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お豆さん伝説 中沢けい

 築地市場の建物が取り壊され更地になってみると、築地場外に海の風が直接に吹き付ける。築地場外に行くといつも覗(のぞ)く豆屋さんも、海の風に晒(さら)されている小さなお店だ。小豆(あずき)、鶉(うずら)豆、隠元豆、ひよこ豆にレンズ豆。豆の種類は多い。

 父は豆が好きだった。

 房総の葬式饅頭(まんじゅう)は大人の掌(てのひら)くらいの大きさで、こし餡(あん)がぎっしり詰まっている。その大きな葬式饅頭を食べながら「これが粒餡だったらもっとよかったのに」と呟(つぶや)いていた。父の五十回忌の時、粒餡の薯蕷(じょうよ)饅頭を誂(あつら)えようかとちょっとだけ誘惑にかられたけれども思い止(とど)まった。

 煮豆も好きで、冬になると石油ストーブの上で豆を煮る鍋が湯気をあげていた。家の中に豆が煮える香りがあふれる。
 東京の街には豆を並べて売る豆屋さんがけっこうあったが、今は築地場外以外ではあまり見かけない。

 蚕(そら)豆の季節が終わると、枝豆が出てくる。十三夜の豆名月の頃まで、枝豆が食べられる。そのあとは大豆となり、昆布と一緒に煮豆にする。大豆を粉にひけば黄粉(きなこ)。お餅は海苔(のり)をまいた磯辺巻が好きだが、たまには黄粉の安倍川餅が食べたくなる。節分の豆まきで炒(い)った大豆を食べる頃には、そこはかとなく春の気配がしてくる。鬼の役は父と決まっていて、父の帰宅をまって豆をぶつけるのが楽しかった。調子に乗って豆をぶつけすぎ大騒ぎを繰り広げ、最後は鬼と子どもが一緒に母から叱られる場面が出現したこともあった。節分の豆は年の数だけ食べるものだと教えられた。年の数の炒り豆では満足できないのは言うまでもない。

 今年ももうすぐ枝豆の季節だ。

 近所のスーパーで玩具のかき氷機を買った。ラーメン屋さんのカウンターに置いてあったようなかき氷機を小さくした玩具で、専用の製氷皿もついている。かき氷を孫たちにごちそうしたいのだけど、どうも怒られそうな気がする。「そんな冷たくて甘いものを食べさせないでちょうだい。お腹(なか)をこわしたらどうするの」と。

 それでも、築地場外の豆屋さんで小豆を買いたい。茹(ゆ)で小豆をかき氷の上にのせ「あんたたちの曽祖父(ひいおじい)さんはお豆が好きだったのよ。お豆さんと呼んでいたのよ」と五十年以上前に亡くなった父のことを話してみたい。四歳、二歳、それから一歳の双子の孫たちは豆が好きだった曽祖父さんの話をどんな顔をして聞くのだろう。五十年以上前に亡くなった人の話など小さい人たちにとっては恐竜の話を聞くのとそれほど変わりがないだろう。ばばのする話は伝説みたいなものだ。私はかき氷をつくりながら、我が家の伝説を作ることを企てる。=朝日新聞2020年6月20日掲載