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藤森かよこさんインタビュー 馬鹿ブス貧乏で低スペック女子の成れの果てが教える実践的サバイバル術

文:吉川明子 写真:斉藤順子

馬鹿ブス貧乏で一番問題は馬鹿

 もしも自分のことを「馬鹿ブス貧乏」と言われたなら、当然のことながらいい気はしないだろう。たとえ、多少なりとも思い当たるところがあったとしても、「はい、そうです」と認めづらいものがある。ちなみに本書には「馬鹿」が197回、「ブス」が154回、「貧乏」が129回も出てくる。ページをめくるたびに「あなたは馬鹿だから〜」などと言われ、「あなたはありのままでいい」なんて心地良い言葉をかけてくれることは絶対にない。

 本書は37歳までの「青春期」、65歳までの「中年期」、死ぬまでの「老年期」という三部構成になっている。そこには藤森さん自身がもがき、悩み、試行錯誤しながら獲得していった、生きる術がぎっしり詰まっている。ただし、厳しい現実に直面して苦労してきたからこそ、アドバイスも生半可なものではない。

 例えば「青春期」では、「本格的ブスは美容整形手術を受ける」「ブスで馬鹿で貧乏だと性犯罪にあいやすい」「ポジティヴ・シンキングは危険」、「中年期」では、「中年期は苦しい」「人生に突然の飛躍や覚醒はない」などと夢も希望もない。しかし、じっくりと本文を読めばわかる。そこには自分と同じ「馬鹿ブス貧乏」な女子たちに真摯に向き合い、少しでも人生が生きやすくなってほしいという藤森さんの愛ある気持ちが滲み出ていることを。

 しかし、なぜ「馬鹿ブス貧乏」という“三大低スペック”に着目したのだろうか? 本書の「長いまえがき」で、藤森さんは自らを、「賃金労働をしなければ食っていけないし、大不況や預金封鎖などの社会的経済的大変動があれば、すぐに食い詰めてしまうという意味での貧乏」で、「顔やスタイルで食っていけないブス」で、「一を聞いて一を知るのが精一杯。学校の勉強もできなかったし、地頭がいいわけでもない」と評している。

 「馬鹿ブス貧乏の中で一番問題なのは馬鹿です。みんな自分が賢いと思っていてもほとんどが馬鹿。でも、人には能力の差はあるのだからそれは仕方がない。そして女性にとって容貌の差は圧倒的で、特に人生初期の段階では人生を左右します。誰にでも魅力があるとか、誰でもきれいになれるなんて世迷い言があるけど、結局どんな工夫をしたって大差ないのだから、容貌の差も認めざるを得ない。貧乏だって資産家に生まれたのならともかく、ほとんどの人間は一生賃金労働をしないと食べていけないのが現実。だったら、自分で自分をきちんと査定して、どう生きていくかを考えないと」

低スペックの自分を認めて前進するしかない

 大人になるにつれ、自分が平凡な人間で、特に容姿に優れているわけでもなく、地頭もそんなによくないということが見えてくるシビアな現実。そんな時、書店に数多ある自己啓発本や、成功を目指すビジネス本などに手が伸びてしまいそうになる。

 「ビジネス書なんて成功ものばかりでいくら読んだって、参考にならないですよ。私も若い頃はそんな本をいろいろ読んだけど、本当の意味では役に立っていない。カラ元気をつけるための覚醒剤みたいなもので、つい夢を見ちゃうんですよね。自己治癒活動や現実逃避としてファンタジーの中に逃げ込む時があってもいいのですが」

 藤森さんが「馬鹿ブス貧乏」という低スペックの自分を認めた上で前進するしかないということに気付いたのは、将来の進路について考える15〜16歳の頃。自分で働いて稼いで食べていくために、なんとか自分が就けそうな職種は教員と目星を付けて、進むべき大学を決めたという。

 「自分が『馬鹿ブス貧乏』って認めると気楽になるし、言い切っちゃったほうが楽なんですけどね。認めたところで人生捨てたことにはならないし、それなりに充実させることだってできます」

 それでもそんな現実をなかなか受け入れられず、苦悩している人は多いのではないだろうか。藤森さんはその原因として、自分の人生に信頼を置くことができないからだと分析する。

 「たとえ馬鹿でも、自分で逃げないでやってきて小さい成功体験が積み重なると自信がついてきます。それに、誰も他人のことなんて褒めてくれませんよ。人はみんな自分の人生で精一杯なんだし。要領悪くとも、なんとか生きてきたのを知っているのは私だけで、私が自分で認めてやらなければ誰も認めてくれません。他人が認めてくれなくてもどうってことありませんが」

 本書では、自分のことは棚に上げて他人や社会のせいにしてもいいのはせいぜい37歳までで、それを過ぎればいくら馬鹿でも自分にも他人にも言い訳ができなくなる。だからこそ中年期は苦しいと指摘する。ただ、それでも覚悟を新たにして、自分なりに努力を積み重ねれば生き抜ける。女性にとって中年期とは、「オバサン」と呼ばれることに耐え、それに慣れ、ついには何も感じなくなる過程だと。

 「下手したら90歳くらいまで生きるんだから、折り返しは45歳。もし先行きに不安を感じていたとしても、それは妄想であって、現実に起こっていないことでしょう? 40も半ばになったら人の目も気にならなくなるから、自分のやりたいことに挑戦するにはすごくいい時期。45歳ってちょうど分かれ道で、ここから頑張って能力が伸びる人と、ここでストップして意地の悪いおばさんになる人がいる。だったら、『おばさんよ、大志を抱け』ですよ。大志を抱くのはタダですからね」

老いればみな公平にブスになる

 女性の場合、45歳にもなると更年期と重なり、身体的・精神的不調が増える時期でもある。藤森さんも更年期にさしかかって不調に疲れ果て、仕事面でも従事している職業の意義を見失いかけていたという。ところが、47歳の時にアメリカの作家であるアイン・ランドの小説に出合って衝撃を受け、小説の翻訳や研究に邁進。まるで生まれ変わったかのような気持ちになったと振り返る。

 「今までとずっと同じことをやっていたらだめで、新しいことに挑戦したほうがいいと実感しました。ただし、大志を抱くにしても情報がないとだめなので、いろんな人に会ったり、本を読んだりと学び続けるべきです」

 若い頃は「馬鹿ブス貧乏」である自分に悩み、中年期は身体的・精神的不調に直面し、と苦難の連続だが、「馬鹿ブス貧乏」は、中年期から老年期にかけてこそ強みを発揮するという藤森さん。その理由としては、第一に、もともと人生の果実をほとんど得てこなかったのだから、失うものがあまりない。第二に、老いればみな公平にブスになるのだから、最初からブスだった人は落差が小さく、風格が伴って逆にスタイリッシュに見えることもあると。身も蓋もないが、説得力は妙にある。

 「自分のことを甘やかさないで小さな自信を積み重ねてきたという蓄積が、中年以降になってやっとモノを言うんです。若い頃はみんな似たようなものだけど、歳を取るとそれまでの生き方の結果がすべて出ます。金はない、美貌はない、しかも馬鹿で何もない私に何があるかというと、今まで逃げずに自分の人生を大切にしてきたという自信だけ」

 66歳にして、初の単著が注目を集めていることについても、自分の人生を振り返る機会に恵まれたし、今まで生きてきた価値はあったと笑顔で答える藤森さん。「馬鹿ブス貧乏」から逃げずに学び続け、獲得していった自信は、藤森さんの人間的な魅力となって強烈な輝きを放っている。