たどたどしい字で書かれた「おこだでませんように」
——「おこだでませんように」/そう書かれた小さな短冊を見たとき、私は涙が出そうになりました。短冊を書いた男の子は、いつも怒られているのでしょう(『おこだでませんように』のあとがきより)。「ぼくは いつも おこられる。/いえでも がっこうでも おこられる」という男の子のモノローグから始まる絵本『おこだでませんように』(絵・石井聖岳/小学館)。物語が生まれたのは、児童文学作家のくすのきしげのりさんが小学校教員時代に見た一枚の短冊がきっかけだった。
「おこだでませんように」という短冊は、教員時代に小学校の七夕集会で見かけたものなんです。「プロやきゅうせんしゅになりたい」「サッカーせんしゅになりたい」「50メートルおよげるようになりますように」……1年生が書いたさまざまな七夕の短冊の中で、ふと目に留まったのが「おこだでませんように」というお願いでした。
たどたどしい字で一生懸命書かれた紙を見て「この子はどんな思いでこれを書いたんだろう」と、胸を突かれる思いでした。きっと、普段からよく怒られていて、それを悲しく思っているんだろう——そこから、物語が広がっていきました。
——主人公の「ぼく」は小学1年生。放課後は留守番をしながら小さな妹と遊ぼうとするが、決まって泣かせてしまう。学校では友人とうまく付き合えず、乱暴者だと思われている。「ぼくは どないしたら おこられへんのやろ。/ぼくは どないしたら ほめてもらえるのやろ。/ぼくは……『わるいこ』なんやろか……」。家庭でも学校でも「扱いにくい子」のレッテルを貼られ、傷ついてゆく男の子の心情がリアルに迫ってくる。
よく、「小学校の先生をしていたから、子どもの心が分かるんですね」と聞かれますが、教員であっても全員が子どもの気持ちを理解できているとは限らない。この短冊を実際に見たときに、さほど深くは考えない大人と「この子はどういう気持ちでこのお願いを書いたんだろう」とつらい気持ちに気付いてあげられる大人……2通りいると思います。子どもと接した経験の多寡よりも、子どもが出しているサインをどう汲み取るかのほうが大事なのではないでしょうか。
私自身、小さいころはよく怒られる子だったんです。「なんで大人は分かってくれへんのやろ」と思うことも多かった。どんな大人でもイヤだったこと、うれしかったこと……子ども時代の記憶は残っていますよね。絵本を作るときは、こういう自分の感情を一つ一つ丁寧に掘り起こすことで作品の中の子どもたちが生き生きと動き出すような気がしています。心のトレーニングも身体的なストレッチや筋トレと同じで、毎日続けないとなまってくる。心の深い部分に向き合い続けることで、物語を作る上で欠かせない想像力、心の柔軟性や持久力が生まれてくるのだと思います。
背景を浮かび上がらせる「絵本の力」
——「けれど、ぼくが なにか いうと、/せんせいは もっと おこるに きまってる。/だから、ぼくは だまって よこを むく。/よこを むいて、なにも いわずに おこられる」。「ぼく」は先生や母親に叱られると、悔しさとにじむ涙をぐっと堪えて、黙って横を向く。絵を担当した石井聖岳さんの表現にも心をぐっとつかまれる。
石井さんが描いた「ぼく」の絵を見たときに「これしかない」と確信したことを覚えています。男の子の気持ちが見るだけで伝わってくる。絵を担当してくださる方にはもちろんイメージを伝えますが、どう表現するかは基本的にお任せしています。こちらの予想を超えてくるような力のある絵を描いてもらえると本当にうれしい。作品の雰囲気にぴたりと合った絵に出合えるのが、絵本を作る醍醐味だと思っています。
もう一つ思い出深いのは、見開きいっぱいに男の子が書いた短冊が置かれたページですね。ここは実は石井さんにお願いして少し修正していただきました。ラフの段階ではきれいな鉛筆と消しゴムだったんですが、歯形が付いた鉛筆と割れた消しゴムにしてもらったんです。鏡文字になった「ま」、かじった跡のある鉛筆とかけらのようになった小さな消しゴム……テキストがない絵だけのページですが、主人公の男の子がふだん学校でどのように過ごしているのか、すぐに想像できます。
文章には書いていないことが読み取れるのも、絵本の魅力の一つですよね。たとえば家で留守番しながら妹の面倒を見ているシーンで、たんすの上に飾ってあるのはお母さんと男の子、妹の3人が写った写真です。ここからお母さんが一人で頑張って働きながら、2人の子育てをしている家庭だということが分かる。男の子の手元には『やさしいおりがみ』というタイトルの本が置かれている。妹が泣き出すまでは、本を見ながら一生懸命折り紙を折ってあげていた……そういう優しい心を持った子なんです。
「子どもの笑顔を守りたい」という祈りを込めて
——「おこだでませんように」の短冊に込められた「ぼく」の本当の気持ちに気付いてくれたのは、担任の先生だった。くすのきさんの絵本に登場する大人たちは皆、子どもの心にそっと寄り添ってくれる優しさがある。
『おこだでませんように』の先生をはじめ、私の作品に出てくる大人たちが持つのは子どもたちへの優しい視線です。たとえば、初めてかけるメガネに戸惑いを感じる女の子が主人公の『メガネをかけたら』(小学館)。この絵本には、子どもの気持ちを柔らかく解きほぐしてくれる先生が登場します。『ふくびき』(小学館)では、母親のためにクリスマスプレゼントを買いに行った幼いきょうだいに親切にしてくれる大人たちが物語を動かします。
読者から「こんな理想的な先生はめったにいない」「子どもたちを取り巻く現実はそんなに甘いものではない」といったご意見をいただくこともあります。でも、それは誰よりも私自身がよく分かっていることなんです。退職するまでの7年間は、特別支援教育のコーディネーターとして、学校全体の支援が必要な子どもにかかわってきました。障がいがある子、情緒的に不安定な子、虐待を受けている子……子どもたちの涙も、親たちのやるせない思いもたくさん見てきました。そんな現実を痛感しているからこそ、作品の中では子どもの笑顔を守りたいし、信じられる大人たちの存在を描いていきたいんです。
講演会などで『おこだでませんように』の絵本にサインするとき、私は必ず「○○さんのお願いがかないますように」って書くんですよ。七夕の時期、担当していた1年生の男の子に「一番のお願いごと」を聞いてみたんです。彼はひと言、「せんせい、ぼくの一番のお願いは……お母さんと一緒に寝たい」。そのふりしぼるような願いを聞いて、すぐに警察や行政と連携して、虐待を受けていた彼とお母さんを安全なところへ避難させました。学校を離れる彼に「きみのお願いは必ずかなうから。みんなでかなえるから」と、『おこだでませんように』に「○○くんのお願いがかないますように」と書いて渡しました。
この出来事から後、『おこだでませんように』のサインには名前を入れて「○○さんのお願いがかないますように」と書くようになりました。サインを贈った読者からは「あのときの願いごと、かないましたよ!」と報告されることもあったりして、うれしいですね。でも、それはその方がサインを見て、自分の願いごとを意識したからこそ、かなったんじゃないかな。今の自分が一番望んでいることって一体何だろう——子どもも大人も自分の心に向き合うことが、願いをかなえる第一歩になると思っています。