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長く続く物語ゆえの深み「陰陽師 烏天狗ノ巻」 武川佑が薦める文庫この新刊!

  1. 『陰陽師 烏天狗(からすてんぐ)ノ巻』 夢枕獏著 文春文庫 781円
  2. 『ラブレス』 桜木紫乃著 講談社文庫 891円
  3. 『赤い高粱』(上・下) 莫言著 井口晃訳 岩波文庫 上1364円、下1650円

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 長大な視点で人間を書く3冊を選書した。

 陰陽師・安倍晴明と平安朝の怪異や鬼らを描く(1)収録の短編「梅道人(むめどうじん)」は、雑誌掲載時SNSで反響を呼んだ。これまでのシリーズ作では晴明らの経年は書かれなかった。しかし本作で心優しき友、源博雅が自分の死と、残されるであろう晴明への思いを口にした。ラストが存在しないと作者が明言するシリーズの変化に、愛読者である評者も心が震えた。博雅の心情に対する晴明の反応、また史実と照らしあわせたとき去来する寂寞(せきばく)は、長く続く物語ゆえの人間の深みを醸す。

 (2)は、戦後の釧路周辺で旅回りの歌芸人になった百合江、地元で理容師兼実業家となる里実の姉妹の物語。一座の解散と出産、父母との断絶や夫の借金など、他人からは悲惨とも見える百合江の流転を描く文章には歌に似た抑揚=フロウがあり、幸福すら感じさせ手を止めさせない。終章、百合江と里実の二人の子に視点が移り、不幸と思われた百合江の生の実感が明らかになる。繰り返される「ユッコちゃん」のいとしきフロウ。

 ノーベル賞作家莫言(ばくげん)の(3)。日本軍に抗する一家をとりまく暴力の連鎖は、中国東部の厳しい気候風土に溶け込み、比例して人間の存在は小さくなる。畑の高粱(こうりゃん)のように。かといって日本軍の侵略、抗日の苛烈(かれつ)さを矮小(わいしょう)化することもなく、読者は豆官(トウクァン)が「母さん」と縋(すが)りつくのを見、日本兵に撃たれ流れる母鳳蓮(フォンリエン)の血に高粱酒の匂いを嗅ぐ。人が勇躍する赤い高粱畑に、読者も否応(いやおう)なしに立っていると気づくのだ。=朝日新聞2026年2月14日掲載