ふんわり焼かれた錦糸玉子を麺にからめ、たっぷりとスープに浸して食べる。こんなに美味しいものが他にあるだろうか。決して大げさではなくそう思った。いつも食べている冷やし中華とはまるで違う食べものだ。かすかに酸味があるものの、酸っぱいというほどではない。鶏の出汁なのだろうか。あっさりとした味わいながら、塩ラーメンのようなコクもあり、なんとも不思議な食べものだ。それより何より、一番不思議なのは、この冷やし中華が懐かしくてしかたがないことだ。(『鴨川食堂 おまかせ』より)
日本の夏麺といえば「冷やし中華」! さっぱり醤油ダレにコクのあるゴマダレ。マヨネーズをかけて食べるなど、「MY Best冷やし中華はこれ!」というものがある人も多いのではないでしょうか。今回ご紹介する作品に登場するのは「酸っぱくない」冷やし中華です。現在7作まで続いている「鴨川食堂」シリーズは、京都の東本願寺近くに店を構える板前の父とその娘が、依頼者の「思い出の食」を探す、探偵事務所兼食堂です。作者の柏井壽さんにお話をうかがいました。
奄美大島で食べた「鶏飯」が印象的で、アイデアが生まれた
——元刑事で「鴨川食堂」板前の父・流と、その娘で探偵事務所の所長を務めるこいし。この名(?)親子コンビ誕生秘話と、本作を描いたきっかけからお聞かせください。
「柏木圭一郎」というペンネームで、京都の旅情長編ミステリー「名探偵星井裕の事件簿」シリーズを刊行した時から短編小説を書きたいと思っていました。長編小説の時も京都と食がカギになっていましたので、短編も京都を舞台にして、食をテーマにしようと決めていました。今は店仕舞いしてしまいましたが、東本願寺の近くに「大弥食堂」という食堂があって、そこが「鴨川食堂」のモデルになっています。その店ではおばあさんと息子さん二人で切り盛りしていたのですが、それを父と娘に置き換えたものが本シリーズです。
——「鴨川食堂」にはお客様にお出しする「おまかせ」をはじめ、毎回たくさんのお料理が登場します。以前、柏井さんが「食事に行った際は、小説用のメモは一切とらない」とおっしゃっていた記事を拝見したのですが、あれだけ鮮明に(しかも味わいの表現の的確さ!)食べ物を描写される秘訣があれば教えてください。
お店でメモを一切取らないのは、取材っぽくなってしまうからです。お店側も緊張するでしょうし、周囲のお客さんにも違和感を与えてしまいます。隙を見てシャッター音がしないデジカメで写真は撮りますけど、もちろんお店側にも周囲のお客さんにも許可をいただきますが、雰囲気を壊すようなら撮りません。写真を見るとその料理の味を思い出しますし、レシピも浮かんできます。流と同じですね。
——酸味が苦手だった孫のために、おばあちゃんの思い出の地である奄美大島の郷土料理「鶏飯」をアレンジしたのが「酸っぱくない冷やし中華」です。このアイディアは、柏井さんが考案されたのですか?
「鴨川食堂」がドラマ化されたとき、主題歌を歌ってくれた「カサリンチュ」というデュオの二人が、奄美大島の笠利町出身なんです。彼らの故郷を訪ねてみようと思い、奄美大島へ行った時、もっとも印象に残った料理が鶏飯でした。丼のような、お茶漬けのような、汁かけご飯のような、かやくご飯のような、変幻自在というか、ジャンル分けが難しい料理だったことが非常に印象的でした。九州のような、沖縄のような、どちらでもない奄美大島という島とイメージが重なったことで強く印象に残りました。色々なお店で鶏飯を食べましたが、どこでも載っている具が冷やし中華に似ているなと思ったことから「奄美出身の人なら、これを冷やし中華にアレンジするんじゃないか」と思ったのがきっかけです。早速家に帰って作ってみたらとても美味しかったので、物語に仕立てました。
——「冷やし中華」の思い出を教えてください。
冷やし中華は、京都では冷麺と呼ぶのですが、夏になると母や祖母がよく作ってくれました。近所のうどん屋さんが夏になると「冷麺はじめました」とチラシを配ったりしたので、出前でよく取ったりもしていました。甘酸っぱいタレの味が子ども心にも新鮮な感じがしましたね。辛子を初めて食べたのも、冷麺だったように記憶しています。
——この「酸っぱくない冷やし中華」のように、記憶に残っている味を辿ってみれば、どこかの郷土料理をアレンジしたものだったといったような食べ物はありますか?
例えば、長野県伊那地方のローメンや、福井県のソースカツ丼などは記憶に残っている食べものと同じでした。ローメンは京都の老舗中華屋さんのメニューにある「からしソバ」とよく似ていますし、福井のソースカツ丼は、ソースと言いながら天丼のツユのような味に、どこか懐かしさを覚えましたね。カツを天ぷらに変えれば、近所のうどん屋さんで食べた天丼とよく似ていたのです。
——「からしソバ」は初めて聞きました!メニュー名は違うけど、似たような食べものが日本のあちこちにあるって、面白いですね。そしてもう一品気になったのが、奄美や沖縄で飲まれているという「花田のミキ」という発酵飲料です。栃木の「レモン牛乳」や、北海道の「ガラナ」など、その土地で愛されている「ご当地ドリンク」にも興味津々なのですが、京都にはそのような「ご当地ドリンク」はありますか?
京都という街が全国区なせいか、取り立ててご当地ドリンクと呼べるようなものはありません。ご当地ドリンクというわけではありませんが、旅に出ると必ずその土地だけのブランド牛乳は探して飲むようにしています。小説にも登場させましたが、信州の「オブセ牛乳」は美味しかったですね。「オブセ牛乳」を使った「みるくもち」や「いちごもち」、「ゴ―フレット」などのお菓子もインパクトがありました。
「花田のミキ」は、飲む前に想像していたとおりの味でした。名前は失念しましたが、子どものころに飲んでいた乳酸菌飲料と同じで、酸味より甘みが勝っていたように思います。
——「思い出の食・味を捜してほしい」という依頼の中には、その結果が前向きなものばかりではありませんよね。依頼した人が思い出の味を再び味わうという事が意味するもの、流とこいしがその味を捜す手助けをする理由を教えてください。
人はいつも「思い出」という旅をしているのだと思います。その中には苦い思い出もあるでしょうし、思い出したくないこともあると思いますが、それも含めて自分が歩んできた道ですし、ときには振り返ることも大切なのでしょう。流とこいしがそれを捜しだしてきて、それをきっかけにして前に進むこともあれば、立ちどまったり、後退することもありますね。必ずしも前に進むことだけが人生ではない。それはきっと、流が歩んできた道筋で得たものだと思います。いずれにせよ、人生の節目節目で出会った食は、生きる喜びを倍加させ、哀しみを半減してくれるものと確信しています。
——柏井さんが「捜してほしい味」はありますか?
やはり幼少期に食べたものですかね。夜店のりんご飴とか、友だちのお母さんが作ってくれたお茶漬けとか。遠い日の記憶は妙に美しいもので、味も含めてとても曖昧なのですが、それゆえ、もう一度食べてみたいと思うのでしょう。おぼろげながら、その時に露店のオヤジさんや友だちのお母さんと交わした会話を懐かしく思い出し「もう一度会って話してみたいな」と思ってしまうのです。