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「スーホの白い馬」へ続く、波乱の道 絵本画家・赤羽末吉の生涯が本に

1983年、「いなばのしろうさぎ」を描く赤羽末吉=家族提供

 「スーホの白い馬」「だいくとおにろく」など、世代を超えて親しまれる数々の絵本を手がけた赤羽末吉(あかばすえきち)(1910~90)。その生涯をたどった「絵本画家 赤羽末吉 スーホの草原にかける虹」(福音館書店)が4月に出版された。著者は三男の妻、赤羽茂乃(しげの)さん(68)で、家族ならではのエピソードも交えつつ、起伏に富んだ人生をつづった。

 「スーホ」の壮大な大草原に、「かさじぞう」の繊細な雪の表情。末吉は、墨絵や大和絵の技法を駆使しつつ、風土や物語の本質を捉えた優れた絵本を多く残した。80年には「児童文学のノーベル賞」と称される国際アンデルセン賞画家賞を、日本人で初めて受賞した。

 茂乃さんは、三男・研三さん(71)と79年に結婚。義父母の近くに住み、頻繁に行き来をしては共に食卓を囲んだ。没後の2007年に講演を頼まれたことをきっかけに、末吉の人生について調べ始めた。各地で講演しながら、手帳や手紙など資料の整理を続け、それがまとまり本になった。

 「朴訥(ぼくとつ)として、いつも楽しそうに絵を描いていた印象だったが、人生は波瀾(はらん)万丈。大変な目にも遭いながら、力強く軽やかに生きてきたことがよくわかった」と茂乃さん。

赤羽茂乃さん

 12歳で養子に出され、関東大震災で被災。旧満州で結婚し、2男2女をもうけるが、戦後の引き揚げで東京に戻った直後、3人の子どもを相次いで亡くした。その後、アメリカ大使館で働きながら挿絵や装丁の仕事を受け、「かさじぞう」で絵本画家デビューを果たしたのは50歳になってからだった。苦難も多いが、紹介される家族のエピソードは笑いに満ちている。

 「父は子どもの『理解する力』を信じていた」と茂乃さんは言う。子どもはちゃんと見てくれる。そのときわからなくても、幼い頃に接したものはその人の根っこになる。「だからこそ絵本は本質をついたものでなければと考えていたし、そのためにたくさんの資料を読み、取材をした」

 「スーホ」の情景は、旧満州時代に旅した内モンゴルでのスケッチと写真がもとになり、雪に憧れて始めた雪国通いは「かさじぞう」に生きた。また、自身が幼い頃から親しんだ芝居や映画のように、構図や表現に工夫を凝らして、1冊の絵本を演出し、構成していった。

 末吉の姿から、茂乃さんは「好きなことを続けることの大切さ」を学んだという。かつて茂乃さん夫婦に宛てた手紙に、末吉は「カセグような勉強はよして」という言葉を記した。末吉自身、目先の利益のためでなく、好奇心に突き動かされるように旅や研究を続け、それが大きな仕事に結びついた。

 新型コロナウイルスの影響で、この春、子どもを取り巻く環境は大きく揺れた。親や子に、茂乃さんはこうエールを送る。「長い人生、のんびり構えた方がいい。大人は『何の役に立つか』と考えずに、子どもが一人で遊ぶ時間も大切にしてほしい。好きなことは、好奇心いっぱいの子どもが自ら学び、自ら作り出す遊びの中にこそ見つかると思います」(松本紗知)=朝日新聞2020年5月30日掲載