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「新しい目の旅立ち」書評 ありのままのこの世界こそ神秘

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2020年03月21日
新しい目の旅立ち (ゲンロン叢書) 著者:プラープダー・ユン 出版社:ゲンロン ジャンル:小説

ISBN: 9784907188344
発売⽇: 2020/02/07
サイズ: 19cm/253p

新しい目の旅立ち [著]プラープダー・ユン

 聖なるものとは何か。神秘は存在するのか。その問いを胸に、著者はフィリピンのシキホール島へ行く。黒魔術の島とも呼ばれるここでなら、誰かが真実を教えてくれるかもしれない。
 タイやアメリカの都市部で育ったユンは、都会風の暮らしにも、逆に自然に帰れと叫ぶ人々にも違和感を感じていた。もちろん、環境を犠牲にしてまで人生を楽しむ気になどなれない。だが地球を守るために、現代文明を破壊し尽くすのも違う。
 大きな疑問で頭がいっぱいの彼を島で迎えてくれたのは、まったく予想外の人々だった。ベイルートの日本人学校で教師をしていた原田淑人(としと)さんは退職後、ここでリゾートを開き、観光客の世話をしながら地元の学校を回り、積極的に寄付をして、まさに島の人々と共に暮らしていた。
 そして伝統医を紹介してくれたエドウィンは、島の文化を深く理解しながら、
親戚を頼って、いつかアメリカに移住しようとしていた。この美しい島での暮らしは貧しい。だが外国でなら、いつかダンサーになるという夢もかなうかもしれない。
 彼らと時間を過ごすうちに、ユンの中で何かが変化する。原田さんがこの島に来たのは、都市を呪い自然の中で孤立するためではない。むしろ人々に、ほんの少しでも多くの選択肢を与えるためだ。そしてエドウィンにとっては、古代からの神秘よりも、より満足できる生活のほうが大事だ。
 この世界のどこかにまだあるはずの真実を探したい。こうしたユンのロマンティックな想いは、彼らの暮らしや笑顔に触れるうちに崩れ去る。そして彼は悟るのだ。今ここにあるもの全て、原田さんも自分も、都市さえも、かけがえのない神秘ではないか。
 かつてスピノザは、ありのままのこの世界こそが神であると語った。その言葉に突き動かされてユンは、どんな小さなものも慈しむ、新たな目を手に入れた。
    ◇
Prabda Yoon 1973年、バンコク生まれ。作家、デザイナー。著書に『鏡の中を数える』『パンダ』など。