古本屋をはしごする小学生
――プロフィールによると、乗代さんは北海道生まれなんですね。
そうですね。北海道の江別にいたのは4~5歳までなので、そこでの記憶はあまりないんです。その後、東京の練馬に引っ越しました。幼い頃に読んだ本は、どちらで読んでいるのかわからないですね。
――おうちに本がたくさんあったのですか。
母が絵本を好きだったのと、兄がいたのとで、結構ありましたね。「こどものとも」や「かがくのとも」をいくつか取っていたので、毎月2、3冊絵本が届いていました。送られてくるものはペーパーバックで、評判の良かったものが絵本になるというシステムだったようで、今、そこで読んだものを本屋で見かけると、自分の記憶とは装丁が違うんです。改めて出されないものもあるから、話は覚えているのにタイトルがわからないものも多いですね。ほかに、今も本屋に置いてあるようなロングセラーの絵本はだいたい読んでいたように思います。
――どんな内容のものが好きだったか憶えていますか。
母の影響で、林明子さんは好きでした。思い出深いのは『まほうのえのぐ』。女の子がお兄ちゃんに借りた絵の具を持っていかれちゃって、追いかけたら動物たちが絵を描いてたから、そこで一緒になってそれぞれ描くという。『3びきのくま』とか外国の民話ものも好きでした。『てぶくろ』とか、『マーシャとくま』とか。人間が熊の家に行って荒らして帰るだけみたいに、教訓めいたものがない話のほうが消化しきれず残りやすいのかもしれませんね。それと、小説の中にも出しましたけれど、佐々木マキさんの『やっぱりおおかみ』。あれは今も持っています。
――小学校に上がると、絵本から児童書が増えていきましたか。
『かいけつゾロリ』のシリーズはたくさん読んでいました。おかべりかさんの『よい子への道』も好きでした。よい子を目指すためにしちゃいけない悪いことが漫画で説明されていて、今だとヨシタケシンスケさんが近いことをやってるのかな。奔放なのにクールで、楽しんで読みましたね。その中の「なす」っていう漫画を「生き方の問題」という小説に出したら、金井美恵子さんから「おかべりかさんがお好きなんですか?」とお手紙をいただきました。金井さんが、ご自身が特集の「早稲田文学」で、おかべさんのことを「追悼にかえて」という副題のエッセイで書いていて、それで亡くなったのを知ったところだったので、驚きましたね。それをきっかけに金井さんとも何度か手紙のやり取りをさせてもらったりして。
――そんなことがあったのですね。
『ズッコケ三人組』のシリーズも家にありました。兄がファンクラブに入っていて、黄色い手帳も持っていましたね。その作者の那須正幹さんの『ぼくらの地図旅行』という、大判の絵本が好きでした。地図を見ながら小学生2人が目的地を目指すんですが、現状が地図と違っていたり道がふさがれていたりで大変、みたいな。見開きに、その場所の俯瞰の絵と地図が載ってるんです。今はよくそんな旅をするんですけど、歩いているとこの絵本を思い出しますね。
――ご自身で物語を空想したり、文字にしたりはしていましたか。
漫画を描いたりはしていましたが、誰にも見せませんでした。だいたい読んでいるものの真似ですね。ゲームブックとかも好きだったから、自分でも作りかけては複雑になって止める、みたいな(笑)。
――どんな漫画を読んでいましたか。
小さい頃は「コロコロコミック」を読んでいました。沢田ユキオさんの「スーパーマリオくん」とか今もやってますけど、ゲームと漫画がリンクする感じが面白かった。それと、隔月で「別冊コロコロコミック」が出ていて、そっちは漫画家が自由に描いているようなところがありました。勝つためなら殺人を厭わないサッカーチームが、死傷者を出しながらトーナメントで勝ち進んでくるみたいな話があって、それのタイトルがずっと分からないんです。
――そんな漫画があったんですね。学習漫画などは読みましたか。「〇〇のひみつ」シリーズとか。
「みえる・みえないのひみつ」というのは、沢田ユキオさんが漫画を描いていたので何度も読みました。伝記漫画も図書室にあるのはほとんど読みましたし、小学館の「日本の歴史」はかなり周回しました。中学受験対策でもあったんですが、面白かったですね。入試問題集で使われている小説を読むのも好きでした。
――ゲームブックを結構読んでいたとのことですが、ゲームもよくしていました?
小中にかけてスーファミからプレステにという世代ですから、人並みにやってました。RPGは、ドラクエやクロノ・トリガーが流行った頃でしたけど、兄がやっているのを見ているだけでも満足する弟でした。
――今振り返ってみて、どんな子どもだったと思いますか。
勉強もスポーツも人間関係も、結構バランスよくやっていたと思います。6年生の時には児童会長もしてましたから、優等生だったんじゃないですかね。
――積極的にリーダーシップをとる感じですか?
役割上は、ですね。真面目だけれどそんなに堅物でもなく。先生に1回、褒められたことがあるんですよ。塾通いしている受験生同士で固まるのをよく思っていなかったような年配の女の先生で。僕も塾に通っていたんですが分け隔てなかったので、「この人は違う、えらい」みたいなことをみんなの前で言われて。
――それ、暗に他の塾通いの生徒を批判してますよね。
そういうことだったと思います。なんでそんなことをみんなの前で言うんだと思いましたけど(笑)。まあ僕自身、敵を作らず好きなことしようみたいな意識は働いていたと思います。八方美人でいるというより、自分の道徳を秘めてどこにも肩入れせず動いているのが一番楽だというのはこの頃からあったかもしれない。
5、6年生の頃にたぶん一番読んでいたのは灰谷健次郎さん。その頃まだ完結してなかった『島物語』が好きでした。最初は『兎の眼』から入ったと思うんですけれど。家族で島に引っ越して、自然薯掘ったり、魚採ったりするのに憧れて。それはそれで小学生らしいチョイスで楽しんでたんですが、その一方で、漫画は小学生が読むもんじゃないだろう、みたいなものを...。
――何ですか。
父親の影響で、家に全巻揃っていた『ナニワ金融道』とか。あと、いがらしみきおさんの『ぼのぼの』が当時アニメでやっていて、それが好きで漫画も揃えていたんです。古本屋が地元に4、5軒あったので、塾の行き帰りにダーッと回って家には「自習してきた」と言ったりする生活だったんですが、いがらしみきおさんの他の作品も読みたいと思って、片っ端から読んでいました。古本屋だとカバーもないので立ち読みでしたが、後で確認したら、この時に出てるものは全部読んでたみたいです。『のぼるくんたち』と『さばおり劇場』が好きでしたね。あと、この古本屋通いでよく読んでたのは山本直樹さん。
――ませてる(笑)。
『ありがとう』とか、上下の分冊で出てたのを1日で立ち読みして帰った記憶があります。中高生になってから、自分で買いました。事あるごとに読んでると、小学生の時にこれをどう捉えていたのかわからなくなってくるんですけどね。今挙げた3人はずっと読んでいますし、かなり影響を受けました。
――ん、『ナニワ金融道』から受けた影響といいますと。
これは影響というか、『本物の読書家』の関西弁の男は、完全に『ナニワ金融道』の都沢というエリートの喋り方で書いています。ほぼそのままですね。いちばん読み返している漫画だと思います。
――読み返すのは、どういうところに惹かれてですか。
人間の強さ弱さと、その模様と。あと、描き込みがすごくて。スーツの柄なんかも手書きで「$」がいっぱい描いてあったりする。そんな柄にしなきゃ描かなくていいのに。一回原画展に行って、生で見たのが忘れられないです。自分も、例えばこの部屋のことを書くんだったら全部書きこむのが理想なので、「やっぱりそういうことだよな」と励まされます。余白なんてないこの世をしっかり見てるぞ、という。
中学でパソコン、高校で読書にハマる
――中学生時代はいかがでしたか。
中学は今言った人たちの本や漫画を読み進めることが多くて、そんなに新しいものは読んでいないかもしれないです。入った私立中学は、中1から生徒1人にノートパソコン1台を持たせる学校で、早くからネットの世界に入れたんですよ。当時、「侍魂」とか日記サイトが流行っていたので自分も書いていました。
――日記を、ですか?
日記と言いつつ、ウケ狙いの文章みたいなものを書く文化でしたね。フォントいじったり。僕はそういう系ではなくて、芸能人の本の真似とかをしてました。『爆笑問題の日本原論』とか。ブログという形式が出だしたのがもう少し後で、中学の頃はインプットより、自分で書くことに夢中になっていました。
――へえー。その頃書いたものって残っていますか。
中学生の頃の最初期はYahoo!ジオシティーズに書いていたので消えてしまいましたが、その後に始めたブログは残っています。そこで読書リストもつけ始めたんです。もう公開してませんが、これがその記録で......。(と、プリントアウトの束を取り出す)
――たくさんありますね。最初が2004年10月。これ、ブログのタイトルが「ミック・エイヴォリーのアンダーパンツだったところ」なんですか。
ややこしいんですが、最初にブログをはじめた時にキンクスというバンドの曲名から「ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ」とつけて、その後移転したので「ミックエイヴォリーのアンダーパンツだったところ」になってるんです。今でも移転先のはてなブログでは「だったところ」がついていないものが残ってます。(http://norishiro7.hatenablog.com/)その後は読書メーターをはじめました。
――その読書メーターの記録もプリントアウトしてきてくださっていますが、膨大な量ですね...!!
めぼしいタイトルには線を引いてきました。高校時代に遡ってつけたので、その頃から読んできたものについては大体分かります。なんでこんな急に読むようになったのか思い出してたんですが、高1くらいから大学受験を意識させられる学校で、現代文の問題集で安部公房の「詩人の生涯」と島尾敏雄の「鬼剥げ」を読んだんですよね。それが両方とも不思議な話で、自分がブログで書いているようなものに近い気がして。こういう面白い小説もあるんだなと思ったのがきっかけかもしれません。松本人志もかなり好きだったんですが、そのコントにちょっと近いものがあるというか。
――安部公房と島尾敏雄が。
島尾敏雄の「夢の中での日常」(『その夏の今は・夢の中での日常』所収)も、変な話で面白かった。その頃、西村京太郎も結構読んでますね。
――鉄道ミステリーですか。
そう、『終着駅殺人事件』をよく読みました。『名探偵コナン』の初期の頃、コミックの袖のところに「名作ミステリー紹介」みたいなのがあったんですよ。そこで紹介されていて、読んだら確かに面白くて。
――乗代さんの作品に、電車に乗ってどこかに行く場面がよく出てくるのは、もしやその影響......。
そう指摘されると思いました(笑)。5年に一回くらいは読み返しています。他にもいろいろ。『殺しのバンカーショット』みたいなタイトルがあったのも憶えています。
――あ、それはゴルフ場が舞台ですね。
そうそう。鉄道じゃないんだって思って手に取りました。古本屋に行くと大量に揃ってますから、手に入りやすいんですよね。
――学生時代は、古本屋で買うことが多かったんですか。どうやって選んでいたのですか。
そうですね、古本屋を回って、選ぶというより直感でとにかく買って、つまらなければしょうがない、というか。
――今見ている乗代さんの読書記録すべてに言及するのは絶対に無理ですが、ざっと目を通させてください。最初に載っているのが『織田作之助作品集1』。で、線を引いてくださっているのがめぼしい本ということで、まず、町田康さんの『告白』がありますね。
確か最初に『夫婦茶碗』を読んで面白くて、町田さんの書評とかも全部見るようになって。織田作もその影響かな。あとは『元禄御畳奉行の日記』という新書がすごく面白かったので、ずっと読み返しています。役所仕事しかしてない当時の武士の「鸚鵡籠中記」って名前の日記なんですけど、死体斬る訓練で吐いたとか、刀なくしたとかの話が書いてあって。
――そしてバルザック『従妹ベット』上下巻。
バルザックの『人間喜劇』のうちの一作ですけれど、他の作もいくつか読んでこれが一番面白かったですね。
書き写し作業を始める
――カフカの『失踪者』は池内紀さんの訳で読まれたんですね。わりと、メジャーな作家でもマイナーな作品に印をつけている印象が...。
カフカの『変身』とか手に入りやすいものはたぶん、この記録をつけ始める前に読んでいます。でも、『失踪者』が一番好きですね。池内さんの訳は「カフカらしくない」という声もあるけれど、この作の主人公にはすごく合っていると思います。何度も読み返しているので、これからこのリストに何回も出てきます。
――あ、再読したものも、その都度つけているんですね。
そうです。で、これぐらいの時期に書き写しが始まります。
――ああ。乗代さんは、読んだ本の気に入った部分をノートに記しているんですよね。しかもびっしりと。高校生の時からだったんですか。
高校の終わりくらいからです。最初は名言集みたいなものを作りたいと思って。で、その一部分だけなんですけれど...(と、分厚いノートを何冊も取り出す)
――え! コクヨの80枚ノート......あ、100枚ノートもありますね。こんな分厚いんだ...。
持ち歩くには向かないと思います。
――(開いたノートを見て)うわー。字が小さい。細かい。びっしり。名言といっても1~2行じゃなくて、かなりの長文も書き写していますね。『アンナ・カレーニナ』だけでも相当ページに渡って書かれている。
大学に入ると時間があるので、量が増えていきました。最初のうちは何の本の引用がどこから書かれているか分かりにくかったのを、ちゃんと1行開けたり、タイトルをちゃんと上の部分に書くようにしたりして。ルールがぐちゃぐちゃですね(笑)。「真似したいな」と思うものは書き写しています。
――リストに戻りますが、このジョン・アーヴィングの『ウォーターメソッドマン』は。
『ガープの世界』とか他も読んでいるんですが、今でもこれが一番好きです。高校の一時期、帰りのホームルームさぼって誰も乗れない時間のスクールバスで帰ってたんですが、そこで読んで感情移入した思い出があります。でも、絶版なんですよ。
――サリンジャーは『ナイン・ストーリーズ』。乗代さんの小説の中にもサリンジャーは出てきますよね。
サリンジャーは模範です。書き手としての態度に一番共感するというか、憧れを持っています。最初は文体が好きで読んでいた気がするんですけれど、作家としてどうあるべきか、自分のためにどうすべきか、というのを突き詰めていったところに惹かれていきました。
――『フラニーとゾーイー』とか『大工よ、屋根の梁を高く上げよ―シーモア序章』には線を引いてますが、『ライ麦畑でつかまえて』には線を引いてないですね。
あ、ライ麦はそんなには...。
――グラース家のサーガのほうが好きだったという。
サリンジャーが、ライ麦を書いて、それに対する世間の反応を経て、入れ込んでいったという流れを思うと、自分を納得させるための周到な配慮が際立ってきて、すごく考えさせられます。『ナイン・ストーリーズ』だと「対エスキモー戦争の前夜」が好きです。
――ブコウスキーは『パルプ』。
ブログで創作する時にかなり真似しました。ハードボイルド調ギャグみたいなところもあるので。荒唐無稽を小説の形に保つ術というか。柴田元幸さんの訳で。
――『ハックルベリイ・フィンの冒険』。
いろんな人の訳で読みましたね。「世界文学の玉手箱」だったかのシリーズで、小島信夫さんが訳していたのが一番よかった。最後のトム・ソーヤーが出てくる評判よくない部分をほぼ全部カットしてるんですが、文章とか台詞もすごくいいので、これも文体を真似しましたね。
――ここ、数冊分のところに「入院」という書き込みがあるのは。
大学生の時に体育でサッカーをしていたら、足を骨折して手術してプレートを入れたんです。その時にこれらの本を読んだなあ、と。
――入院中に『カフカ寓話集』や町田康さんの『浄土』、H.F.セイントの『透明人間の告白』を読んでいる。『罪と罰』を入院中に一気に読むというのはいいですね。
楽しかったですね。懐かしいです。
――舞城王太郎作品を定期的に読んでいますね。
創作とかで参考になりそうな人は片っ端から読んでました。
――そして金井美恵子さんのお名前も何度も出てきますね。あ、庄司薫さんの『ぼくの大好きな青髭』。
四連作の最後の「青」が一番好きですね。自殺を試みた知り合いに関する週刊誌記者の取材に答えようというところから始まる1日の話ですけど、新宿という街にしたって何にしたって密度濃く書かれているのが好きで。自分がそういう書き方をしたいからでしょうね。
――シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』はちょっと前に復刊されましたよね。乗代さんはすでに読んでいたんですね。架空の村の、いろんな人の話。
これも新聞記者が出てきますね。訳は小島信夫さんだし。この中の「物思う人」(新訳版では「考え込む人」)という短篇が好きなんです。セスという人が村の中に気になる子がいて、その新聞記者もその子を狙っている。セスは「あの子は自分が好きなんじゃないか」みたいなことを思っているんだけれど、新聞記者に告白を代行するように頼まれる。腹を立てながらも、馴染めないこの町を出たいとか自分の物思いに追われるようにしてそれをやってしまって、女の子もセスに対してその気だったのに、町を出る志に感動しちゃったりして、すれ違う。その後でセスが孤独に駆られて「どうせこの村ではあの新聞記者みたいな奴が上手く生きていくんだ」みたいなことを思って終わる。思考に現実が引っ張られるところがすごい。
――線が引かれているわけではないですが、最近話題になったピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』もずいぶん前に読まれているんですね。
たぶん大学の図書館で借りたと思います。もしかしたら授業で紹介されたのかもしれないですね。社会学部だったので、結構がっつりしたものも読んでいました。
――『マーク・トウェインの短編全集 上』。勝浦吉雄訳。
ユーモア小説集みたいなもので、結構いろんな訳が出ているんですけれど、この人の訳が、面白さとしては一番。「ストームフィールド船長の天国訪問記 抄」が好きでした。ちょっと前に全訳が出たのでそれも読みましたが、やっぱりこっちのほうが面白かった。
――ロラン・バルトもお読みになり、そしてディケンズの『荒涼館』全4巻を読み。
このへんは結構、高橋源一郎さんの書評本や文芸時評本なんかを読んでいたので、芋づる式に読んだ本もありますね。
――そんななかに西村京太郎『終着駅殺人事件』が並び、そしてカフカの『失踪者』をまた読んでいる。そしてカポーティも何度か出てきますが、線が引かれているのは短篇集の『夜の樹』。
「感謝祭のお客」とか、いとこのミス・スックという老女が出てくる、少年時代をモデルにした話が好きで。感謝祭に招待されて来たいじめっ子に復讐しようと悪事を告発するんだけれど......という話で。七面鳥の軟骨もらうシーンを書き写しました。
――ところで、タイトル言っただけで内容がすらすら出てきますよね。よく憶えていますね。やっぱり書き写しているからでしょうか。
そうかもしれないですね。でも、ブローティガンとか、フィリップ・ロスとかは、すごく読んで書き写したのにあんまり憶えていないです。
――あ、『トリストラム・シャンディ』も読んでいますね。18世紀に書かれた奇妙奇天烈な本で、最初、主人公がなかなか生まれないという。
いろんな人の本を読んでいると、「これはチェックしておいたほうがいいぞ」という感じだったので読んだんだと思います。
――二葉亭四迷『平凡』。
すごく好きです。これも小説に出しました。小説に出している本は、基本思い入れのあるものです。
――シャーロット・ブロンテの『ヴィレット』も最近新たに刊行されていましたね。「喧嘩の会話」というメモ書きがある。
これはみすず書房の全集で読んで面白かったです。白水uブックスから新たに出ていて、いい時代だなと思いました。「喧嘩の会話」とメモしたのは、口喧嘩みたいなところを、創作の時に参考にしたからです。
――そしてサリンジャーの『ハプワース16、1924』があり。スタインベックでは『チャーリーとの旅』。
『ハプワース』は色々と考えさせられました。スタインベックはこの頃に『エデンの東』もハヤカワepi文庫で出たし、色々読みましたが、『チャーリーとの旅』が一番好きです。キャンピングカーで犬と旅する。
――ジャン=リュック・ゴダール『ゴダール映画史1』。
1と2がありますね。安部公房と針生一郎の対談で、俳優に撮影所まで毎日歩いて来るよう頼んだって逸話を知って興味が出て、映画を見たりして。その後、保坂和志さんの小説論にも言及されていたので読みました。
休学&復学、塾教師時代の読書
――そしてまた、カフカの『失踪者』が出てきますね。
基本、外に出る時は本を2、3冊持っていくんですが、そのなかの1冊はこれを入れていたという感じだったと思います。
最初は、法政大学の多摩キャンパスの近くで一人暮らしをしていたんですが、読み書きにもっと集中したくて休学したんです。さすがに一人暮らしは続けられずに千葉の松戸の実家に戻ることになって。その後、復学してからは松戸からキャンパスまで週3、4日、片道3時間かけて通いました。ちょっと戻って武蔵野線に乗ってぐるっと埼玉の方から回って西国分寺で降りて、八王子まで行って横浜線に乗り換えて、さらにバスに乗るという。そのルートだとほぼずっと座れるんで、その時間を全部、読書に費やしてたんですね。それで、家に帰ってから書き写す。
――休学をしてまで名言集を作りたかったわけですか。
書き写しはもう習慣になっていて、作るという意識ではなかったです。ブログもやっていたし、単純に読み書きしたり考えたりするのが楽しかったんでしょう。
――その頃ブログには、小説も書いていたのですか。
いや、四千字に満たないくらいの、ちょっと冗談っぽいやつがほとんどでした。その中で、時々は長いものもありましたね。アニメの「おジャ魔女どれみ」の感じに憧れて小学生の話を書いたり。今、ブログはほとんど更新してないんですが、国書刊行会で本にしてもらえる話が進んでいます。
――わあ、それは楽しみ。その頃から、将来、作家になりたいと思っていましたか。
なれるんじゃないかとは思っていた気がします。そんなに意識はしてなかったし、むしろ、目指すとかそういうことじゃないなと薄れていく感じでしたね。
――卒業後はどうされましたか。
このあいだ辞めたんですけれど、小さな塾に勤めました。そこから中学受験のための教材を作るのが面白くなったんです。なので、読書記録もちょっと毛色の違う感じになっているなと、さっきリストを見返してみて思いました。
――たしかに、新書が増えていきますよね。国語関連とか、社会学入門的なものとか。
小説は、問題を作る時に使うので、試験によく出る人の本はたくさん読んでいましたね。と言っても、官能小説とかも読んでますね(笑)。
――はい。今、リストにある『トリプル個人教授』というタイトルに目が釘付けになったところです。
フランス書院も結構入っていると思います。逆に、ブログでの創作のためにとにかくいろんなものを読もうかな、みたいな気持ちになっていた時期ですね。訳の分からない本とかが増えてくる。
――『日本の論点』みたいな本もあるし、『クマのプーさんの哲学』とか、『「本当の国語力」が驚くほど伸びる本』とか。
前に読んだものもかなり読み返してますが、拾い読みになっているので載せていないんだと思います。
――宇多丸さんの『ザ・シネマハスラー』とか、せきしろさんの『去年ルノアールで』もありますね。爆笑問題もあるし。
ラジオとかサブカルみたいなものをチェックはしてて。全然覚えてないですが。
――『わらしべ偉人伝―めざせ、マイケル・ジョーダン!』とか。かと思えばケストナーの『飛ぶ教室』もある。あと、森達也さんの本が多いですね。
森さんの文章ではかなり問題を作りましたね。実際によく試験に出るし、面白かったし。このあたりから、内田樹さんの本も増えますね。模試や入試で頻出でした。
――姜尚中さんや養老孟司もそうした傾向から読まれていたのでしょうか。かと思えば、もちろん保坂さんの本もあるし、佐野洋子さんも。
どう選んでいるのか分からないですね。仕事を始めると、大学生の頃のようにまとまっては読めないので、さっと読めるものが増えていったとは思います。あ、でもこれはよく憶えていますね。
――ロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』のことですか。
はい。写真家のノンフィクションをよく読んでいたんです。『地雷を踏んだらサヨウナラ』とか。キャパのこの本が一番共感しました。仕事に対する向き合い方に、こういうふうにやらなきゃ駄目だよね、みたいな感じに励まされる本で。
――さきほどの『ナニワ金融道』の時もすごく細かい描き方のことに言及されていましたが、傍から見てストイックなくらい打ち込む姿勢に共感を覚えるんでしょうか。
とにかくマジじゃないと駄目だ、と思ってブログを書いてました。
――あ、こんなところに『点子ちゃんとアントン』が。重松清さんの『小学五年生』も、きっと、教材用ですね。
ケストナーは中学年向けの問題で使ったと思います。岩波少年文庫は結構読みました。もともとケストナーは好きで全集持ってましたし。
――古典文法の本、憲法関連の本もあるし、『まんが パレスチナ問題』があって、実に幅広く押さえている印象です。一方で『戦後ギャグマンガ史』もありますね。あと、伊集院光さんの本も多いですね。
むしろ、そういうバラエティー関係の本のほうが勉強のために読む感覚でした。ブログで書くものに活かすんだという使命感で(笑)。あ、『死んでも何も残さない 中原昌也自伝』は印象深いです。文句ばっかり書いているなかで、時々本当に好きなものの話が弱音みたいにふっと出てきて。自分も作品に対して、こういう態度を取り続けようと思いました。「死んでも何も残さない」という言葉もそうですけれど、自分がやることに対して、後世に残るとか、その後のことを意識してどうするというのはサリンジャーを読んで思うところがあったので、別の仕方でその肯定を見たというか、勇気づけられたような気がしました。
――中原昌也さんの本は他にもたくさん出てきますね。『ソドムの映画市 あるいは、グレートハンティング的(反)批評闘争』とか『映画の頭脳破壊』とか『ボクのブンブン分泌業』とか。
この頃はもう働いてお金が入ってくるので、「この人読むぞ」となったらまとめて手に入れられるんです。こういう記録をつけていると、そういう背景も思い出せますね。
――『カフカの生涯』、池内紀さん。
全集とかも読んでいる中で、一回おさらいみたいな感じでこういうのを読むと、流れが分かって楽しいです。気楽な読み方ですね。
――町山智浩さんの『ブレードランナーの未来世紀』とか、ウディ・アレンの短篇集とか、映画関連の本も多いですね。あ、ジョン・ウォーターズの『悪趣味映画作法』もある。
映画はその頃はそこそこ観ていたんですが、もう全然観なくなってしまいました。ジョン・ウォーターズは好きでしたね。
――「ピンク・フラミンゴ」とか?
そうです、一番見たのは「セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ」ですけど。このへんまではチェックしておこうみたいな邪な気持ちで観たら本当に面白いからすごいなと思って。ジョン・ウォーターズはその前のエッセイ集も買いましたが、まだ読んでいないです。
塾講師時代の読書
――他にも、田中慎弥さんや綿矢りささん、村上春樹さん......挙げたらきりがないのですが、サリンジャーやカフカの『失踪者』のように、よく再読しているものってありますか。
全集で何周もしたのは、カフカと宮沢賢治。本になっていない書簡や日記目的が多いですね。全集じゃないけれどサリンジャーは読んでいます。
――読書メーターって、感想も書けますよね。
僕はまったく書いていません。感想はブログにいくつかあるぐらい。でも、まあ、写しているものを読み返すと、その時の感覚が甦ったりします。
――読むのははやいんですか。
そんなこともないんですが、それしかしていないんで。人間関係が無いので。
――小説の新人賞への投稿を始めるのはいつくらいからなんですか。
最初、たぶん、大学の後半の頃だったかに1回「文藝」に出して、次が「群像」で、それで受賞しました。
――「十七八より」で群像新人文学賞を受賞したのが2015年、29歳くらいの頃ですよね。では、最初に応募してから次に応募するまでに、ずいぶん間があきましたね。
どうしても小説家になるぞと投稿するような感じではなかったですね。ブログで書いているうちに、自分で書いたものが小説になったという感覚があって、やっと二回目。もともとブログに発表して、シリーズで続けていこうかなあと思っていた短篇を膨らませて書いたんです。
――あ、「十七八より」の主人公の阿佐美景子を主人公にしたものを、その頃からシリーズ化するつもりだったんですか。先日芥川賞の候補になった「最高の任務」や、『本物の読書家』に収録されている「未熟な同感者」も阿佐美景子の話ですよね。一人の人の人生の長い時間のある時期を切り取る、という書き方をしていきたかったのですか。
そうですね。あとは、その「ある時期」を著者の現在にするというのが一番、自分としては納得のいく描写ができますから。それはブログのタイトルにも関係するキンクスというバンドの影響かもしれません。レイ・デイヴィスというフロントマンのことが中学生の時からすごく好きで。全部聴いてきて、創作の姿勢とか、世間の見方みたいなものはこの人に学んだと思っています。『エックス・レイ』という自伝は、近未来の老いたレイ・デイヴィスに対して記者がインタビューしながら書いているという形式なんです。未来の人物が過去のことを思い出したことを著者として今書くというのは誠実だと思います。それを読んだのは中高生の頃で、自分が「十七八より」を書き始めた時に「あ、ここに戻ってきたな」と思ったのを憶えています。
――乗代さんの作品は、主人公が書いている日記や手紙だという形式ですよね。なぜその文章が書かれているか理由がある設定にしているのは、その影響でしょうか。
他にも沢山の影響はありますが、間違いなくその一つです。そうしないと書いている時の自分の感覚が分からなくなるというか、恥ずかしくて。
――ご自身は日記はつけていますか。
時々書いたり書かなかったりだけど、いろいろ書いているものが混ざってきちゃったので、「これは日記だ」という感じでは書いていないですね。
――そういえば、デビュー作の「十七八より」では世阿弥に言及されていますが、この膨大な読書リストのどこかにあるんでしょうか。
どこかにあるはずです。「十七八より」でいうと、浄土真宗の「妙好人」の概念も意識していました。お坊さんでもないし自分で布教したりはしないけれど、麗しい信仰を持っていて後世に残る在野の念仏者ですね。それを紹介している鈴木大拙の『妙好人』という本を大学の頃に読んで。禅に興味のあったサリンジャーからの繋がりですかね。結局、マジでやるというのは、発信して反応を見て、みたいなものじゃないよね、自然にそうならない人が一番偉いよね、と。阿佐美景子の話で、叔母を一番上に置くのは、たぶん、こういう本を読んできたからです。
――ああ、景子の叔母さんはものすごい知識人ですが、自分で何か残すことなく亡くなってしまっている。
自分で考えた何か確固としたものがあって、でもそれを人に何か言ったり見せたりする時間も考えもない、みたいな人に惹かれるようになったんです。それもあって、小説を書いていても「これを誰かに見せたがってるのか?」って気持ちになっちゃうんですよね。作中の主人公が何か目的をもって書いていないと、僕自身、誰か、不特定多数の読者のために書いているような感覚がついて回ってきて不安になる。
――なるほど。そう考えると、叔母さんというブッキッシュで知的で、でも世の中に何か発信することなく亡くなった存在が先にあり、身近なところでその人を見ていた存在として阿佐美景子が生まれたわけですか。
そうですね。叔母さんのような、いわば妙好人は何も残さないけれど、何を考えていたのかを自分は知りたいし、それを書きたい。阿佐美景子という近しい第三者の一人称を設定しないと、その不明を知りたい、書きたいという思い自体は描けないような気がします。自分でもまだ分からないことに、読んだり考えたりするなかで近づいていくんだというのは、最初にものを書き始めた時から固まっていました。
――真の主人公は叔母さんなんですね。
サリンジャーでいうとシーモアですね。書き手の自分よりも上の存在を書きたいけれど、上だということを定めると、下の自分には永久に書けないことになる。そうなった時にどうするのか、という手をあれこれ講じているのかな。
――その時に、阿佐美景子という女性にしたのはどうしてですか。
男だと自由が効かないというか。自分とのズレ、どうにもならないしわからない部分を設けないと、身動きがとれなくなる気がするんですよね。性別というのはどうでもいいけれど、どうにもならない。文体ではそれを意識したくないけれど、作中の人物としては意識しないわけにはいかない。ということで、書き手である自分は男性で語り手である主人公は女性という形に軟着陸するのかもしれません。山本直樹さんのようなシーンも書きたいし。
――あ、そうか。阿佐美景子って、どの話でも男性から性的な目で見られるというか、ちょっとセクハラに遭いますよね。え、あれは山本直樹さんの影響?
そういう場面を書きたいという欲は、完全にその影響だと思います。
――青木雄二さんの影響は関西弁のおじさんと先ほど聞きましたが、じゃあ、いがらしみきおさんは?
ああ、実は全部の話に通底するだろうと思って、今は手に入りづらい本を持ってきたんです。(と、本を取り出す)
――『IMON(イモン)を創る』。いがらしみきお著。アスキーから出ていたんですね。
当時のことは知りませんけど、「EYE-COM(アイコン)」というパソコン雑誌に連載していたものです。この頃、いがらしさんがパソコン通信にすごくハマっていて。「IMON」は「イモン」と読みますが、日本発のOSであるTRONのパロディですね。人間の生き方を、パソコンやネットワークと関連付けさせながら書いたものです。「IMON」が何かというと、「いつでも」「もっと」「面白く」「ないとな」。そういうふうに生きるにはどうしたらいいか、という内容で、ものすごく影響を受けました。ほとんどの部分を書き写しました。
――(手に取りぱらぱらとめくりながら)1992年11月3日発行なんですね。って、これめちゃくちゃ鉛筆で線を引いてますね。上の角を折っている箇所も多いですが、ちゃんと同じ角度でピシッと折られていますね。
2冊持っていて、もう1冊は更の状態です。線を引いたり折ったりするのはよくします。最後まで読んでひとつも折った箇所や写すところがなかった本は売ります。
――四コマ漫画も盛り込まれていて、面白そう。ちょっと読みますね。「いや、私はどうでもいいじゃないと批判をしているのではない。大概のことは本当にどうでもいいのだから、それは正しいことなのである。問題は、このままでは世の中はどうでもいいことばかりになってしまうのではないかという、3歳児的な恐怖感である」。なるほど。
「我々は、作品に対する芸術家のように、熱く、そして醒めながら人間関係に接さねばならないだろう」と書かれたのが約三十年前で。ちょっとすごい本なので、ずっと読み返しています。
――こうして折ったり線を引いたりした部分を、読み終わった後に清書的な作業としてノートに書き写すのですか。
書きたい時は先に書いたりもしますが、結局書き写していないものが大量に溜まっているので、その中から気分で書き写す本を決めます。今書いているものの関連とか。
自然描写を重視
――ご自身の小説にもたくさん、先行作品の引用をしますよね。実在の本の名前もたくさん出てくる。影響を受けたものは全部書きたい、という気持ちがあるのですか。
そうですね。特に自分が書き写している時に、作者が書いている時の感覚みたいなものを、まあ勘違いだと思うんですが、それを味わった時は使いたくなります。自分のものとして、と言ったら傲慢ですが、あんまり区別がつかなくなるんですよね。
――それと、自然描写もよく書きこまれますよね。今日もこの取材の前に人のいない利根川沿いを歩いて、景色を描写してきたそうですが。
実際にその場所に行って描写を書き込みます。(と、モレスキンのノートを取り出す)月日と時間と場所を書いて、目に見えているものを描写する。ひとつの公園に何度も行って書いたりもしています。季節によって植物も鳥も光も温度も変わるので...。
――あ、「3月〇日11時10分~11時22分」とか書きこまれていますね。「12時27分~13時42分」とあるのは、1時間以上ずっと同じ場所にいて描写していたということですか。
そのぐらいは全然やります。目につくことを書いている途中で、新しいことも起こるんです。野良猫が来たから野良猫のことを書き始めて、そしたら川面に風が吹いて輝いて「次はそれを書くか」と思っていたら、水鳥が降り立ったり......。それを延々と書いている感じですね。
――塾で教えていた時も、休日とかに関東近郊に足を延ばしたりされていたんですよね。
そうですね。今、塾の仕事がなくなったところで、ほぼずーっとそれができます。
――今、一日のサイクルはどんな感じですか。
6時から8時の間に起きて、書き写しをして。書き写しは夜やることもありますが、基本は朝やるんです。最近だと午前中の明るい時間のほうが人もいないので、公園とかに行って、描写して、戻ってきて風呂入って小説を書いたり本を読んだりして。
――その感じだと、生身の人間との接点が希薄になりそうな...。
もともと人間関係は仕事を除いてほぼ無いので。同級生とかも誰一人、連絡先知らないですし。家族とたまに連絡を取るくらい。
――飲みに行ったりもしないのですか。
ネットで知り合った、たかたけしっていう、今「週刊ヤングマガジン」で連載をしている人と年に1回だけ会うというのがここ数年ですね。
――たかたけしさんとは気が合うところがあるのですか。
そうですね。あと、作家デビューする前、ネットでブログを書いている時から何かと気にかけてくれました。ネットで大喜利しているような界隈があるんですけれど、その界隈からも外れているような良くわからない人たちが集まって、「けつのあなカラーボーイ」っていう......
――んん?
すみません(笑)、そういう団体があったんですね。初めてたかさんに会った時に、それに誘ってもらったんです。よく分からないまま「じゃあやります」って入って、共同のブログにちょこちょこ書いたりもして。僕はあんまり出ていないんですけれど、イベントもやったりしてました。僕の方でも、ずっとコンビニ店員やってるたかさんを心配してたんですが、今は連載して単行本も出しているので安心しています。そういう縁で、年に1回会っていますね、唯一。
――今後、阿佐美景子のシリーズは続いていきますか。この先彼女が年齢を重ねていく姿も楽しみですが。
シリーズのことはいつも念頭に置いています。僕にとって、自分が見ることのできる現在の時点で彼女が何歳であるか、ということが大事なので、あまり先には行けないんです。現実と固く結び付けてしまうことは避けたいけれど、あまり先の世界のことを想像で書くこともしたくない。自然描写の練習をするようになった2、3年前から、その思いが強くなりました。想像で書く景色は本当に弱いので。
――今後の刊行予定や執筆予定は。
ブログの本と、今している取材をもとに書こうかな、くらいです。
――取材というのは人にインタビューするのではなく、自然の中を歩いて描写することですよね。
そうです。同じ場所を何度も歩いて描写すると、書いている感覚と見ている感覚が揃ってくるんです。地図に点を打って描写したものと紐づけておく。その場所について自分が良くわかっていれば、物語なんかはどうとでもなるというか。例えば、今日歩いてきた場所で誰が何をするか、その風景に見合う人や行動というのは、自分の感性と経験によって勝手に絞られていってしまいます。その場所で見たものや見えてくるものを書く、最近はそういう書き方が楽しいんです。