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モンテッソーリ教育で〈自分で考えられる子〉に育てる 専門家による実践的なほめ方、叱り方

文:日下淳子

子どもの気持ちと行動を受け止めて

――著書の中で、よくない叱り方として「さわっちゃダメ!」「早く片付けなさい!」「買わないって言ったでしょ!」という言葉があり、多くの親御さんはドキッとされたのではないでしょうか? 

 「ダメ」や「やめて」といった声かけは、反射的に使いがちですね。道路に飛び出しそうなときなど、安全に関わるときは必要な言葉だと思います。でもそうでないときは、言ってしまう前に、子どもがどうしてそういう行動に至ったのかを考えてみることが大事だと思っています。

 たとえば、ティッシュを全部出してしまった子を見たら、一旦、「〇〇ちゃんは、これがしたかったんだよね」とその子の気持ちと行動を受け止めたうえで、簡潔になぜダメなのかを説得してあげてほしい。実は子どもが耳がくさるぐらい聞いている「ダメ」や「やめて」は、具体的に何をしてほしかったのか、子どもは理解できないことが多いです。「早く片付けなさい!」と言われても片付け方がわからなかったり、「買わないって言ったでしょ!」と言われても、ただおいしそうなお菓子を見せに来ただけのこともあります。

――頭ごなしに「ダメ!」と叱るのではなくて、「そうだったんだね」「でも〇〇だから困るんだ」「これは遊び用にしようか」と具体的に声かけしていくように提案されていますね。本書はとても具体的な声かけ例が多く掲載されていて、実践的な内容でした。

 まずは子どもが何をしたかったのか理解して、その気持ちを受け入れる必要があります。私は、Why、What、Howを頭に置いて考えるようにしています。Whyは、子どもがこの行動に至った理由を考える、Whatはここで一番伝えたいメッセージはなんだろうと考える、Howはどうやったらそのメッセージが伝わるかを考える、ということです。

 たとえば「いま部屋を片づけたくない」と子どもが言ったとしたら、

■Why…「なんでこの子は片付けたくないんだろう?」→まだ遊びたいから? 片付け方がわからないから?
■What…「何を一番伝えたいのか?」→ご飯を食べる前にきれいな環境を作ってほしいということ? それとも、子どもが自分で片付けたという成功体験をさせたいこと?
■How…「どうやったらこのメッセージが伝わるんだろう?」→一緒に片付ければやる気が出る? 片付け方がわかるように色違いのボックスを用意する?

 この3段階を考えることで、もしかしたら幼い子が過ごす場として環境を整える必要があるのかもしれない、大人にとって不都合だからという理由で「ダメ」を押し付けていたのかもしれない、と気づくことがあります。大人が「ダメ!」と言っているときに、何が一番大事かという理由付けを大人自身があまり考えていないことが多々あるでしょう。子どもが物を出したことで(大人から見て)散らかったわけですが、実は子どもは片づけのやり方がわからないこともよくあります。大人がやって見せたり、「一緒に片付けてみようか」という声かけで解決することも多いと思います。

『自分でできる子に育つほめ方・叱り方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より

「すごいね」は「おざなりほめ」

――ほめ方も、ただ「えらいね」「すごいね」「かわいいね」と言うのはNGとあって、驚きました。

 そういう言葉は、見ていなくても言えるので都合がいい言葉です。「すごいね」という「おざなりほめ」は、楽ですよね。たとえばお料理を作ってくれたときに「すごいね!」とほめれば、相手が気持ちよくはなるでしょう。でもそういう表面的なほめ方を続けていくと、ほめ依存症を作り出してしまいます。相手にほめられるためだけに行動したり、常にほめられないと自信がなくなってしまったり、それ以上頑張らなくなったりします。

 「すごいね」の代わりに「途中でタワーが崩れてもあきらめずにやってたね」とか「別のやり方を試しながら頑張ったね」というふうに、何がすごかったのかをもっと具体的に認めてあげるような声かけをする、というのが大事です。叱るときもほめるときも、結果ではなく努力やプロセスに目を向けるということです。子どもが求めているのは評価ではなく、達成したときや発見したときに一緒に分かち合うことで、自分の居場所がある感覚が生まれて、幸せな気持ちになることなんですよ。

『自分でできる子に育つほめ方・叱り方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より

――それが自己肯定感に繋がっていくのですね。タイトルにある「自分でできる子」とは、具体的にどういうイメージを持っていらっしゃいますか?

 私は「自分で考えられる子」だと思っています。幼少期から大人が罰と褒美を使ってコントロールしてしまうと、子どもが本当にやりたいことが見えてきません。結果ではなく、過程に重きを置いて接しられてきた子は、失敗は成長のチャンスだと捉えることができるグロースマインドセット(自分の成長は努力や工夫で変えられるという考え方)が育ちます。何か問題に直面した時も、自分ではできないと投げやりになるのではなく、新しいことを試してみたり、他の人のアドバイスに耳を傾けるなど、すごく柔軟に物事に取り組むことができるんですね。

 あとは自分をコミュニティーの中の一市民であると認めて、帰属意識を持って社会に貢献できることでもあります。これは、私の研究してきたモンテッソーリやレッジョ・エミリアの教育で重要視されている考え方です。観察・対話を繰り返して子どもの声を心と耳で傾聴する。それを元に、大人は子どもの可能性を最大限にアシストしていくことで、子どもに学びが発生するという考え方を持つ教育なんですよ。

 とはいえ、普通の大人は、子どもたちと対話をする方法なんて習いません。だから多くの人が無意識におざなりな言葉をかけていることが多いんです。私も含めて、誰のための子育てなのかを一度考え直し、具体的にどういう言葉を発したら良いのかということをシェアしたいと思って、『自分でできる子に育つほめ方・叱り方』の執筆に至りました。

 子ども時代は人生への準備期間ではなく、子ども時代そのものが大切な人生だ、ということです。早期教育で学力だけを詰めこみ、良い大学、良い企業という風に、大人が勝手に描く「成功」を手に入れることだけに集中せずに、子どもの声を聞くことで、今を生きる子どもたちの時間という「ギフト」を奪わない環境作りをすることが、私たちの使命なのではと感じています。