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サルトル「嘔吐」 一語もゆるがせにしない 人文書院・井上裕美さん

 サルトルの大作『家(うち)の馬鹿息子』訳の編集を引き継ぐこととなり、そこから『嘔吐』の新訳担当になった。『嘔吐』といえば、小社の代名詞。存在の意味を問う哲学小説として、主人公がマロニエの木のもとで吐き気を催す場面はあまりにも有名だ。

 大先輩には「先生がしっかりされているから大丈夫よ」と弱気なヘボ編集者の背中を押してもらった。

 鈴木道彦先生は若い頃より原書を幾度となく読み、訳文を玩味推敲(すいこう)されていた。その歳月を受け取ったようだ。こちらの出番はないほどの御原稿だが、「何でもいってくださいよ」と意見を求め、尊重してくださる。訳文、装幀(そうてい)、書体から紙まで全てに細やかなこだわりがある。活版時代を知る先生との仕事は背筋の伸びる至福の時間であった。

 言葉に責任が伴わない世相の中、一語も忽(ゆるが)せにしない学者の矜持(きょうじ)を感じた。重版のたびにも見直し、手をいれられる。この本を初めて翻訳した白井浩司先生は慧眼(けいがん)だが、完璧な日本語訳を届けたのは鈴木先生だと思う。先が見通せず不安を抱える人が多い今こそ、サルトルの思想は有効だ。自己存在の無意味性とどう葛藤するか、一度読まれた方にも再発見があるだろう。

 京都から東上の都度、先生を訪(と)うのが恒例になった。お宅で夕食をご馳走(ちそう)になったとき、この小説に印象的に登場する曲を聞かせていただいた。『馬鹿息子』訳も、直(じき)に完結する。=朝日新聞2020年12月2日掲載