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藤野可織さんが読んできた本たち 作家の読書道:第218回

一人で本を読んでいる子ども

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 絵本が好きな子どもだったみたいで、幼稚園にあがる前、何冊も読んでもらわないと寝なかったそうです。『しろいうさぎとくろいうさぎ』や、『どろんこハリー』が大好きでした。それと、『よあけ』という、山間の場所の夜が明けていくだけのきれいな絵本がありましたね。そのあたりが、私が憶えているなかでは好きだった絵本です。
 幼稚園に行くようになると自分でも読んでいたと思います。今でも手に入るようなオーソドックスなものが多かったのですが、すごく好きだった武田和子さんの『魔女と笛ふき』は今はなかなか手に入らなくて。大学生だった20歳の頃に絵本などをたくさん処分したことがあったのですが、これは取っておきました。なのに家の中で行方不明になって古書で買い直したので、この絵本はうちに2冊あるはずです。

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――絵がきれいなものが好きだったのですか。

 それはありますね。『ねむりひめ』の絵本もいろいろな版がありますが、フェリクス・ホフマンという人が絵を描いた本がいちばん好きです。ちょっと怖い感じがあって、すごく素敵な絵なんです。

――小学校にあがると、児童書も読むようになりましたか。

 読んでいたんですけれど、あまり憶えていなくて。『トムは真夜中の庭で』はうちにあったので読みました。それと、世界傑作童話シリーズに入っている、マーガレット・マーヒーという人の『魔法使いのチョコレート・ケーキ』という本が好きでした。魔法使いが全然悪い人ではなくて、チョコレートケーキを作ってくれたりして。いくつかお話が入っていて、葉っぱが風にくるくる回っているうちに飼いたかった犬になる話なんかも好きでした。
 あとは学級文庫に真っ黒な装丁のポオの短篇集があったんです。呪われし本という感じの見た目で(笑)、残酷な話がたくさん入っていて。それをよく読んでいました。「落とし穴と振り子」とか「跳び蛙」とかが入っていました。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズもも全巻揃っていたので全部読みました。そういう本ばかりではなくて、林葉直子のちょっとエッチな少女小説もそこにあったので読みましたね。彼氏と一緒に温泉に入ってドキドキ、みたいな内容の(笑)。

――藤野さんはどういう子どもだったと思いますか。目立つ子だったのか、それとも...

 小学校ではいじめられて、3年生の時に学校に行けなくなったんです。周囲にあまり本を読む子がいなくて、そのなかで本を読んでいたのがいじめの原因だったんだと思います。私は運動神経がすごく鈍いので休み時間に外で遊ぶのも好きじゃなくて、本を読んで過ごしていたんですね。そうすると「暗い」とか言われる。先生も「あなたがこういうことに参加しないからいけないんだ」と言うタイプの人で、それで参加すると私ばかりボールを当てられる。それならやっぱり一人で本を読んでいるほうがいい、と思いました。
 あるとき親が「もう学校に行かなくていい」と言ってくれて。ジブリのアニメをたくさん借りてきてくれたので、ひたらすらそれを見ていました。4年生くらいになると一段落してまた学校に通うようになりましたが、そういう経験はひきずりますね。一生引きずります。それはしょうがない。

――それは辛かったですね。でも、読書が嫌いにならなくてよかった。

 他に楽しいことがなかったので。親も私を書店に連れていって、なんでも好きな本を買ってくれました。
 買ってもらった本でいちばん憶えているのは、荻原規子さんの『空色勾玉』と『白鳥異伝』。古代ファンタジーですね。中学生か高校生になってから三部作だと知って『薄紅天女』も買い、何度も何度も読みました。
 海外小説では『モモ』や『はてしない物語』を読みました。ローラ・インガルス・ワイルダーの『大きな森の小さな家』からはじまるシリーズは全巻読みました。『大草原の小さな家』のシリーズですよね。きれいな絵がついていて、夢中になりました。そういえば、『赤毛のアン』のシリーズも『アンの娘リラ』まで全部読みました。
 それと思い出すままに話しますと、佐藤さとるさんの『だれも知らない小さな国』からはじまるコロボックルのシリーズも好きでした。コバルトブルーのきれいな表紙だったのを憶えています。どの巻も面白いんですけれど、やっぱり最初のコロボックルの存在がまだ当たり前ではない状態の時の話が好きでした。

――小説以外でよく読んだものはありましたか。

 コミックの『タンタンの冒険』は結構好きでしたね。それと、植物図鑑というか、高原に咲く花のが分かるハンドブック的なものがうちにあったので好きで眺めていました。他には学級文庫に日本の歴史の漫画もよく読んでいたんですが、別に身についていないです。

――学校の教科書を読むのが好きだったりしませんでしたか。それと、作文は好きだったのでしょうか。

 教科書を読むのは大好きでした。授業を聞かないで国語の教科書ばかり読んでいました(笑)。作文は人前で読まされるのがどうしても嫌で苦痛でした。それがなければ好きだったと思います。

映画と時代劇とピアノ

――読書以外で、アニメとか映画とかゲームとか、何か夢中になったものや影響を受けたと思うものってありますか。

 ゲームはうちにはなかったです。なので、圧倒的に映画です。そんなにしょっちゅうではないのですが、親に連れていってもらっていました。たぶんいちばん最初に映画館で映画を観たのは、幼稚園の頃の「スター・ウォーズ」です。でも私、わけがわかってなくて、クライマックスのライトセーバーで闘うシーンで泣き叫んで、父か母に抱えられて外に連れていかれたんですよ。ライトセーバーが蛍光灯だと思ったんです。そんなぶつけあったら割れると思って「割れるー!」と泣き叫んだのを自分でも憶えています(笑)。あとは「ごんぎつね」のアニメ映画を観て可哀想すぎて号泣したりとか。
 もうひとつは時代劇ですね。親が観ていたから私もぼんやり観ていただけなんですが。ここ10年ほどはぜんぜん観なくなってしまったんですけど、それまでは時代劇を見続けながら人生を歩んできたといっても過言ではありません(笑)。大河ドラマも観ましたし、「遠山の金さん」とか「大岡越前」とか「鬼平犯科帳」とか、藤沢周平の『用心棒日月抄』をドラマにした「腕におぼえあり」とか、平岩弓枝原作の「御宿かわせみ」とか。もう少し大人になってからは、「木枯らし紋次郎」と勝新太郎の座頭市シリーズは全部見たと思います。杉良太郎の「同心暁蘭之介」とか近衛十四郎・品川隆二の「素浪人 月影兵庫」「素浪人 花山大吉」は大好きでした。テレビっ子だったんですが、見ているのは本当に時代劇ばかりでした。現代劇のドラマで見たのは「沙粧妙子―最後の事件―」と「ロングバケーション」くらい。

――藤野さんは一人っ子だそうですが、では放課後は家に帰って本を読んだりテレビを観ることが多かったのでしょうか。

 小学生のときはわりと本格的にピアノを習っていたので、だいたいピアノの練習をしていました。もともと自分から習いたいと言ったらしいんですけれど、それは憶えていなくて、いつのまにか習っているから弾いているのが当たり前、という感じになっていました。今なら音楽の良さが分かるんですけれど、その頃はきっと分かっていなかったと思います。小学校6年生で中学校受験することになったのをきっかけに辞めました。今はもう全然弾けないので、もったいないですね。

――その頃は、将来作家になりたいとは考えていなかったのでしょうか。

 幼稚園に入る前、親にねだって絵本を読んでもらっている頃から、将来はお話を書く人になるんだと勝手に思っていました。それが具体的にどういうことかはあまり分かっていなかったです。実際に何か書くこともしていなくて、授業で「この物語の続きを書きましょう」という課題でなにか書いたくらい。

――文章にしなくても、頭のなかでいろいろ空想するのは好きだったのでは?

 空想はしてました。一人っ子だからか分かりませんが、一人でじっと座って。それと、ピアノを習っていたからよくクラシックのコンサートに連れて行かせてもらったんですが、その間ずっと、ホールの壁にいっぱいついている吸盤のような吸音装置とか、すさまじい大きさの緞帳とかの間を、自分が小さい人になって冒険する姿を空想をしていました。小さい人になった私は「未来少年コナン」みたいに運動神経が良くてすごく楽しかったです。

小説、ノンフィクション、ホラー漫画

――さて、中学生になってからはいかがでしょう。

 オーソドックスに太宰治、谷崎潤一郎、三島由紀夫などを読んでいたんですけれど、深く読み込んだということでもなかったと思います。遠藤周作も読んでました。また、父が星新一さんの大ファンだったので家に真鍋博さんの絵が表紙の新潮文庫がたくさんあって、それを読みました。その頃からボロボロでしたけれど、今もボロボロのまま私が持っています。それから、世界の猟奇的殺人犯を一人ずつ紹介しているデアゴスティーニの「マーダー・ケースブック」を、お小遣いでめちゃめちゃ買ってました。こちらはボロボロになったから捨ててしまったんですが、今となってはすごく惜しいことをしたなと思っています。

――この頃はあまり海外小説は読まなかったのですか。

 『嵐が丘』とか『ジェイン・エア』、『風と共に去りぬ』などは読みました。『ジェイン・エア』を読んで、この人めっちゃ喋るなって思いましたね(笑)。ページをめくってもまだ喋っている。自分もお喋りな子どもでしたが、それにしてもこんなに喋るんだと畏怖の気持ちを抱いたことを覚えています。

――藤野さんの新作『ピエタとトランジ<完全版>』は探偵と助手の女性2人のバディ小説ですよね。シャーロック・ホームズのシリーズが頭にあったとおっしゃっていましたが、それはいつ頃読んだのでしょう。

 そういえば『シャーロック・ホームズの冒険』を読んだのもちょうど中学時代でしたね。アガサ・クリスティーも少しだけ読みました。でももともとシャーロック・ホームズはグラナダ放送のドラマをたぶん小学生のころから見ていましたし、ミス・マープルやポアロも圧倒的にドラマの方で親しんでいました。

――学校生活はいかがでしたか。部活に入ったりとかは?

 中学校でも教室内のカーストみたいなものはやっぱりあって、私は最底辺にいたし嫌な思いもしたけれど、それなりに気楽に過ごせたと思います。部活は、運動神経がめっちゃ悪いのに剣道部に入ったんです。時代劇が好きだったから(笑)。できたばっかりでちゃんとしていなさそうだからなんとかなると思ったのが間違いでした。高校では入りませんでした。

――高校時代はいかがでしたか。

 村上春樹さん、吉本ばななさん、山田詠美さんを読むようになりました。単行本は図書室から借りましたし、文庫を自分で買うこともありました。村上龍さんの初期の作品を読んだのもこの頃だったと思います。村上春樹さんはちょうど『ねじまき鳥クロニクル』が出た頃だったかな。私が読んでいたら母も読むようになって「面白いね」と言っていたんですが、ある日、「あのな、小説の中では16歳とか17歳で学校の裏で性体験とかするけれど、これは小説の中だけの話やからな。あんたとは何の関係もないねんで」と恐ろしい顔を戒められて、「なるほど」と思いました(笑)。

――国内小説が多かったのですね。

 そういえば中高生の頃にサガンを読んでいました。ベルナール・ビュッフェの表紙の文庫でした。今となってはなぜ読んでいたのか憶えていないんですが、『ブラームスはお好き』だったかな、恋人のいる女性が、すごく若い男から好かれてすごく押されて交際を始めるけれど、最終的には自分からふる形で別れるんですよね。去っていく彼を見ながら、自分ではなくふられて絶望している彼のほうが、これから素晴らしい人生が開かれていくのだろうという気持ちになっているところがなんだかすごくよかった気がします。

――小説以外もいろいろ読みましたか。

 小学館の『世界美術大全集』を読むのが趣味でした。学校の図書室にあって、大判の本で貸し出し禁止だったので図書室で広げていました。東洋編も西洋編も好きでしたが、西洋編のほうが文章もよく読んでいたと思います。深い考えがあったわけではなく、ただ美術が好きで、中学生の頃から美術館にもよく行っていたので...。
 高校時代の一時期は新書ばかり読んでいました。中公新書と岩波新書が多かったですね。美術系と心理学系と、法律系というか犯罪系のものをよく手に取っていたと思います。
 それから、雑誌で伊藤潤二さんの漫画を初めて読んだのもこのころだったと思います。楳図かずおはもっとあとでした。

――おふたりともホラー漫画家ですよね。そういえば、前に伊藤さんの展覧会か何かに行ったとおっしゃっていましたっけ。

 あ、サイン会に行ったんです!! 伊藤潤二さんの漫画はたぶん全部持っていると思います。楳図かずおは文庫サイズのものをちまちま買っていたら、そのうち祖父江慎さんの装丁で次々復刊されて、必死でそれも買い集めました。

大好きな俳優について

――この頃には、映画も自分で観に行くようになっていたのでは。

 映画は中学の頃からよく観に行っていました。新聞にうちの近隣の映画館の時刻表が載っていたので、それをハサミで切り取って赤鉛筆で印をつけて持ち歩いていて、中間テストと期末テストの最終日には絶対に映画を観にいくと決めていました。「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」とか「12モンキーズ」とか「ショーシャンクの空に」とか、バズ・ラーマン監督でディカプリオが主演の「ロミオ+ジュリエット」もこの頃に観たと思います。「タイタニック」は予告編を観てすごいアクション映画や、と思って観に行ったらなかなか船が沈まへんからちょっとイライラしました(笑)。今では船が沈むまでのところもすごく面白いなと思っていますけれど。

――アクション映画が好きだったんですね。

 子どもの頃から好きでした。テレビでも淀川長治さんが司会をされていた「日曜洋画劇場」でシュワルツェネッガーやスタローンの映画を観ていましたし。喜んで観るのはアクション映画か、あとは「エイリアン」とか、そんなんばっかりでした。

――シュワルツェネッガーやスタローンのことは「格好いい」というよりも「自分もこうなりたい」と思っていたそうですね。強くなりたかったという。

 そうなんです。彼らはいまだに私にとってはある種、神聖な存在です。男性性を煮詰めたような見た目なのに、私は彼らが男性だということに気付いていなかったというか。私にとっては性がない存在やったんですよ。性のかわりに、破壊があるんです。そこにすごく憧れていました。

――その頃はまだニコラス・ケイジの映画は観ていなかったのですか。藤野さんといえばニコラス・ケイジというくらいニコラス好きは有名ですよね。

 ありがとうございます、光栄です(笑)。高校生の時にはもう夢中になっていましたが、どこで夢中になったんかなあ...。(パソコンで検索しながら)16歳の時に「ザ・ロック」、17歳の時に「コン・エアー」、18歳の時に「フェイス/オフ」という、ありがたい青春時代を過ごしたので、そのどれかで心を捧げたことはまちがいないです。そうそう、アカデミー賞主演男優賞を受賞した「リービング・ラスベガス」もこの頃ですが、なぜかずっと観るチャンスがなくて、たまたま数日前に観たんです。観て本当にがっかりしました。ニコラス・ケイジのラリった演技はよかったんですが、映画自体が私にはぜんぜんだめで...。この映画がニコラス・ケイジのキャリアの頂点だということに納得がいきません。こうなったらもう一度もっといい映画で主演男優賞を獲ってもらいたいです。

――シュワルツェネッガーやスタローンではなく、なぜにニコラス・ケイジがいいのでしょうか?

 ニコラス・ケイジは彼らとは一線を画したところにいます。なんだろう、顔ですかね? あの顔やスタイルの美しさにはうっとりしますし、演技も本当にいつもすばらしいと思います。でも、なぜ私はジェイソン・ステイサムではないのだろうと思うのにニコラス・ケイジになりたいと思ったことはないですね...。ただただ、出てくると目が離せなくなるんです。

大学・大学院時代の読書と論文

――大学に入って読書に変化はありましたか。

 相変わらず村上春樹さんの作品などを読み続けていましたが、少しずつ海外小説を読むようになったと思います。『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』にも挑戦してみました。ただ、これはホラー映画にも言えることなんですが、キリスト教の信仰がないので登場人物たちに寄り添いきれないところがありました。
 アゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んだのも大学生の時で、これは本当に大好きです。折にふれて今でも読み返しています。

――『悪童日記』は戦時下の村で、双子がいろんな方法で互いを鍛え合って強くなろうとしますよね。藤野さんが好きそうな気がしました、今。

 そうなんですよ。続篇の『ふたりの証拠』『第三の嘘』と合わせて三部作ですが、第一作も充分悲惨な状況なのに、第二作ではもっと悲惨になって、第三作はもっと悲しくて、第一作がユートピアに思えてくるくらい。でもどれも好きでした。
 そういえばルナールの『にんじん』も大学生の時に読んだと思いますが、なぜかすごく好きでした。『ラマン』を読んだのも大学生の時かな。ジャン=フィリップ・トゥーサンは表紙がおしゃれで格好よくて手に取ったと思います。『浴室』だったか、最初と最後が同じだったりして、そういう形式の美しさが好きでした。カポーティを読んだのも大学生から大学院生の頃ですね。『冷血』とかが好きで。それから野坂昭如訳の『カメレオンのための音楽』は本当に好きでぼろぼろになるまで読みました。最近、どうしても見つからなくて買い直したらその途端にボロボロなのが見つかったのでこれもうちに2冊あります。
 それと、4回生の時に、友達が読んでいて面白そうだったので内田百閒を読んでみたらめっちゃ面白いやんとなって大好きになりました。ちくま文庫から「内田百閒集成」が出始めていたので、学生にはきつい出費でしたが揃えていきました。短篇は夢みたいな話が多くて、「これ私が見た悪夢かな」と思えて面白かったです。短い話では「豹」が好きですが、いちばん好きなのは少し長めの「柳検校の小閑」です。目の見えないお琴の先生が教え子に恋をしているんですが、すごく切なくて悲しい話なんです。今でも思い出したら胸がえぐられるような気持ちになります。

――専攻は美術系でしたよね。専攻に関わる本で印象に残っているものなどはありますか。

 文学部の美学および芸術学を専攻しました。実践ではなく、研究して美術評論を書く分野ですが、そんなに研究できている大学生ではなかったです。私の研究には直接関係なかったんですけれど関連書籍で憶えているのは、川村邦光さんの『オトメの行方 近代女性の表象と闘い』『オトメの祈り 近代女性のイメージの誕生』『オトメの身体 女の近代とセクシュアリティ』ですね。これは面白かったので、うちにまだとってあります。それから、作家になってからなんですが、加賀野井秀一『猟奇博物館へようこそ』も大好きな一冊です。小池寿子さんの本もちょこちょこ読んだりしています。最近では、笠原美智子『ジェンダー写真論 1991-2017』がとても面白かったです。

――藤野さんは大学院にも進んでいますよね。前に「論文を書く時に美術作品を文章で描写しなくてはいけなくて、それが訓練になった」というようなことをおっしゃっていましたよね。

 学芸員になろうと思って大学院に行きましたが、その時についた先生がすごく文章に厳しい人だったんです。論文を書くためには、論じるに値する問いを立てなければ体裁が整わないわけですが、問いを立てるためには、研究対象である視覚芸術において、何がどのように描かれているのか(あるいは撮影されているのか、造形されているのか)を、過不足なく文章で描写しなければいけない。逆にいうと描写することができればおのずと立てるべき問題が明らかになる、ということを言う先生でした。実際に私もやってみてその通りだなと思いました。だからあの2年間は美術の勉強をしたというより、文章の書き方を勉強した2年間だったなと思っています。小説と論文は全然違うものだとは分かっていますが、今でも私が身に着けたと思っている論文の書き方で小説を書いているなと思うことがあります。

――学芸員になりたかったということですが、小説家になる気持ちはもうなくなっていたのでしょうか。

 気持ちはあったけれど、それは自然発生的に勝手になるものだという、わけのわからないことを思っていて。いよいよ修士を終えて自分の職業を決めきゃいけないという24歳くらいになってはじめて「あ、私物語を書く人になってなかった」と気がついたんです。大学ではカメラクラブに入って、ちゃんと習ってはないけれど勝手に写真を撮っていたので、就職は編集プロダクションのスタジオカメラマンの仕事に決まっていたんです。でも自分でも、その仕事は続かないだろうなという気がしていました。そのまま正月が明けて、修士論文を出さないといけないとなった時に、「学芸員にはなれへんかったしこのまま大学院残って研究者目指すには脳みそが粗末な感じやし何もなれへんかったな」と思っていた時に、「そういえば物語書く人になってへんけど、それかてなろうとせんかったらなれるわけないやん」って、やっと気づきました。(笑)。それで修士論文を書きながら文芸誌を買ってきて、小説を書いて新人賞に応募したんです。

――はじめて小説を書いてみて、すんなりとできましたか。

 論文を書くのが嫌すぎて逃走として小説を書き始めたので、楽しく書けた気がします。最初に文藝賞に応募したら二次予選まで行ったので「これ、いけるわ」と思って(笑)、その後もう一回文藝賞に出したらあかんくて。そうしたら文學界新人賞が年に2回募集していると知って、年1回より年2回定期的に出したほうがそのうち当たるんちゃう? と思って文學界に応募して、2回目で受賞しました。(編集部注:2015年度以降は年1回の募集)

――その頃に読んでいた本といいますと。

 修士論文を書いていた頃にはガルシア=マルケスあたりを読みはじめたころじゃなかったかなと思います。ラテンアメリカ文学にはじめて触れて、私とは違った文法でものを見ていて、そのやり方がすごく面白いなと思いました。
 それと、『私は幽霊を見ない』にも書きましたが、私、怪談実話をかなり読んでます。新人賞を獲るかとらないかくらいの頃に急に『新耳袋』を全巻買って読んで、夢中になりました。今でも好きです。1話1話が短いので、隙間時間にiPhoneで片手でさっと読んだりしています。たまにものすごく面白いものがあるので、そういうのを探し求めています(笑)。

各国の小説、そして自身の新作

――作家デビューしてから読書の傾向は何か変わりましたか。

 読書量は多くないけれど、できるだけ海外文学を読もうと思って。当時から短篇集が好きでした。
 岸本佐知子さんが翻訳されたものは外れがないですよね。アンソロジーの『居心地の悪い部屋』や『コドモノセカイ』もすごく好きだし、最近翻訳されたルシア・ベルリンの短篇集『掃除婦のための手引き書』もすごく面白かったです。それと、ジュディ・バドニッツの『空中スキップ』がめちゃめちゃ好きなんですよ。バドニッツの『元気で大きいアメリカの赤ちゃん』も好きです。

――好きな作品の傾向ってありますか。

 やっぱり私はなぜか怖いことがいいことだと思っていて、多少怖いほうが私の中の評価が高くなります。だからシャーリー・ジャクスンやミュリエル・スパークもすごく好きで。アンナ・カヴァンも最近新たにいろいろ出ているので全部買いました。読むスピードが遅いので刊行スピードに追いつかないんですけれど。
 それから、デニス・ジョンソンの『ジーザス・サン』が本当に本当に好きで、だから『海の乙女の惜しみなさ』が出て小躍りするくらいうれしかったんですが、でも実はまだ読めてないんです...なんだか、読んだら読み終わっちゃうやんと思って...当たり前のことを言っていますが...。
 ラテンアメリカ文学はガルシア=マルケス以外はコルタサルも好きでした。去年フアン・ルルフォをはじめて読んだんですが、『燃える平原』がものすごく面白くてびっくりしました。『ペドロ・パラモ』も面白かったです。

――コルタサルはアルゼンチン、ルルフォはメキシコの作家ですね。

 そうです。でも、そうした作家とは別に、オールタイムベストの小説がありまして。カーソン・マッカラーズの『悲しき酒場の唄』です。あらゆる本の中でいちばん。主人公のミス・アメリアという女性は、頑丈で背が高くて店の経営もできるしちょっとした工事なら自分でしちゃうし、誰の助けも要らないという、私からみて完璧な人なんです。実際この人自身も愛想が悪かったりして、他人を必要としていない。その完璧な人が人を愛してしまうことによって完璧でなくなってしまうという、とっても悲しい話なんです。
 ミス・アメリアはハンサムな男に言い寄られて一回結婚するんですが、ゴミみたいな扱いをして追い出すんですね。その後に出会った、風采の上がらない、性格もぜんぜんよくない男をなぜか愛してしまうんです。男性と女性の間やったらふつうはこういう愛情やろう、と周囲が漠然と期待するような愛情とはどこかちがうんですが。一方元夫のハンサムな男はしばらく刑務所に入っていたんですが、ミス・アメリアへの憎悪をたぎらせて街に戻ってくるんです。でもなぜかそこで三角関係が生まれてしまって......。カーソン・マッカラーズは『結婚式のメンバー』もすごく好きなんですよね。

――ああ、『結婚式のメンバー』は村上春樹さんの新訳が刊行されていましたよね。

 この『悲しき酒場の唄』もぜひ新訳で出してほしい......いえ、西田実さんの訳が適度にかたくて読みやすいので、このままで復刊してほしいです。

――普段、本はどのようにして選んでいますか。

 書店に行って見て選んだり、あとはツイッターで流れてくる本もよく買います。いろんな出版社がツイッターで本の宣伝をしているので便利です。やっぱり海外文学を買うことが多いですね。

――ここ最近で、面白かった本は。

 エトセトラブックスから出たカルメン・マリア・マチャドの『彼女の体とその他の断片』がすごく面白かったですね。
 現代黒人作家のナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーの短篇集『フライデー・ブラック』や、マヤ語先住民族女性作家のソル・ケー・モオの『女であるだけで』も良かったです。この『女であるだけで』は国書刊行会が打ち出した「新しいマヤの文学」という新シリーズの第一弾らしくて、私、そのシリーズにはとても期待しております。それと、アルゼンチンの作家のサマンタ・シュウェブリンの『七つのからっぽな家』。この人の『口のなかの小鳥たち』がすごく好きだったのに新作が出たことに気づいていなくて、去年、江南亜美子さんと山崎まどかさんと大阪でトークイベントをした時、前の夜にそれぞれが挙げたお薦め本のリストをもらったので見ていたら山崎さんが「『七つのからっぽな家』は『口のなかの小鳥』の作者で...」というようなことを書かれてらして、「まじか!」と思って慌てて読みました。
 ここ数年、韓国文学やフェミニズムの本がたくさん出ていて、読みたいものがたくさんあります。でもまったく追いついていなくて...。最近、チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』を読みました。すごく面白かったです。キム・グミの『あまりにも真昼の恋愛』や、ペク・スリンの『惨憺たる光』も好きです。

――1日のなかで、執筆時間や読書時間は決まっていますか。

 全然決められずにいます。4月から子供を保育園に行かせる予定だったのですが、新型コロナウイルスのことがあって登園させられないこともあって。ここ1、2年はもともと遅かった読書のスピードがさらに落ちてしまいました。

――新作『ピエタとトランジ<完全版>』は、事件を誘発してしまう体質でありつつ天才的な推理能力でそれを解決していくトランジと、彼女の助手となったピエタという女性2人のなんともはちゃめちゃな物語。章を追うごとに彼女たちが年を重ねていくなかで、世界も次第に終末の様相をおびてきて、なんともダイナミックな展開に。今、大評判になって、いろんなところで取り上げられていますね。

 いろんなところでいろんな方が紹介してくださっていて、本当にびっくりしています。ピエタとトランジのことを好きになってもらいたかったのでとてもうれしいです。すごく幸運な小説だなと思っています。

――今、新型コロナウイルスのことで世の中が大きく変わりつつありますが、今後の藤野さんの創作にも何か影響はありますか。

 この経験を踏まえないで書ける小説と、経験した上でのことを書くべき小説と、ふたつのタイプがありますよね。また、取り入れるにしてもどのレベルでそれを取り入れるかという問題もあります。小説を書くということは、作業としては、ある程度完了している情報のまとまりを提示する、ということだと思うのですが、ふだんから私はずっとその難しさに四苦八苦してきました。それは、本当はぜんぜん完了なんかしていない物事を、選別して止めを刺すことでもあるので。このごろは、いつもよりさらにそれに四苦八苦しているのはたしかです。たぶん解決はしないと思います。このまま四苦八苦します。

――では、今後の刊行予定などは。

 7月に本が出ます。これまでいろいろなところで書いた短篇19本と書下ろし1本の、合計20編が入った『来世の記憶』という短編集が、KADOKAWAから出る予定になっています。

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