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西加奈子「さくら」 微塵も揺るがない生の祝福

 まだ二十代だった私が『さくら』を貪(むさぼ)るように読んだあの日のことは、はっきりと覚えている。あれから約十五年。『サラバ!』で直木賞を受賞し、創作の幅をなお広げている彼女。私はその新作を、彼女と一緒に年を取りながら(いまやお互い四十代!)、読み続けてきた。今、ふたたび『さくら』を読み直し振り返って驚くのは、彼女が今に至るまでどれほど大胆に変わってきたか、そしてその根底にあるものがこんなに微塵も揺るがない、ということ。

 『さくら』は、ひとつの家族、その愛の物語である。父と母のはじめてのセックスでできた兄の一(はじめ)、主人公の薫、美しくて貴い妹の美貴、そしてその一家のもとへやってきた犬のサクラ。とはいえ、そこでここに出てくるひとりひとりの人間たちの恋や好きの気持ちは、ときに真っ直(す)ぐで、残酷で、息が詰まるような美しさと苦しさを孕(はら)んでいる。それぞれが自分の気持ちと身体、美醜や性、社会の規範やルールと折り合いをつけられなくて、もがいている。

 兄の一は、自分の身に降りかかるものに堪えきれずに、こう漏らす。「神様、ちょっと、悪送球やって。打たれへん、ボールを、投げてくる。」。けれど、その選択の結果が、正しいとか、間違っているとか、この物語はそれを決して裁きはしない。

 彼女の作品には、その姿勢と心底からの優しさが徹底している。「でもなあ、この世界のもんは、ぜえんぶ誰のもんでも無いんやでぇ。」

 家族というものが、心が、体が、どんなにいびつで、どんなに規範からずれていようとも、誰がどんな選択をしようとも、サクラはお喋(しゃべ)りを決してやめないし、日常は続くのだ。

 「生まれてきてくれて、ありがとう」。唯一絶対的なその肯定を、彼女は描く。そしてその後の物語でも、ずっとずっとそのことを描き続け、奇跡的な確率で存在する私たちの生を、大いに祝福し続けているのだ、と私は思う。=朝日新聞2020年12月26日掲載

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 小学館文庫・660円=31刷33万8千部。2007年刊。「桜の季節の度に部数が伸びた」(版元)といい、ロングセラーに。11月に映画化され、さらに部数を伸ばした。