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馳星周「少年と犬」 旅路の交流と死、哀切な叙情

 デビュー当時から、馳星周はノワールものを本領としてきたが、近年は海外や山岳を舞台にした、新たな世界に領域を広げつつある。何度も直木賞を逃しながら、常に挑戦的な姿勢を忘れなかった努力が、今回の受賞につながったといえよう。

 受賞作『少年と犬』は、これまでの馳作品と、いささか趣が違う。一匹の野良犬が、次つぎに飼い主を変えながら、何かを捜し求めて東北から九州まで、苦難の旅を続ける姿を描いた、愛犬家らしい叙情的な佳作だ。

 旅の過程で、飼い主は〈男〉〈泥棒〉〈夫婦〉〈娼婦(しょうふ)〉〈老人〉〈少年〉と、そのつど入れ替わっていく。ともに暮らす短いあいだに、犬と飼い主のそれぞれの交流が、淡々と綴(つづ)られる。ジャック・ロンドンの小説のように、犬の視点で物語る箇所は、一つもない。あくまで、人間の視点から犬の姿を、主観的に描いていく。安易に、犬の心理描写をしないところに、作者の確固とした表現の意図が、おのずと見てとれる。

 母親の介護費用に窮した若者が、窃盗団の運転手役を引き受ける第一話から、犬がときに別の名前で呼ばれながら、終始狂言回しを務めていく。馳星周の、従来の作風とは異なるこの技巧には、少なからず驚かされた。どの作品にも死や、死の予感がからんでくるのは、作者の死生観を物語るものだろう。ちなみに、五作目の「老人と犬」は、これまでの作風からすれば、凄絶(せいぜつ)な戦いによる死を予想させるが、それがみごとにはずれたのには、意表をつかれた。

 短編集ながら、そこに描かれる人間模様は多彩で、その中から犬の心意気が立ち上がる構成は、みごとな手際だ。

 最後の、表題作「少年と犬」で、これまで謎だった犬の不可解なしぐさが、初めて明らかにされる。哀切な締めくくりではあるが、作者の犬に対する愛情と畏敬(いけい)の念があふれて、間然するところがない。
 書き盛りの作者には、さらなる飛躍が期待できるだろう。=朝日新聞2020年8月1日掲載