来月の今ごろには、すでにもう母になっているかもしれない。
そう考えると、なんだか不思議な気分である。酷いつわりも、あまり自由がきかない身体も、昼夜を問わず「ドンドコドンドコ」と動く胎動も一通り経験し、ベビーベッドや新生児用の服を購入するなどして、母になるためのステップを一歩一歩進めてきたのだけれど、それでも自分が母になるということに、まだきちんとした実感が持てずにいる。お腹の中で元気に生きている(はずの)、まだ見ぬ「娘」(一応診察では性別は娘と告げられた)。彼女は、ドデンと私のお腹に「逆子」の状態でいる。それは、およそ30年前にこの世に生まれてきた私自身と同じような感じ。母のお腹を切ってまで生まれてきた私に、さっそく似ているのであった。
母は、私を25歳のときに産んだ。
専業主婦だった母は、私の面倒を付きっきりでみてくれた。一人っ子の私は、たっぷりの愛情をもらいながら育てられた。父の仕事の関係で、幼い頃に数年間ロシア(当時はソ連!)に家族で住んでいたのだが、母は食材を工夫しながら和食を作ってくれたり、ダンボールで手づくりのママごとセットを作ってくれたりした。そして、長期休暇には、家族3人で欧州各国へ旅をした。すべてを覚えているわけではないのが非常に惜しいのだが、まぁ、その頃から旅好きな一家だったとは思う。
日本に戻ってきて、思春期を迎えて、人並みに反抗期はあったと自覚している。母に叱られることも多々あったし、逆に母を傷つけたこともあった。それでも母は母で、いつも私の一番の理解者であり続けてくれたと思う。そのことに気がつくのには、随分と時間がかかったが、今こうして自分自身がいよいよ母になるということで、より一層、その有り難みと重み、その覚悟と強さを感じる。
太田篤子さんの『母とヨーロッパへ行く 母+娘=100歳〜の旅』(講談社)という本を見つけた。太田さんは、自身が40代前半、お母様が60代後半だった2009年から年に一度、約1週間のヨーロッパ旅行に行くことを恒例行事としているそう。その母娘旅の記録と、服装や持ち物など母娘旅のためのかなり具体的なアドバイスが書かれている。
毎年、一週間の旅から戻った翌日、ときには帰りの飛行機の中でさっそく次の年に行く旅先の相談を始めるくらい、わたしと母にとってこの母娘旅は生きがいのようなもの。この一週間のために、一年の残りの日々をがんばっているといってもいいくらいです(笑)。(38〜39ページ)
今の自分が、完璧とは言えないけれど仕事人としても家庭人としてもなんとかやれていて、人を愛して大切にできる人間になれて、なにより幸せに生きているということは、親のおかげだな、本当にありがたいことだな、とあるときすとんと腑に落ちたのです。母も完璧ではなかったけれど、一生懸命、母なりの愛情を持って育ててくれたのだと、四十歳近くになってやっと思えるようになりました。それがこの母娘旅のはじまりでした。(140ページ)
私自身、母と二人きりで旅をしたのは、10年前のスペイン周遊、6年前に北欧を巡った2回だけ(母曰く、幼少期にイタリアにも母娘旅をしたことがあるらしいのだが、私は覚えていない)。
どこに行って、何を食べて、何を話したか。日記を残していなかったので、記憶もぼんやりとしてきてしまったが、メモリーカードに残る写真を見る限り、私も母も若々しくて、はしゃいでいて、とても楽しそうだ。お互いの残された時間を考えると、あと何回元気に母娘旅ができるのか分からない。今はお腹にいる「娘」の子育てがひと段落したら(いや、しなくても?)、また母とゆったり旅に出てみたいなぁ、語り合いたいなぁ、それが親孝行になればいいなぁ。本を読みながら、今はそんな風に思っている。