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ネギは魔術師 星野智幸

 住宅街のど真ん中にある、セレクトショップにふらりと入ったときのこと。高価な服ばかりで手が出ないなと怯(ひる)んだのだが、お店の人は、ウチがいかに庶民的かを示すために、こう言った。

 「常連さんなんか、そこのスーパーの帰りにネギなんか提げて寄ってくれたりするんですよ」

 私は心の中で反論した。そこのスーパーも高級食材を扱ってる店だし、2本で千円とかするネギかもしれないじゃないですか!

 けれど、見ただけではわからない。ネギを提げている姿は無敵なのだ。ネギからいやおうなく庶民性を滲(にじ)み出させてしまう人は、気取りとは無縁の気さくないい人に違いないのだ。

 自分にも心当たりがある。運動不足にならないよう、スーパー通いは私の日課なのだが、忙しいときは自転車に乗って、どんな食材でも納めてしまう大リュックを背負っていく。

 だが、ネギだけは入りきらない。このため、リュックの口から煙突のようにネギの先をのぞかせることになる。鴨(かも)がネギを背負ってきた、という言い方があるが、私がネギを背負っているのである。

 かすかに恥ずかしい姿ではあるが、じつは安心感のほうが上回る。平日の真昼間、無精髭(ひげ)に部屋着でうろついているオッサンは、質(たち)の悪い事件でも起こったときには真っ先に疑われる不審者なのだけど、ネギを背負っているだけでその不審度が大幅に下がる、という気がするから。ネギは人を善良な庶民にカモフラージュしてくれるのである。

 さて、ネギの使い方だが、何と言っても刻んでトッピングにするのが最高。漬け丼などの丼ものや蕎麦(そば)はもちろん、味噌(みそ)汁も、ワカメでも豆腐でもキノコでもほうれん草でも、味噌を溶かす直前に散らすと、いきなりプロの風味に変貌(へんぼう)するから不思議だ。

 ネギをトッピングすると、たいていの料理は本物っぽくなる。あれは何の作用なのだろう。つまりその効果を「薬味」と呼ぶのだろうけど。

 トッピングといえば、タコス。トウモロコシの粉を練って焼いたトルティージャに、いろいろな具を載せ(詳しくは次回)、さらによりどりみどりのトッピング。ライム、刻みパクチー、みじん切りのタマネギ、パイナップル、そして豊富なチリのサルサ(ソース)。

 このタマネギの代わりに、刻みネギを使ってみた。何と言っていいのか、タコスが懐石料理の一品になりすましているではないか。庶民性の代表格のタコスが、上品になるのである。

 ネギの力、恐るべし。見かけでは人を庶民にし、味と香りでは料理を高級なホンモノに変えてしまう、ネギは魔法使い。=朝日新聞2020年11月14日掲載