『風立ちぬ』は明治から昭和に生きた作家・堀辰雄の小説タイトルである。この名を聞けばスタジオジブリの宮崎駿監督がつくった映画を思い起こす人が今となっては多いかもしれない。私もその一人だ。映画は宮崎監督のオリジナルの脚本で、実在した零戦(ゼロ戦)の設計者・堀越二郎を軸にしながら、小説『風立ちぬ』の情景や人物描写からの着想を織り交ぜたものであった。「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」と書かれていた作品ポスターから宮崎監督の想いが伺える。私自身は映画を観たことで興味をもち、小説『風立ちぬ』を読むことになった。
この小説の舞台は山中にある長期療養のためのサナトリウム。病弱な節子と、彼女を愛し寄り添おうとする主人公の「私」との物語だ。物語は「私」の心象を軸に描かれており、日本の湿度や温度の変化を通して感じる四季、その色彩の繊細な移ろいに呼応するように人間模様が展開されてゆく。
たくみな心理描写と情景描写
高原にあるホテルで静かに絵を描くことを楽しんでいた節子は、徐々に病におかされてサナトリウムで療養することを自分の意思で決めて、そこへとおもむく。そして「私」も仕事を放り投げて付き添うことを決意する。「私」は愛する節子の近くにいられることに幸せを感じつつも、徐々に翳りをみせる彼女の病状を前に心が追い込まれてゆく。サナトリウムには他にも、重い空咳をつづける第十七号室の患者や、看護師の手を借りながら廊下を行き来していた「気味のわるい神経衰弱の患者」の大きな男など多くの患者がおり、それぞれが療養に励んでいた。
瑞々しい春の風景が季節に沿って冬の冷たい風に変わるにつれ、この患者たちは姿を消していくことが物語を救いのない、暗い話にも思わせてしまう。だが、日が暮れて夜が来てしまう心象風景ばかりを描かずに、そこには星があり、やがては夜が明けて朝が来る心象風景も堀辰雄は書き、ときどき節子の快復と「私」の感ずる幸せと希望を織り込んでくる。
風をめぐって
実はこの作品は堀辰雄の実体験をもとに書かれている。人は誰しも大切な人との喜怒哀楽の日常があり、不幸にしてそれを失ったとき、多くの人は追憶し、追体験をしながら徐々に自分のなかの世界でそれを腑に落とすことになる。堀辰雄の小説に圧倒されるのは、自身の辛い経験をモデルとして、それを多くの読み手に向けた物語へと発展させ、我々に訴えかけてくるエネルギーである。
その中でも象徴的に書かれている凛と力強い次の言葉がある。
「風立ちぬ、いざ、生きめやも」
この言葉はフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」を堀辰雄が訳したものとされているが、どうやら直訳だと「風が起きた、生きることを試みねばならない」。小説を読んだ後だと凡庸な響きに感じてしまう。
ある風が全身を吹き抜けた後に「よし生きよう」と人生が変わってしまうような経験、それはどのような経験であり、どのような風なのだろうか。自身に問いかけ、何故か自然のなかに立つ風が恋しくもなった。
さて、コロナ禍の日本において、ようやく県をまたぐことが公に許され、私、藤巻は実家の農業を手伝いに地元山梨に帰った。葡萄畑には葡萄の棚の中を吹き抜ける風があり、桃畑には若い桃の実の綿毛を揺らす風がある。植物の成長は人間の都合を待ってくれない。そこに朝早くから畑へくり出してゆく両親の姿があった。私は私のあるべき世界の中で頑張ろうと改めて誓った。音楽業界だけでなく様々な業界が悲鳴を上げているが、微風でも流れをとらえて、また風そのものとなって。
「風立ちぬ、いざ、生きめやも」
そんな風でありたい。