる皆さまへ。もし最期くらいは子や孫に人生訓の一つも垂れたいとの野心をお持ちなら、ゆめゆめ油断は禁物です。=朝日新聞2020年3月7日掲載