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松重豊さん「空洞のなかみ」インタビュー 自分の役割を疑い、“空っぽ”の器がちょうどいい

文:岡山朋代 写真:毎日新聞出版 提供

初めての小説で、学生時代の封印を解いてみた

──まずは、「サンデー毎日」の連載として先行して発表されたエッセイ「演者戯言(えんじゃのざれごと)」について教えてください。当初はインタビューをもとに他者に聞き書きしてもらう予定だったとお聞きしましたが、ご自身で執筆しようと思い立ったのはどうしてですか?

 聞き書きの形式が、僕の中でしっくり来なかったんですね。映画やドラマの宣伝活動でインタビューを受けると、作品の役から連想されるのか「実際に完食しているんですか?」「普段の食生活は?」みたいな質問が多くて。一方的に聞かれることに対して答えるだけでは、自分が本当に伝えたい思いを発信しきれないと感じる瞬間がありました。「だったら自分の言葉で」と文章にしてみたら、ずいぶんと気持ちがよかったですよ。

──エッセイはこうした表層的な問いかけにも応じつつ、俳優としての日常やプライベート、修行時代のエピソードがテンポよく綴られています。廃業を考え始めた役者の葛藤を描いた連作短編小説「愚者譫言(ぐしゃのうわごと)」とクロスオーバーする展開もあって楽しく拝読しました。エッセイご執筆の喜びを知って、次にフィクションへ挑戦した経緯は?

 学生時代に映画監督を目指していたこともあって、「物語のつくり手になりたい」という思いが自分の出発点としてありました。当時は作品を完成させることができず、その気持ちを無理やり封印したんですけどね。でもステイホーム期間中、時間に余裕が生まれたので「あの時の封印、解いてみようじゃないの」とフィクションの扉を開けた。だからある意味、12編の短編小説は新型コロナの産物ですね。

 もともと、コロナ流行前にエッセイの書籍化をご提案いただいて。対談を同時収録するなど、いろんなアイデアが生まれる中で、「物語を書いてみようかな」と思ったのも関係しています。そう考えているうちに緊急事態宣言が出され、撮影は次々と飛んでいき、再開のメドも立たない状況に陥って……。果たして自分は俳優を続けられるのか、もし断念せざるを得なかったら何でメシの糧を得るのか。一寸先がどうなるかわからず、役者人生の根底が揺らいだ時にすがったのが“物語”でした。再び「フィクションの世界で遊んでみよう」という気持ちが芽吹いたんですね。

──主人公を「廃業を視野に入れ始めた役者」とした狙いはどこにありますか?

 コロナ禍を経て今までの価値観を疑い、常ならぬものに思いを馳せていたら、役者なら誰でも当たり前に抱え込んでしまう自意識や思い込みを俯瞰するストーリーができあがりました。そこで「役者のおかしな生態を、読者と一緒に楽しむ方法はないだろうか」と自問した結果、一編あたり4~5分で読めるショートショートの連作に落ち着いて。トイレに置いて用を足すついでに一編ずつ読み進められる分量と考えてもらえたら、手に取りやすいでしょうか。

役者として“空洞”であることが理想

──プロローグとエピローグを除く短編はいずれも、語り手の俳優が自分が何を演じるのか知らされておらず、置かれた状況を把握する描写から始まりますよね。判断材料をもとに「今回はこの主要キャストか」と察しをつけた役どころに合わせて動き、セリフを発するものの、勘違いと判明する毎回のオチに笑ってしまいました。

 役者ってどうしても自分を中心に物事を捉えがちな生き物ですから。観客やスタッフは「自分を見ているだろう」と思っているけれど、とんでもない! 「お前なんて全然見てないよ」ってこと、本当によくあるんですよ。

 その強い自意識をはぎ取っていく作業をフィクションとして成立させようと、シチュエーションやモチーフを一編ずつ決めていきました。ドラマ化を意識して12本を設けたうち、最初に思いついたのはマラソンのペースメーカーたる脇の役者が自分を主要キャストのランナーと思い込む「伴走」という作品です。

 映像の現場はすべて、主役を魅力的に見せるために動いています。観客が受け入れづらい主人公だと、作品の成否に関わってくるんでね。そこへ、ペースメーカーの脇役が主要ランナーの自意識全開で乗り込んできたら……?

 と、このように脇を固める俳優の役割めいたものを示唆する小噺を書いてみたら、少しだけ手応えを感じることができました。自意識との戦いを、笑いを絡めて描けたんじゃないかなって。

──松重さんにとって「役者の強い自意識は作品の邪魔になる」と感じた原体験があるんでしょうか?

 「デ・ニーロ・アプローチ」といわれる、演じる人物と一心同体になる役づくりもあると思うんです。ロバート・デ・ニーロがアカデミー賞の最優秀主演男優賞を獲得した「レイジング・ブル」(1980年)で、ミドル級ボクサーの鍛え抜かれた肉体を再現したあと、晩年を演じるために体重を20kg以上増やした肉体改造のエピソードが語り継がれている。

 でも僕はどちらかというと、自分という器の中にいろんな役を出し入れする感覚で演じています。例えば現実にあり得ないような極悪人に扮しなければならない時に、デ・ニーロ・アプローチで役づくりをしていたら……。

──毎作品で犯罪者になるわけにいきませんね。

 ですよね。だから器には“仮説”としての役が出入りするんですが、その時に「俺ならこう演じる」って自意識が邪魔になる。監督が思い描く世界観やイメージのもと、彼らのオーダーに応えていくのが俳優の仕事だとするなら、役に対する自意識のない状態が……僕は表現として“自由”なんじゃないかな、って。

 中には「私がやりたかったのは」「こう演じてみたい」と主張する方もいらっしゃいます。でもそれは監督やプロデューサーが考えること。それに気づいたら、「どうして自分にはいい役が来ないんだ!」と考えることもなくなりました。想像力を広げる器さえあれば、きっといろんな役が自然に入ってくると思い至って。

 「俺はこういう俳優で、こんな役がやりたい!」と器の形を決めて中身をパンパンに詰めてしまうと、間口が狭くなってしまう。大らかに構えて器の中身を空っぽにしているくらいが、役者としてちょうどよい。つまり“空洞”であることが、僕の理想なんです。

自分の役割を疑ってみる

──短編小説の連作を通じて、“空洞”を理想とする境地はどのように結実しましたか?

 40代前半だったかなぁ。京都の撮影所と大阪のNHKを往復して東京の家に帰れず、「この生活キツいぞ」と感じていた頃、たまたま太秦の隣にある広隆寺へ入ったんですね。ご本尊として安置されている弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)の前にただ座って、閉門まで過ごしたのが本当に気持ちよくて。拝観者が誰も来ない、がらんとしたお堂の中で4~5時間、何も考えずにボーっとしていました。

──そのエピソード、プロローグとエピローグに通じますね。半跏思惟像からどんなインスピレーションを得たんでしょうか?

 弥勒菩薩と出会って、そこからスイッチが入ったように仏教について勉強し始めました。仏教って役者をやる上での哲学として非常に役に立つんですよ。

──へぇ! 仏教のどんな点に役者との共通項を見出したんですか?

 仏教における精神修行の座禅は、自分が何者でもなくなる状態を「よし」としますよね。自我を排除して、何も頭に思い浮かべず、ただ“空っぽ”の器になる。般若心経を無心で唱えるのも同じ。特定の宗派にこだわることなく関係本を読むうちに、仏教には役者として生きるのにこれ以上ないヒントや知恵が詰まっていると感じました。

 木造の仏像って、乾燥によるひび割れを防ぐために中をくり抜いて“空洞”にするんだそうです。燃えやすいから火事に遭ってもすぐ運び出せるように、って狙いもあったかな。「その空洞に、人間の思いが出入りするんだろうな」というのは僕個人の考えですが。

──仏像の空洞部分に思いを託すことは、器に役を出し入れすることと重なりますね。

 そうなんです。仏教と役者道は、もしかしたら同じような哲学の中でくくられるかもしれないという思いが芽生えまして。そこに対する禅問答のようなやり取りが、短編の一つひとつです。ワケもわからず出された現場で、語り手の俳優は自分がメインの役と信じてやまなかったけれど、現実は違っていた。その葛藤も含め、自分の価値観を疑うことってすごく大事なんじゃないかなぁ。

──役者に限らず、生きていれば誰にでも当てはまる普遍的な問いかもしれませんね。

 そうですね。自粛期間中にテレワークを余儀なくされ、ご自宅に居場所がなかった方がいらっしゃるとお聞きしました。部下に威張り散らしていた会社での役どころを家でも引きずるもんだから、妻や子どもに嫌われてしまって……。「俺の役っていったい何?」と迷宮入りしたお父さん、けっこういたんじゃないですか?

 小説では役者の世界を借りて表現しましたが、社会における自分の役割を「まず疑う」という思いは執筆する上で常に横たわっていました。コロナ禍の現実ともリンクできたらおもしろいかな、と。

2020年だからこそ生まれた、朗読動画

──「よみきかせ『空洞のなかみ』」と題し、ご自身のYouTubeアカウントで短編小説の朗読動画を配信することになった経緯を教えてください。

 声に出して読みたい文体を意識しながら書いていたんですよね。

──朗読と親和性があるの、すごく伝わりました! 読んでいると井之頭五郎(「孤独のグルメ」の主人公)のモノローグを連想するのか、松重さんのお声で脳内再生されるんですよね。

 ありがとうございます。プロの俳優として活動している以上、朗読はそうでない作家さんより多少覚えはありますし、本の宣伝になるとも感じていて。

──動画配信という形式を選んだのはどうしてですか?

 僕と同世代の間でも、ステイホーム期間中にNetflixに手を出す友人やYouTubeの動画にハマる奴が現れた。おじさん達がこぞってその魅力に気づき始めたこともあり、「YouTubeの持つ可能性を、この年齢で知ってみるのもおもしろいかな」って。

 そこに、ラジオ(Fm yokohamaの冠番組「深夜の音楽食堂」)でオススメの楽曲を紹介するほど好きな“音楽”を絡めてみたくて、ミュージシャンと共作することを思いつきました。コロナ禍でライブやフェスができない彼らをメールでお誘いしたところ、引き受けてくださる方がけっこういらっしゃって。2020年の文脈からしても自然な成り行きでしたね。

──「今週はどんなアーティストだろう?」と、新しい動画がアップされる毎週土曜20時を楽しみにしている自分がいます。共作のお相手はどのように選んでいらっしゃるんでしょうか?

 基本的には僕のラジオにゲストとして出てくださった方にお声がけしています。例えば、「畳みかける疾走感を表現するなら、ドラマーのmabanuaさんだな」(第四話「伴走」)みたいな感覚で。

──楽器のプレイヤーが多い中、プロローグの向井秀徳さんはボーカリストでもありますね。歌声を聴くことができ、ZAZEN BOYSファンとして胸が躍りました。

 向井さんの歌声とギター、物語の出発点にぴったりでしたよね。佐賀ご出身の彼も、福岡から東京へ出てきた僕も、都会の中にいる田舎者。故郷にない閉塞感や孤独感を見つめる自意識と、それらを取り払おうとする葛藤みたいなものが、手がけてこられた楽曲から伝わってきて……ぜひ一度ご一緒したかった。僕の一方的な思いを聞き届けていただいて本当にうれしかったです。

──朗読中、カメラは位置が固定され時計まわりに回転しています。最後のオチでぴったり松重さんにピントが合うの、毎回すごいと思って拝見していました。

 レンズが映す方向を確認しながら朗読のスピードを調整しています。“一発撮り”にこだわって。

──えっ、テイクを重ねず毎回あの高クオリティなんですか? 投げ銭システムが導入されたら課金します!

 ありがとうございます。そういう枷があった方がね、僕らは“燃える”んですよ。ライブや演劇はやり直しがききませんからね。生のエンタメが封じられた今年は、ミュージシャンも役者もこうした緊張感から離れている時間が長かった。だからこその一発撮りです。

 「今までなかった映像を」という思いもあって、動画制作はYouTubeを生業とするプロにお任せしました。うちの息子は立教大学の映像身体学科出身なんですが、彼の同窓生であるYouTube職人に繋いでもらって。企画意図と撮影場所だけ指定したところ、この目新しいアイデアを提案してもらいました。そんな風に若い世代と思いを共有して、コラボレーションできたことも収穫でしたね。