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コロナ禍、文学に何ができるのか 閻連科、パオロ・ジョルダーノら海外作家の声

閻連科さん

無力感・揺れる感情…「小さい声、ひろう」

 7日に発売された文芸誌の「文芸」夏季号(河出書房新社)は、いち早く「緊急特集 アジアの作家は新型コロナ禍にどう向き合うのか」を掲載。「震源地」となった中国を中心に、韓国や台湾、タイにルーツがある作家6人が寄稿した。

 2014年にフランツ・カフカ賞を受賞した中国を代表する作家、閻連科(えんれんか)さんは「厄災に向き合って 文学の無力、頼りなさとやるせなさ」(谷川毅訳)を発表。〈文学はマスクになって疫病蔓延(まんえん)地区へ送ることもできないし、医療従事者の使っている防護服にもなることはできない〉と無力感を率直につづる。
 一方、封鎖された中国・武漢を「アウシュビッツ」に例える声の広がりに触れ、〈もし当時アウシュビッツで詩を書くことのできる人がいて、またその詩が伝わったのなら、アウシュビッツはあんなに長くは続かなかったはず〉と書く。

 日本在住の中国人作家、陸秋槎(りくしゅうさ)さんは「神話の終わりと忘却の始まり」(稲村文吾訳)で、災厄への対応によって社会主義国家中国の正当性に穴が開いたと記す。そのうえで忘却と、それに抗する作家としての責務を問いかける。

陸秋槎さん

 〈神話が破られて、中国はなにかが変わるだろうか? 私はあまり期待が持てない。その理由もごく単純――私たちがすべてを忘れようとしているからだ〉〈記憶を持たない民族には未来もない。そして民族が記憶を持つ手助けをするのが、書く人間の責任だ〉

 「文芸」が緊急特集を組むと決めたのは、2月28日。武漢で感染が拡大し、アジア人差別が問題となっていた。編集長の坂上陽子さんは「フェイクニュースやデマも飛びかうなか、言葉のプロとして作家は何を紡ぐのか」と考えた。翻訳の時間も必要なため、「実質は1週間で書いてください、という無謀な依頼でした」と振り返る。

 「国民一丸となって、といったときに、こぼれ落ちるもの、見逃してしまうもの。もともと作家は、そういった小さい声をひろう職業でもある。言葉をあつめて出す、という文芸誌の役割は続けていきたい」

 一方、現時点で感染による死者が2万人を超えたイタリアでは3月下旬、パオロ・ジョルダーノ著『コロナの時代の僕ら』が刊行された。すでに世界27カ国での翻訳が決まり、日本でも「世界初のコロナ文学」をうたい文句に、早川書房から4月24日に刊行される(飯田亮介訳)。
 ジョルダーノさんはトリノ生まれ。08年のデビュー作『素数たちの孤独』が、イタリア最高峰の文学賞ストレーガ賞を史上最年少の26歳で受賞した。

パオロ・ジョルダーノさん©Daniel Mordzinski

 『コロナの時代の僕ら』に収められているのは、2月末から3月初旬までに書かれたエッセー27編。〈僕はこの空白の時間を使って文章を書くことにした。(略)この感染病が僕たちに対して、僕ら人類の何を明らかにしつつあるのか、それを絶対に見逃したくないのだ〉と筆を起こす。

 その時期のイタリアは、まだ感染爆発には至っていなかった。早川書房の担当編集者、千代延(ちよのぶ)良介さんは「日本の読者にとっては、1カ月先から届いた手紙のよう。邦訳はできるかぎり速やかに、と判断した」と言う。

 日本語版には、3月20日に地元紙に掲載された寄稿「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」を「あとがき」として付す。そこで繰り返されるのが、〈僕は忘れたくない〉というフレーズだ。

 〈僕は忘れたくない。ルールに服従した周囲の人々の姿を。そしてそれを見た時の自分の驚きを〉〈僕は忘れたくない。結局ぎりぎりになっても僕が飛行機のチケットを一枚、キャンセルしなかったことを〉

 刻一刻と変化する日常のなか、揺れ動いた感情の記録。千代延さんは「要請されて家から出ないというだけではなく、コロナの時代に生きている自分がいま、どうするべきなのかということを、主体的に考える助けになるだろうと思っています」と話した。(山崎聡)=朝日新聞2020年4月15日掲載