広島市出身の被爆二世。米国シカゴの大学で倫理学の講義を受け持ち、原爆や核について17年間教えてきた。その経験をもとにした労作が伝える米国の今。「ナガサキする」という造語をテレビドラマが破壊の意味で使ったり、ラスベガスの国立核実験博物館が「爆風」体験を提供したりと、原爆に対する感覚が日本とずれている現実を突きつける。
米国の世論調査で「原爆投下は正当」と答える人は、2015年で56%いる。原爆が多くの命を救った、核兵器は国防の要との意識も根強い。その意識が再生産されてきた背景を教育、文化、軍隊、宗教などの視点から解き明かす。
「『原爆は絶対悪』と広島は半世紀も発信しているのに、米国に届かないのはなぜだろう? 相手の物語を知らないとだめなんじゃないか」と思い、27歳でシカゴ大学大学院に留学した。しかし同大は原爆開発に携わり、今も核抑止論を支持する空気は強い。それでもシカゴで教職を得て、学生と対話できる境遇を最大限に生かして原爆の非人道性を伝えたいと努めてきた。「意気込みが空回りして落ち込むことも多く、もがいている。ここではキノコ雲の下にいた被害者の視点が欠けている」
母は、爆心地から1キロ余りの地点で被爆した、らしい。らしいというのは、母の生前、その体験を直接聞いたことがなかったからだ。「思い出したくなかったのか、差別があったからか……」
本の最後の2章は、核実験や人体実験による米国内の隠された被曝(ひばく)被害を取り上げた。核兵器や放射能に肯定的な社会にあって、住民は被害を「語れない」現実があると指摘する。語らずに逝った母の胸中にも思いをはせ、「語り」を通して日本、米国、世界とつながることができないかと結んでいる。(文・久田貴志子、写真は本人提供)=朝日新聞2020年10月10日掲載