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映画「窮鼠はチーズの夢を見る」原作者・水城せとなさんインタビュー ファンタジー化しないリアルな恋愛会話劇

文:横井周子 ©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

女性のためのファンタジー化された男性ではなく、リアルな男性像を

――まずは映画化おめでとうございます。映画をご覧になって、いかがでしたか。

 一本の映画として良い作品になっていたなっていうところがうれしかったですね。映画化ってやっぱり、一旦新しい別のものになることだと思うんです。マンガと映画ではストーリーの終わり方も違うし、エピソードの順番も違う。そうするとシーンの持つ意味や解釈も変わってきますが、作品の本質は生かされているんじゃないかなと感じました。映画は映画、マンガはマンガでいいところがあると思うのでそれぞれで楽しんでいただけたらうれしいですね。

――原作となった窮鼠シリーズは多くの読者から長年愛され続けている作品で、これまでにも様々な映像化のオファーがあったと聞いています。

 はい。いろんなお話をいただく中で今回お引き受けした理由は、監督も男性ですし、美化せずにリアルな男性像を描いていただけそうだなと感じたからです。キャスティングに関しては完全におまかせでしたが、恭一さんにしても今ヶ瀬にしても、良いところもダメなところも美化しないで生身の人間として描いてもらいたかったんです。男性同士の関係だからといって、ファンタジー化された性愛描写にはしないでほしいという思いがずっとあったので。

©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

――実際に恭一役の大倉忠義さん、今ヶ瀬役の成田凌さんの演技をご覧になってみて、いかがでしたか。

 恭一さんは逸脱しない生き方や表現が普通だと思っている人。浮気をする時も、浮気相手と本命をはっきり分けていて絶対に浮気相手を家に入れたりしないタイプというか。流されながらも、どこかで自分を抑制してうまいこと「普通」の境界線を引き続けてきた人なんですね。大倉さんも、役者さんとして感情のままにというよりは、すごく考えて自分をコントロールして演じられている印象がありました。その抑制的なところが私の中にある恭一さん像と重なって、すごく自然に感じましたね。

 今ヶ瀬に関しては、映像化で「こうなってほしくない」っていうイメージだけははっきりあったんです。成田さんはその「こうなってほしくない」ところを見事に避けて演じてくださって(笑)。今ヶ瀬ってかわいいけど本当にめんどくさい奴じゃないですか。

――好きな人のスマホ、勝手にチェックしますしね(笑)。

 そうそう。恭一さんが今ヶ瀬のためにどんなにがんばっても「もう別れる」って急に出て行くし、なのにしばらくすると「やっぱり好きだ」って戻ってきたりして。今ヶ瀬は自分だけが傷ついている気でいるけど、結構人を傷つけることもしているんです。
 おそらく少女マンガ的に読むと、恭一は浮気してるから悪い男で、今ヶ瀬はイケメンのゲイで恭一には一途だからいい、っていう解釈になるんですよね。でも今ヶ瀬だって他の男と遊んでいて結構だらしないし、かわいいけどイラっとさせるところもある。成田さんのお芝居ではそういうリアルな空気をちゃんと滲ませてくださって、観ていて「ああ、よかった」って思いました。

©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

「私だったら……?」と置き換えて創ったストーリー

――窮鼠シリーズ第一作「キッシング・グーラミー」の雑誌掲載は2004年。レディースコミックという大人の女性向けジャンルで発表されています。着想はどのようにされたのでしょうか。

 「男性同性愛者の話を」という依頼だったので、最初は「自分がもし同性愛者の女性にアプローチされたらどういう風に思うだろう……?」というところから考えていきました。
 恋愛ってどうしても性欲を伴うもので、良い・悪いではなく、それぞれが生まれついて持つ性的指向がある。私の場合は男性にしか恋愛感情を持てないので、どんなに綺麗で性格が良くて合う人でも女性には性欲は感じない。でももし相手から「それでもいいから一緒にいて」って言われたら、「じゃあ今彼氏もいないし、いいか」ってことはありえると思うんですよ。男女のカップルだって恋人から最終的には親友のようなパートナーになったりしますよね。恋愛の過程を飛び越して相方になるという考え方はできるはずなんです。ただ、相手は本当に「それでもいい」と思ってくれるんだろうか?と。
 相手がその関係性で本当に満たされていればうまくいくかもしれないけれど、結局「あなたは私のことなんて本当には好きじゃない」ってキレられた時に私から「それは違う」とは言えない。そうなったら「ごめんなさい。じゃあもう別れるしかないね」って言うしかないし、それが愛情表現かなあと。そんなことをいろいろ考えて、トレースしてできたのがこの物語ですね。

(C) 水城せとな/小学館

――そういう作り方だったんですね。依頼は「ゲイとSM」、そして「激しくエロく!」だったとか。

 最初の一話に関してはとにかくエロいマンガを描いてくれと。即セックスする話を描いてほしかったらしいんですけど、私の中ではエロと即セックスは真逆なんですよ。知り合っていきなりセックスする段階で全然エロくないじゃないですか、その話。

――確かにそうですね(笑)。

 すぐにセックスする話も考えたんですけど、やっぱりおかしい。自分に置き換えて考えてみても、そんなに簡単にするセックスは絶対遊びだし、ストーリーとしてエロくない。その気持ちがどうしても引っかかったんですよね。即本番をしないかわりに別の形でエロスの表現をするからってお願いして、一話目を描きました。
 その後運良く二話目を描く機会をいただいて、多分編集者は「今回こそやってくれるはず」って考えてたと思うんですけど(笑)。私は片方がものすごくしたいのにもう一人は「えー、でもなぁ」っていう話の方がエロいんじゃないかなって考えたんですね。だって、一度してしまったらその後はもうずっとそういう仲ですけど、するまでの関係は二度と経験できないんですよ。だから途中過程を丹念に描きたかった。

人生を変えるような、大きな意味での愛

――『失恋ショコラティエ』にしても連載中の『世界で一番・俺が〇〇』『黒薔薇アリス』にしても、水城さんの作品では緻密な心理描写と構成の妙にいつも引き込まれます。短編として発表されていった「窮鼠シリーズ」も二人の長いストーリーが最初から頭にあったんですか。

 二話目にあたる『楽園の蛇』を描いた時には、最終話『俎上の鯉は二度跳ねる』のラストシーンまで頭の中にストーリーができていましたね。連載ではなく一話ずつ発表していたので保証はなかったんですけど、単行本二冊位のストーリーだから最後まで描けるといいなと思っていました。

(C) 水城せとな/小学館

――頭の中にラストシーンまであったんですね……!

 そうですね。この話があって、前後にこういうシーンがあって、順番も決まっていて、最後はこのシーンでこのセリフを言って終わるっていうのがもう頭にありました。
 伏線と呼ばれるものなんでしょうけど、私の場合は演出的に最初から色々匂わせたいんですよね。描き落としちゃったらもったいないと思うので、設計図を作ってしっかり描きたいタイプです。

――読み返して表情の意味を考えたりするのも、水城さんのマンガの楽しみのひとつですね。

 あ、そうですね! 後で読み返す楽しみがあるといいなって思ってます。

――「窮鼠シリーズ」はこれまでにいくつかのエディションがでています。2020年4月には描き下ろしのストーリーや修正を加えられた「リブートエディション」、『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』を一冊にした「オールインワンエディション」が発売されました。このシリーズに関して、またいつか続きを描く可能性はありますか。

 それはないかなあ! 『俎上の鯉は二度跳ねる』の雪のシーンでやっぱり完結ですね。
 今ヶ瀬は最後まで恭一さんのことをわかってないと私は思うんですよ。大恋愛ではあるけど、やっぱり今ヶ瀬にとってはただの恋愛で、本当の意味で人生が変わるような出来事ではない。恭一さんのほうは男とやっていけるのかって考えながら、いろんな壁を越えなければいけなかった。だから、根本的に重みが違うんです。その距離感をマンガのラストには込めたつもりです。
 恋愛にかぎらず大きな愛として考えると、結局恭一さんの方がたくさん愛する羽目になっている。そこまでの覚悟を込めた終わり方をしているので、この先はいらないかなと。今ヶ瀬目線だと普通のラブストーリーだから、読者さんは今ヶ瀬のほうに共感しやすいと思うんですけどね。恭一さんの立場になって考える人ってあまり多くないんです。

(C) 水城せとな/小学館

言葉と言葉のバトルをマンガにした

――過去のインタビューではこのシリーズはご自身にとってもエポックメイキングだったと仰っていましたが、どんなところが特別でしたか。

 「窮鼠シリーズ」までは中高生向けの少女マンガ誌で書いていたので、主人公を中高生にしなければいけなかったんです。それが当たり前だと思ってずっと描いていたので、しんどいということに気づく機会すらなかった。でもいつも「私は大人だからこう思うけど、高校生ならこれくらいかな?」と考えながらマンガを作っていて、自分の中にどこか食い足りない思いがありました。それが「窮鼠シリーズ」で初めてレディースコミックで描くことになって30歳くらいの主人公を描いてみたら、ものすごく楽だったんですよ。これはエポックメイキングでしたね。

水城せとなさん

――大人の主人公に対する開眼があったんですね。

 あと、「窮鼠シリーズ」は会話劇を意識して描いたということも大きかったですね。
 マンガって1ページのコマ数やセリフ量について基本のセオリーがあるんです。それまではその基本的なセオリーをきっちり守らなきゃと思ってやってきたんですよ。もともと私は映画でも会話劇が好きだったけど、マンガだからセリフを短くしなきゃいけないよねって。でも「窮鼠シリーズ」は読者さんも大人だし、マンガも本なんだから、小説を読むように言葉をいっぱい読み込むマンガがあったっていいじゃないって思って描いたんですね。
 そうしたらもう、自分がとても楽しかったんですよ。大人が主人公で会話劇だと私はこんなにマンガを描くのが楽しいんだ、これだ!って。そういう発見をできたのも「窮鼠シリーズ」のおかげですね。

――すごく幸せな作品ですね。

 本当に。描いてて楽しかったですね。
 マンガを描く作業の中では、私はお話そのものより、人から出てくる言葉を書くことが一番好きなんです。「窮鼠シリーズ」に関しては、ああ言えばこう言うっていうのをこれでもかってくらいやりました。言葉と言葉のバトルですよね。だから私はこのマンガを「戦さ場」だと思ってるんです(笑)。

――「戦さ場」! 最後に、特に思い入れのあるシーンを教えてください。

 万人に伝わるシーンじゃないと思うんですけど、『俎上の鯉は二度跳ねる』の中で、再会した今ヶ瀬と恭一さんが家でコーヒーを飲みながらぶつかり合うシーン。今ヶ瀬に「もううんざりだよ……!」と言いながらも、恭一さんがコーヒーを淹れ直してあげていたり。意味がわからないかもしれないんですけど、それまでずっと翻弄されるだけで受け身だった恭一さんが、あのシーンでは逆に今ヶ瀬を試しているんです。1シーンの中でそういう感情とか力関係の変化を描いていて、意味がわからないと感じる方も多いかもしれないんですが、あまりこういうマンガってないんじゃないかなと思ってます(笑)。

(C) 水城せとな/小学館

――言葉と言葉のバトルの象徴的なシーン。とてもリアルなやりとりですよね。

 そう、リアルな戦さ場。恭一さんの本音を、わかる人にはわかるように入れながら描いたつもりなんです。今ヶ瀬もだらだら泣いてすがったりしてるけど、ちょっとずつ恭一さんの意図に気づいていく……。私はかなり気にいっていて、描いて楽しかったシーンですね。

――また読み返したくなりますね。今日はありがとうございました。