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ノーベル文学賞・グリュックさんの詩の魅力 個人の苦悩、花や木にたとえ普遍化 米文学者・木村淳子さん

ルイーズ・グリュックさん=AP

深いテーマ すっきりとした言葉で表現

 カナダ東部のハリファクスへ、夏の研修に送っていた24~25人の学生を迎えに行ったんです。ひまな時間に街を歩いて本屋さんに入ったら「野生のアイリス」という詩集があった。グリュックという作者は存じませんでした。当時日本ではほとんど知られていなかった。何となく手に取って買って帰ったんですね。同時多発テロの直前の2001年8月のことです。

 そのころ、研究者仲間と英米詩の輪読会を開いていて、毎年、「オーロラ」という同人誌を出していました。グリュックさんの勤め先の大学宛てに「翻訳して誌面で紹介させてもらいます」と手紙を書きました。諦めかけたころに返事が届いて、「私は手紙を書くのが遅くて、下手で」と。それで、2003年の8号に8編、翌年の9号に4編の詩を載せたんです。

 彼女より、ひと世代上のアメリカの詩人には「告白詩」といわれる先進的な取り組みをする女性たちがいて、病歴でも家庭生活でも体験を明け透けに詩に書いていたんです。それも怒鳴るように。私はあまり好みではなかったんですね。

 ところが、グリュックさんの作品は体験をうたっていても、抑制が利いていて静かなんです。生い立ちを調べると、10代のころ拒食症になって20代になるまで治療を受けて、つらい、大変な思いをしたようです。でも、「苦しい、苦しい」と声高に訴えるのではなくて、暗い地中でジーッと耐えていた球根が芽を出し、花を開いていく、と。そんなうたい方です。花とか植物とか木になぞらえる。メタファー=隠喩ですよね。

 個人の体験をメタファーによって、ほかの人にも理解できるように表現して公のものにする。ノーベル委員会が「個人の存在を普遍化した」と評したのは、そんな意味ではないでしょうか。草花に思いを寄せる伝統は日本文化にもありますから、私たちにもわかりやすい詩だと思います。

 ノーベル委員会は「飾り気のない美しさ」ともおっしゃっていますね。言葉は非常に簡潔で、すっきりしている。難しい単語がない。日本の中学生、高校生も読めるはずです。
 だけど、内容は深い。人間存在の根本にかかわるテーマをとり上げている。死と蘇(よみがえ)りについてうたった詩がたくさんあります。

 私の好きな1編は最初に読んだ「野生のアイリス」の表題作です。冒頭に‘At the end of my suffering there was a door.’とあるんです。〈苦しみの終わりに 扉があった。〉と。「苦しい、死んでしまおう」ではなくて、そこから出て生へ向かう扉です。彼女の詩には必ず光が見えるんですね。明かりの方向へ進んでいく、そういう姿勢は一貫しています。

 春先、夜が白々と明けていく。その中に引き込まれるような詩の世界を彼女はつくり上げた。新型コロナやら分断やら、そんな世界にあって、ノーベル委員会はこの人の詩の持つ「癒やす力」に目を留めたのではないかと感じました。ただ下馬評にもほとんど上がっていなかったでしょう? ニュースを見て驚いたの。「えっ、あのグリュックさん?」って。

 だけど、私が最初に手に取った「野生のアイリス」は1993年にピュリツァー賞を受賞しましたし、ほかの詩集でも全米図書賞とか、いろいろな賞を受けています。2003年から1年間、アメリカの連邦議会図書館から「合衆国桂冠(けいかん)詩人」にも任命されている。現代アメリカを代表する詩人の一人でしょう。

 だから、ノーベル文学賞を贈られても、別に不思議はないんです。(構成・田中啓介)=朝日新聞2020年10月14日掲載