辛島デイヴィッドが薦める文庫この新刊!
- 『父 Mon Père』 辻仁成著 集英社文庫 616円
- 『ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前』 多和田葉子著 講談社文芸文庫 1980円
- 『送り火』 高橋弘希著 文春文庫 682円
(1)「ぼく」はパリで日本人の両親の元に生まれ、幼くして母を交通事故で亡くしてからは、小説家の父に育てられた。30歳の今は実家を出て、フランス語教師として生計を立てているが、健忘症を患う「パパ」との絆は変わらず深く、「ママ」の記憶も美しく保存されている。だが、同じ交通事故で父を亡くした女性との出会いをきっかけに、「ぼく」は家族の過去と向き合うことに。大切な記憶が揺らぐとき、人はどう変わるのか。多彩な登場人物を通して普遍的テーマが探求される。
(2)ドイツ語と日本語で30年以上創作活動を続けてきた著者がゼロ年代初頭から半ばにかけて刊行した二つの傑作短編集が一冊に。毎日のように短編小説を読んでいると、作品の途中で結末が見えてくることもあるが、本書に収録された九つの短編はどれも読者を予期せぬ場所へと導いてくれる。英訳では一冊の本として刊行されている「時差」は純然たるマスターピース。
(3)芥川賞を受賞した表題作では、中学3年の青年が家族と東北の小さな集落に移り住む。親と仲が良く、学校の成績も優秀な青年は、転勤族だからか、新しい場に溶け込むのも、他者と適度な距離感を保つのも上手(うま)い。だが、そんな彼も仲間内での暴力がエスカレートするなか、罪のない傍観者で居続けることはできない。衝撃のラストでは誰もが被害者にも加害者にもなりうる現実が突きつけられる。文庫化に際して収録された短編2編でも、圧倒的な描写力が作品に躍動感を与える。=朝日新聞2020年8月22日掲載