1. HOME
  2. コラム
  3. 作家の口福
  4. パンの次の課題は茄子 奥泉光

パンの次の課題は茄子 奥泉光

 日本酒に合うパンはあるのか。この課題は鋭意研究中なので、今回はパンライフから離れすこしべつの話題を。

 子供の頃の夏休み、自分は必ず出羽庄内の母親の実家で過ごした。当時は埼玉県の所沢に住んでいたのだけれど、六〇年代、東京のベッドタウンである所沢と庄内平野の農村部では、暮らしぶりに大きなちがいがあった。母の実家にはガスも水道もなく、飯は竈(かまど)で炊いていたし、洗濯や風呂には用水路の水を使っていた。網戸なんてものはなく、電燈(でんとう)に羽虫が集まり放題集まって、いま考えると、よく落ち着いて食事などできていたものだと思うが、そのかわり、蚊帳の上に捕ってきた蛍をおき、明滅する灯(あか)りを眺めながら眠りにつく、などという風雅なこともできた。

 テレビも見られず、漫画も簡単には買えず、子供にとっては我慢しなければならないことが多かったのだが、それでも毎年の帰省が楽しみだったのは不便を補ってあまりある愉快――盆踊りにむかう農道の頭上いっぱいに広がる銀河、小川に鱗(うろこ)を光らせ群れ泳ぐメダカ、釣り竿(ざお)に手応えを伝えてくる小鮒(こぶな)といった愉快があるからであった。

 食べ物についても、魚は庄内浜から行商の人がくるが、肉となると町までいかなければ手にはいらず、アイスキャンディーや菓子パンの類も同様、自家用車が普及していない当時、町までいくのがまた一仕事なのであった。つまりは普段食べているものが食べられない。その不満を補って余りあるのは、豊富な米や野菜で、しかし子供は野菜がおいしいといわれても嬉(うれ)しくない。

 そんななか、山形の家でしか食べられない食物として、自分が好んだのは、茄子(なす)の漬物であった。茄子という野菜は全国各地にさまざまな種類があるけれど、これは民田(みんでん)茄子と呼ばれる、こぶりな丸形の茄子である。芥子漬(からしづけ)にもするが、母の実家では庭の畑で採ったのを素朴に塩漬(しおづけ)にしていた。

 茄子の塩漬はいまはスーパーで売られ、民田茄子に近い形のものもあって、よく購入する。これはこれでおいしいのだけれど、民田茄子とは違う。違うのは皮の厚さで、スーパーの茄子は皮が薄くぷりぷりしている。対して民田茄子は厚くてごわごわしてる。これはおそらく水をやらずにほったらかす結果、皮が厚くなるんだろう。ふつうに考えれば、ごわごわよりぷりぷりの方が旨(うま)いので、東京ではほとんど見かけない。丸茄子はあるけれど、皮はぷりぷり。茄子漬け界では、どれだけぷりぷりにできるか、互いに競争している感さえある。だが、自分が食べたいのは、あの皮がごわごわしたやつなのだ。民田茄子はもはや幻なのか。いや、そうだ、自分で栽培すればいいのか。庭は狭いが。パン作りにつづく課題がここに定まったのだった。=朝日新聞2020年10月31日掲載