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家事としての肉野菜炒め 星野智幸

 何年か前、知人の批評家の男性が、「毎日、冷蔵庫に残っている食材で家族の献立を考えられるのが、本当に料理ができるということ」というような内容をつぶやいていて、共感した。

 料理のできる男、というイメージは厄介だ。自分の食べる分を作ることができる、という意味なら、まだいい。

 グルメな男が、気の向いたときに、自分の好きな料理を凝ったレシピでハイレベルに仕上げてふるまう、となると、食べ物としては美味(おい)しいかもしれないが、それは趣味としての料理であって、家事とは異なる。

 若いころ、友人の男に「料理できる?」と尋ねたら、「下ごしらえさえしてくれたら調理するのはけっこう上手(うま)いよ」と答えが返ってきて、いきなり料理長かよ、と釈然としなかった。

 趣味としての料理もあっていい。けれど、「料理ができる」という言い方には、家事としての料理を日常的にいやおうなくこなしている、というニュアンスが含まれる。

 すなわち、特売の安い食材を探し、栄養のバランスと調理のしやすさに配慮した献立をその場で考え、数日分の食材を予算内で買い、実際に手際よく料理し、時に作り置きし、それでも余った素材を使い切るメニューをさらに工夫して作る、ということを、自分の気分にかかわらず繰り返す毎日。それが家事としての料理だ。

 自宅が仕事場である私は、外で働くつれあいより時間の自由がきくため、日々の買い物と、週の半分の料理を担当している。次第に定番のメニューができて、普段はそれを回すことになる。私とつれあいとで得意なレパートリーも異なるので、飽きることはない。

 食材というのは、何日かごとに必ず半端が出てしまうもの。それをどう使い切るかが、家事としての料理をする者の、経験と知恵の見せどころである。とはいえ、連日となると、やはり面倒に感じる日もある。

 そんなときは、肉野菜炒めの出番だ。野菜はたっぷり取れるし、全部を一度に調理できるし、手短に作れる。

 オンラインのレシピだと、肉に片栗粉をすり込んだり、野菜を下ゆでしたり、ほんの一手間かけるだけで美味しく作れる、とあったりするが、その一手間をかける気力もないから、肉野菜炒めに頼るのだ。

 一手間かけない範囲で、可能な限り美味しくしたい。私が見出したコツは、最初にキノコを強火でしっかり炒めるというもの。これだけで美味しさが一次元アップする。また、素材の組み合わせと調味料を変えれば、中華風にも東南アジア風にも洋風にもできる。

 結局、一番作っている肉野菜炒めが、一番自分たち好みに作れるのである。=朝日新聞2020年11月28日掲載