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町田そのこさんが読んできた本たち 作家の読書道(第225回)

母が薦めてくれた氷室冴子さん

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 自分で意識して読んだいちばん古い記憶というと、漫画雑誌の「りぼん」ですね。『ちびまる子ちゃん』とか『ときめきトゥナイト』が連載されていた頃です。それと、母が一条ゆかりさんの『有閑倶楽部』が好きでして、私はあれを大人の漫画として、少し背伸びをした感覚で読んでいました。あとは『ドラえもん』ですね。小学校3年生くらいまでは、漫画ばかり読んでいました。

――お母さんも漫画が好きだったんですね。

 母は読書好きで、いつも本ばかり読んでいました。『王家の紋章』や『ガラスの仮面』は母の本棚から読みました。私が中学生になってからは『海の闇、月の影』や、川口まどかさんの『やさしい悪魔』シリーズなど、親子で新刊を取り合って読みました。
 母は小説も好きで、宮尾登美子さんなどを読んでいたんです。小学3年生の時に「小説というのは面白いの」と訊いたら、「これはあなたにも読めると思うから」と渡されたのが、氷室冴子さんの『クララ白書』でした。読んだらもうすごい衝撃で、はまってしまって。母親の本棚にあった『クララ白書』、『アグネス白書』、『ざ・ちぇんじ!』は瞬く間に読んでしまいました。氷室冴子さんの本を読みだして、小説への世界が開けたという感じです。母は当時いっぱい本を持っていて、そのなかから小学生の私が読める本として氷室さんをセレクトしてくれたのは、ありがたいなと思います。

――『クララ白書』は、北海道の寄宿舎が舞台で、夜中にドーナツを揚げるんですよね。

 そうなんですよ、レオタードを着て(笑)。私は小学校の頃、友達に恵まれなくて、いじめを受けていた時期もあったので、氷室さんの小説の中の、いじめはあってもみんなで助けたり、支え合うというところと、主人公の女の子が男の子に頼らない芯のある子ばかりというところがすごく好きでした。男の子に恋はするけれど、頼って守られるというのは求めない。自分で自分の人生を切り拓いていく強さにすごく憧れました。私も自分の足で歩いていける女の子にならなきゃ、みたいな。
 なので、どんなに学校が辛くても氷室さんの本を読んだら、「泣いてちゃ駄目だ」という気持ちになれたんです。本当に氷室さんの本が好きで、支えにしていました。小中学生の頃は、『なんて素敵にジャパネスク』や『ざ・ちぇんじ!』の好きなシーンを暗唱できたんですよ。

――すごい。そこから少女向けの小説をいろいろ読んだりしましたか。

 講談社X文庫から秋野ひとみさんが出されていた『つかまえて』シリーズを追いかけていましたね。今回のインタビューをきっかけに調べてみたら、このシリーズって100冊以上出ているんですね。私が読んだのは前半の20作くらいだったと思うんですけれど。そうしたティーンズノベルはよく読みました。いまでも読み返したいなと思うのは井上ほのかさんの『少年探偵セディ・エロル』シリーズ。ミステリ仕立てで面白かったです。
 それと、読んで衝撃を受けたのは酒見賢一さんの『後宮小説』です。「雲のように風のように」というタイトルでアニメ化されていて、私はそちらから入ったんです。「このアニメって素敵だなあ」と、録画したものをビデオテープが擦り切れるまで見るほど、はまりました。小学5年生くらいの時に原作の単行本を発見して、「これは買わねば」と思って。お小遣いを貯めて買ったはいいものの、原作は「後宮」というだけあって下ネタ満載なんです。セックスについてあけすけに描かれた部分があまりにも多かった。それまでは「初めてのキスはドキドキ」だとか、攻めたものでも「朝チュン」の物語ばかりを読んでいたので、頭を殴られたようなショックを受けましたね。

――『後宮小説』は日本ファンタジーノベル大賞第一回受賞作ですよね。架空の国で、後宮に入る少女が主人公で。アニメは子ども向けにアレンジされていたんですか。

 アニメは子ども向けで、主人公が学ぶ後宮大学もエッチなシーンはなく、みんな健康に青空の下でえっほえっほと体操などをしてるんです。だから原作を読んで「こんなに生々しかったなんて」と震えました。アニメは結局DVDも買って、いまだに時々見ます。原作とアニメ、どちらも名作です。

――ところで、ご兄弟はいらっしゃるのですか。

 弟が2人いますが、下の弟は10歳ほど離れていてあまり兄弟という感じがしないですね。上の弟はふたつ違いですが少年漫画雑誌の「ボンボン」を読んでいました。あまり私と好みが合わなくて。本をシェアすることはなかったです。

――学校がつらかったようですが、通われていたのですか。

 通ってました。親が「学校はきちんと通わなきゃ駄目だ」という考えだったので。なので、本当に辛いことがあっても絶対に学校は行っていて、休み時間はずっと氷室さんの本を読んでいました。氷室さんの本があったから次の日も学校に行けたし、氷室さんの本が2か月後に発売されると知ったら、それだけを楽しみにしました。発売が延期になったらめちゃくちゃ泣きました。氷室さんの『なんて素敵にジャパネスク』は、発売が遅れたことがあったんです。あとがきに「ごめんなさーい」って書いてあったのを覚えています。新作を堪能した私は泣いたことなんてすっかり忘れてましたけれど。

宿題でノート3冊分の物語を書く

――学校の国語の授業は好きでしたか。作文とか。

 作文はすごく好きでした。小学校4年生だったかと思うんですけれど、教科書にひとつの島の地図が載っていたんですよ。「なんとかの湖」「なんとかの森」「なんとかの砂浜」という名称だけ乗っていて、「この地図をもとに物語を書きなさい」という授業があったんです。どんな物語でも書いていいというので、私、ノート3冊分書いたんです。もう、すっごく楽しくて。最後は先生が「んー、先生、そろそろ終わりが読みたいな」って(笑)。

――へええ。長期的な宿題だったんですか?

 いえ、そんなに長い期間ではなかったですね。先生も「たとえばここにある湖。この湖で釣りをしたとか、そんな話でいいんだよ」って言っていて、みんなが書いたものも原稿用紙3枚とかその前後だったと思います。でも私は、書く手が止まらなかったんです。「なんでこんなに物語が頭の中から湧いてくるんだろう」って。それまで宿題を熱心に提出することはなかったんですけれど、それはもう、寝食忘れるくらい一所懸命書きました。

――書かれたのは、どういう話だったんですか。

 冒険物語でした。島に隠された宝物を探しに行くんですけれど、ただ見つけに行くだけの話では面白くないからぐるっと遠回りしたり、仲間が行方不明になったりして。終わらせたくなくて、起承転結の転転転転ばかりやっていました(笑)。でもその時に「物語を作るってこんなに楽しいんだ」って思ったんです。

――その3冊のノートは残っているんですか。

 実家のどこかに残っていたらいいなと思いますけれど、うち、母親が片づけ魔なのでどうなんだろう......。あの時、先生は途中でほんのり止めましたけれど、でもすごく褒めてくれたんです。最後まで読んでくれて、感想もきちんと書いてくれて。あれはよかったなと思います。

――その前から、自分でお話を作ったり、空想したりするのが好きでしたか。

 空想は好きでした。私、児童文学では『クレヨン王国』のシリーズが大好きだったんです。『クレヨン王国の十二か月』を読んだ時には季節ごと、月ごとのストーリーを作ったりとかしましたし、あとは『なんて素敵にジャパネスク』の続きを勝手に想像したり。ただ、文章に起こすということまではなくて、その授業が初めてでした。

――それ以降、書くようになったのでしょうか。

 中学1年生の時に、交換日記が流行ったんです。私は友達も少なくて、日記に書くこともなかったので、小説を書いて、お話が好きな友達3人だけに読んでもらっていました。書いてノートを渡して、3人が読んでノートが返ってきたらまた続きを書いて。連載ですよね(笑)。そういうことをやっていたら友達が「面白かった」って言ってくれるので、あの頃からはっきりと「小説を書きたい。そういう仕事に就きたい」と思っていました。

――連載していたのは、どういう話だったのですか。

 講談社X文庫ティーンズハートみたいな、恋愛系ですね。彼氏か自分が心臓病とか白血病で、「死なないで」というような。それがわりと好評で中1の間は書いていたんですけれど、中2くらいから交換日記の文化が廃れてきて、それで止めました。私もやっぱり、氷室さんの連載を追いかけて読むほうが楽しかった時期でしたし。でも、その頃は将来作家になって氷室さんに会う、というのが夢でした。「私はあなたの本を読んであなたに憧れて、あなたのおかげで作家になれました」って言うんだって、夢ばかりむくむく広がっていっていました。

――読書は、いかがでしたか。漫画もその後はどんなものを。

 小説は、氷室さんつながりで荻原規子さんの『勾玉』三部作とかも好きでしたね。氷室さんの『銀の海、金の大地』と同じ時代の話なんですよね。大王(おおきみ)がいて、勾玉が出てきて、というところがすごく好きでした。時代ものでいえば、平安時代が好きだから漫画の『あさきゆめみし』も読みました。
 漫画は、中学校に入ると「花とゆめ」で『動物のお医者さん』とか『ぼくの地球を守って』が連載していてブームになっていました。あとは「少女コミック」の『ふしぎ遊戯』。高校生になると『海の闇、月の影』の後の『天(そら)は赤い河のほとり』の連載もそろそろ始まっていたと思います。中学生の頃は漫画家にも憧れたんですけれど、私は絵が下手なので諦めていました。

――小説や漫画以外に、テレビとかゲームなどではまったものはありましたか。

 ゲームは「ドラゴンクエスト」にすごくはまりました。私、物語性のあるゲームじゃないと何故か損した気がするので、点数を競うゲームは得意ではないんです。最近でいうと、「あつまれ どうぶつの森」。自分で物語が描けるので好きでした。
 「ドラゴンクエスト」は物語が好きで、好きすぎて、エンディングが見たくなくなっちゃうんです。毎回、ラスボスの城の手前でゲームを止めていました(笑)。物語がここで終わっちゃう、というのがすごく嫌だったんです。

エッセイ本が好きだった

――部活は何かやっていましたか。

 やってなかったです。でも、高校の時、演劇部に入っていた友達が部員が3人しかいなくて、「3人用の台本って書けないの」と言ってきたんです。それで、ちょこちょこ台本を書いていました。私は人前で喋るのは苦手ですが、演じるのは友達だから気負いがなかったんですよね。友達に「この子はこういう性格だから、いちばん声の大きな役にしよう」とか言われながら役を作っていました。

――当て書きしてたんですね。

 そうなんですよね、その時は全然分かっていませんでしたが。友達も、「ここの言い回しが言いにくい」とか「ここ、こっちからこっちに来たらおかしくない?」とか言ってくれて、自分も実際に演技を見ていたら「あ、本当だ、おかしい」と気付く。いい勉強になりました。一回、高校の演劇の大会みたいなものに私が書いたお芝居を持って行ってくれたんですけれど、「やっぱり山場がちょっと足りなかった。他の学校の台本は観客が泣いてた」なんて言われて「まだまだだなあ」と思ったり。あれらのことで、物語づくりの勉強ができていた気がします。

――高校時代の読書も氷室さんの本が中心でしたか。

 そうですね。あとは、エッセイですね。このインタビューのお話をいただいてから自分の本棚を改めて見ていたんですけれど、そういえば高校の時から群ようこさんのエッセイを読んでいたなって思い出しました。そのころに群さんの『無印シリーズ』が流行っていましたが、幼かったからか大人の女性の日常にあまり共感も理解もできずというところがあったんです。それでも流行にのりたくて群さんのエッセイを読んだら面白かったという。『亜細亜ふむふむ紀行』、『またたび東方見聞録』、『東洋ごろごろ膝栗毛』という、群さんが新潮社の編集者さんと一緒にアジアをまわるというシリーズが好きでした。

――高校時代、小説は書かれていなかったのですか。

 小説みたいなものを書き散らしてはいたんですけれど、どこかに発表する、応募するということは考えていませんでした。漠然と「なりたい」という思いだけはあったという感じで、高校卒業して、なぜか理美容学校に進学したんですよ。いわゆる床屋さんのほうです。親が「手に職を持ったほうがいい」というので、なるほどなと思って。そうしたらまたこれが才能がなくて、学校についていくのも精一杯。ハサミの練習をしていたら小説を書く時間もなくなって、そこからフェードアウトしてしまったんです。まったく書かないし、時々余裕ができたら読む程度。でも、この時に茅田砂胡さんの『デルフィニア戦記』にはまっています。緻密に描かれたファンタジーで、私には到底書けない世界観だったのでただ憧れていたんですけれど、そういうふうに読むことだけは楽しんでいました。

きっかけは氷室さんの訃報

――卒業後はどうされたのでしょう。

 学校を卒業した後は理容師として働きはしたんですけれど、もともと才能がなかったのと、シャンプー液やパーマ液にかぶれて手や腕が腫れあがっちゃって、そんなに好きではなかった仕事なので辞めちゃったんです。そこから職を転々として、最終的に結婚しました。今考えてみたら転々とした職の中で、わりと小説のネタになるものがあったなと思います。
 出産もして、書くことにまで思い至らないという状態が28歳まで続きました。私、なんていうのか、いい大学を出ていないと作家になれないっていう、ちょっと変なコンプレックスがあったんですよ。いい大学の文芸科とかを出て、大学の時からバリバリ論文とか小説とか書いている人たちが作家になれるんだって思っていたので、「専門学校卒で専業主婦の私なんかが無理じゃん」っていう諦めがありました。

――実際は、いろんな経歴の人が小説を書いていますよね。では、小説を書いて応募しようと思ったのは何かきっかけがあったのでしょうか。

 「私にも小説家になるという夢があったのに」と思っていた時に、氷室さんが亡くなられたんです。もう、すごいショックでした。その時に、「なんで私、今までこんなことしていたんだろう」って。「あんなに憧れて助けられたのに、作家になって会うって夢もかなえられなくて、駄目じゃん」って。自分にすごく絶望して、そこから「もう1回やってみよう」と思って、また書き始めました。
 それで、はじめて作家を目指して書き始めたら、本を見る目が変わったんです。今までは受け取り手として「面白い」とか「これあんまり好きじゃなかった」というだけだったのが、本の構成とか文章の書き方を意識するようになって。さきほど言った『デルフィニア戦記』も、それまではただ眺めていただけだったのが、情報の出し方や台詞まわし、膨大な量のキャラクターの書き分けといったいろんなものがバーッと頭に入ってきた感じです。でも、自分が書こうとすると、それがうまくアウトプットできないんですね。

――どういう小説を書き始めたのですか。

 真っ先に選んだ媒体は携帯小説でした。子どもが小さかったので、子ども片手にガラケーで小説を打って投稿していたんです。読んだ人がコメント欄に感想を書きこめたり、投票のポイントでランキングが出てたりするんですが、投稿当初は「読みにくい」とか「山場が遅い」など、すごく言われました。それと、連載形式をとっていたんですが、最初は「面白かったです」と言ってくれていた人がいきなり「こんな展開にするんだったらもう読みません」と怒っちゃう、ということもありました。そこで読み手のことを考えるようになって、意識しながら書いてというのを繰り返していたら、次第に「面白いです」とか「これは好きです」と言ってくれる人が現れてきて、ランキング1位もとれたんです。
 そこで仲良くしていた人で「この人巧いな」と思った友達は、だいたい携帯小説からデビューして、本を出されたりしているんです。私は指をくわえて見ていたんですけれど、そういう人から「一般文芸のほうに行って、編集者さんに見てもらったほうがいいんじゃないの」と言って教えてくれたのが、「R-18」だったんですよ。

――「女による女のためのR-18文学賞」、通称「R-18」ですね。

 「R-18」はウェブから応募できるから、私みたいな人間にもハードルが低いんです。しかも原稿用紙30~50枚という規定だから、またハードルが下がる。長篇を書かなくても読んでもらえるし、二次審査までいくと編集者からの感想がもらえるんですよね。その感想がほしくて、「よし、じゃあこっちでいってみよう」と思って最初に応募したのが、朝香式さんが受賞した年だったんですけれど、それは一次にもひっかからなくて。「まだ全然足りてないんだな」と思って、そこからまた2年間くらい、本を読んで自分なりに勉強しました。桜庭一樹さんの『私の男』って作品がありますよね。私、本屋さんでぱっと開いた時、冒頭の〈私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた。〉からぐっと惹かれたんです。初っ端から殴りつけてくる感じの文章って、次のページを繰る原動力になるんだなと実感しました。あの時から、冒頭の一文って絶対に大事だなと思っていて、本屋さんで本を選ぶ時は最初の一文だけを見て決めたりしています。
 それで、「こういうのを書けるようになるにはどうしたらいいのか」って考えて、『私の男』の最初の1行目から終わりまで全てタイプしたんですよ。

――え、結構な長篇ですよね。

 文章をまるまる写すってどういうことかなとちょっとの出来心でした。やってみたらやっぱりしんどかったのでもう2冊目のチャレンジはなかったんですけれど。でも、「自分だったらここでこんな句読点は打たないし、こんな台詞言わせないのに。いやでもこれがこの後こう生きてくるのか」っていうことが肌で分かって、すごく勉強になりました。本当に気まぐれでやったんですけれど、すごく効きましたね。そこから1000本ノックじゃないですけれど、もう1回、自分がこれまで読まなかった本を読もう、すごいものを見てみようと思っていろいろ読んで出会ったのが、小山田浩子さんと桜木紫乃さん。

――ほう。また作風が全然違うおふたりですね。

 小山田さんの『工場』はたまたま読んだんですが、「工場は灰色で、地下室のドアを開けると鳥の匂いがした」という一文で始まって、だんだん意味の分からない方向になっていく。読み終えた2日間くらい変な夢を見たほど、自分の中で処理しきれない世界でした。で、最後に鳥が飛び立っていくんですよね。あのジェットコースターのような展開の、頭とお尻がちゃんと決まっているってすごく格好いいなと思って。
 桜木紫乃さんは友達が褒めていて「好きな作家さんだと思うから読んでごらん」って言われて、まず『ホテルローヤル』を読んで「ああ、すごい」って。私、個人的に北海道のクリエイターさんって、すごいって思う人が多いんですよ。氷室さんももちろんそうですし桜木さんもそう。ミュージシャンではサカナクションさん。北海道が私を呼んでいるって勝手に思っています(笑)。
 桜木さんの書く北海道の女性は、氷室冴子さんの書く女性にちょっと似ているなと私は思っています。男性を必要として男性のことをすごく深く愛するけれども、肝心なところではちゃんと自分の足で未来に向かって歩いて行けるっていうところが同じで、それは北海道の女性が持っている特性なのかしらって思うくらい。そこから桜木さんの『蛇行する月』を読みました。私、「幸せってなんだろう」と思っていた時期があるんですが、この本を読んだら幸せの見方の角度もいろいろあって、一方向から見るものではない、という当たり前を思い出させてもらえたんです。それで「このひとの描くものはものすごいのでは」と。その後に『ブルース』を読んで「やっぱり」と確信しまして、その上登場人物の影山博人に恋焦がれるようになりました。何人目でもいいから女にしてほしいと思うくらい(笑)、そこからは桜木さんに憧れ続けています。『ホテルローヤル』が映画化されていましたけれど、私は『ブルース』を実写化してほしい。相手役の女優さんに嫉妬しそうだけれども(笑)、影山博人が動いている姿が見たいんです。

作家デビューを果たす

――そうしていろいろ読んで学んで、また新人賞に応募したわけですか。

 いろいろ読んで細かい気づきを得て、1回目の挑戦から2年後にまた「R-18」にチャレンジしてみよう、となりました。

――焦らずじっくり勉強したんですね。

 自分に自信がなかったんです。本当にコンプレックスがあって、「自分は小説家になれない」というのが大前提だったんですよ。なぜなら私は専門学校卒だし、賢くないし、って。今考えたら笑っちゃうんですけれど、もっと言えば、「私、田舎に住んでるし」とも思っていて(笑)。
 そういう変なコンプレックスがあったので、二次審査までいって編集者さんのコメントさえ読めて、「プロの人が読んで感想を言ってくれるだけでもいいじゃん」っていう感じだったんです。2年間、『私の男』を書き写したり、好きな本の「なにが好きなのか」って突き詰めて考えたりして、「やり尽くした」と満足したところもありました。あの賞は3本まで送れるんですが、貧乏性なのでどれか1本ひっかかってくれたらいいなって、3本送りました。そうしたら大賞までとんとんとんって行っちゃって、びっくりしました。本当に夢みたいでした。

――2016年、「カメルーンの青い魚」で大賞を受賞されましたね。翌年、その作品を収録した『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を刊行されている。それにしても、氷室さんが亡くなったことがきっかけだったとは。

 こんなに好きだったんだなって自分でも驚きました。そして、その頃は自分に満足していなかったので、恩人にお礼も伝えられないまま死なせてしまった情けない自分という風に感じたんです。作家のはしくれにでもなっていたら、もしかしたら会えたかもしれないのに。「R-18」の授賞式では、興奮のあまりずっと氷室さんの話をしてしまったんですが、そうしたら徳間書店の方たちが、「実は氷室さんの担当をしてました。絶対に喜ばれると思います」って言ってくださって、嬉しくて泣きました。

――それは泣きます。

 でも、こんなに好きだったんなら、もっと早くから頑張っておけばよかったって、それはいまだに悔やみます。

――受賞作は短篇だから、単行本にまとめるにはもうちょっと分量が要るじゃないですか。そこからまた同じ町を舞台にした短篇を書いていったわけですか。

 連作短篇にするのでも、その短篇をお尻にすえて前に入る中篇を書くのでも、好きなように1冊分書いていいですよって言われたんです。私、その時にちょうど川上弘美さんの『どこから行っても遠い町』を読んでいたんですが、それがひとつの町を舞台に住人がゆるやかに繋がっているお話で、「こういうのも連作短篇っていうんだ」って知ったところだったんです。私もそういうものが書きたいと思いました。デビュー作が魚が出てくる話だったので、水槽の中で生きる魚というのを1冊にまとめたらちょっとまとまりが出るんじゃないかと考えました。

――翌年刊行されていますが、すんなりと書くことはできたわけですか。

 そうですね、すんなりと。桜庭さんの最初の一文というのが効いています。基本プロットは立てず、最初に意味の分からない一文を据える。自分でも先が分からず、どういう話が展開するんだろうっていうクエスチョンから進めていく手法をとっています。最初の一文とか、10行だけ決めて、そこから書き進めていきます。

デビュー後の読書生活

――デビューしてから、読書生活に変化はありましたか。

 そうですね。やっぱり何を読んでも勉強になるので、純粋に楽しむことがなくなったかなと思います。あと、最近はエッセイをよく手にしますね。息抜きにもなるし、純粋に楽しい。また北海道の方になりますが、北大路公子さんが大好きです。私はお酒が大好きなんですけれど、北大路さんは昼酒朝酒上等のエッセイを書かれていますよね。勝手ながらめちゃくちゃ親近感を覚えています(笑)。でも、お酒を飲んでぐうたらされてるかと思ったら急にいきなり文学的な一文をひゅーんと放り込んだりするので、背筋がすっと伸びる。油断させないぞ、というエッセイを読むのが好きですね。

――町田さんはお酒は強いんですか。何が好きなんでしょうか。

 強くはないんですけれど、飲むのは大好きです。もっぱらビールです。たまにワインを飲みますが、冷蔵庫に1本だけ冷やして、「この1本だけにするぞ」と思っていたら、気づいたら2本目を常温でガブガブやってたりして。それだと次の日仕事にならないので、最近はビールオンリーでいこうかなって思っています。お酒つながりのエッセイだと、内田百閒さんもすごく好きですね。百閒さんのお酒の飲み方とか生き方とか、すごく可愛いんですよね。「鳥は好きで飼うけど、すぐに死ぬ」とか「とりあえず電車に乗りたいからお金を借りに行く」とか自由と偏屈が同居していて、なんだこの人はと笑ってしまう。百閒さんのエッセイを読みながらビールを飲むと、すごく美味しいですよ。『御馳走帖』という食べ物についてずっと蘊蓄を語っているエッセイがあって、それを読みながら一杯やるのがおすすめです。いいお酒が飲めます。

――今、一日のサイクルってどんな感じですか。

 普段は、朝起きて家族を送り出した後に家事をします。その家事の合間、キッチンの横のダイニングテーブルにパソコンを置いて書きかけの原稿をずっと開いておいて、思いついたらそこに行って書きます。それを夕方の6時まで繰り返します。書くのは6時までって決めています。そこからは夕飯の支度もありますし、お酒も飲まなきゃいけないし(笑)。

――さきほどプロットを作らないということでしたが、創作ノートはないということですか。

 一応はあります。家事をしながらなので、忘れないようにちょろちょろっとメモしておくこともありますし、このシーンはどうしても書きたいというのがあったら、それを書いておいたりとか。その程度のことはします。頭の中で整理しきれない、こぼれそうな部分だけは書き留めておくので、パソコンの横には常にノートとペンを置いてますね。あとはだいたい脳内で組み立てています。

――ところで、おうかがいしているとミステリーはあまり読まれてないんですね。

 嫌いではないんですけれど、私が学生の頃に「作家から読者への挑戦」というページがあるのが流行っていたんですが、残念なことに「犯人もトリックも全然分からない......」って毎回思っちゃって。しかももっと残念なのが、解答編を読んでも尚、理解できなかったんです。だからちょっと苦手意識ができてしまったんです。全く読まないわけではないんですが。

――じゃあ、東京創元社から執筆依頼があった時は驚かれたんじゃないですか。『うつくしが丘の不幸の家』を刊行されていますよね。

 依頼をいただけたときはびっくりしました。「私、ミステリーは無理なんですけれど」と言ったら「ミステリーじゃなくていいです」と返されて、「いや、でも」って。本当によくお声がけしてくださったなって思います。あれで凪良ゆうさんとのご縁もできたんです。担当者さんが同じで、「町田さんの前に凪良さんという方の本を担当しました」と聞いていたので、どんな方だろうと思って『流浪の月』を読んで「ひゃー、すごい」ってなったんですよ。そこから『神様のビオトープ』を読んで「凪良さん、すごい、すごい」って。『滅びの前のシャングリラ』も本当に腰ぬかすかと思いました。

――『52ヘルツのクジラたち』の新しい帯に凪良さんからの推薦文がありますね。

 そうなんです、本当に嬉しくて。私が『滅びの前のシャングリラ』がすごいって言っていたら、「『52ヘルツのクジラたち』と通ずる部分もあるかと」というような内容をツイッターで仰ってくださったんです。思わず画面をスクショして、家族に「これ見て」って言いました(笑)。すごく嬉しかったです。その日は浴びるほどビールを飲みました。私のこのたぎる思いを、いつどうやって凪良さんにお伝えしようかって思っています。

――直接お会いしたことはあるんですか。

 ないんです。コロナ禍の最中ですし、なかなか人にお会いできないですよね。桜木紫乃さんの『家族じまい』が中央公論文芸賞を受賞された時も、授賞式に行けば桜木さんにお会いできるんじゃないかと思ったんですけれど、授賞式がないというお知らせがきて残念でした。凪良さんと桜木さんは、いつかお会いして「好きです」って言いたいです。こうやって「会いたい」って言い続けていればいつか向こうも「仕方ないな」って会ってくださるんじゃないかと思っていて。本当に好きな人には、会える時に「会いたい」って言わないとだめだってことを、身を持って知っているので、これからもしつこく言っていきます。

背中を押す本を書きたい

――デビュー後、作家さん同士の交流ってありますか。

 私、作家仲間というひとが特にいないんですよ。地方ですし、なかなかお会いできる機会がないですし。「R-18」の作家さんで個人的に頻繁にメールをしているのは一木けいさんです。けいさんも福岡県出身で、同い年なので気が合うんです。でも、なかなかお会いできないですけれど。
 それと、お友達っていったらおこがましいんですけれど、仲良くさせていただいているのは寺地はるなさん。寺地さんの、KaBoSコレクション2020金賞を受賞された『今日のハチミツ、あしたの私』を読んだ時にすごく好きだなと思っていたら、寺地さんが『52ヘルツのクジラたち』を読んでくださっていて、「うわ、嬉しい」と思って私から距離を詰めていったんです(笑)。最近は『水を縫う』を読んで、もう大好きな作品です。私はそんなに器用じゃないんですけれど編み物をするので、刺繍の話にぐっときました。

――『水を縫う』は家族たちの話で、その家族の高校生の男の子が刺繍が好きなんですよね。

 本当に普通の家族の普通の姿を描いていて、でも、背中を押してくれている。ああいう小説っていいなって思うんです。私自身が本を読んで背中を押されてきたので、私も誰かの背中を押せるものを書きたいなっていうのがあります。

――『52ヘルツのクジラたち』はまさにそういう話じゃないですか。とある事情で一人で田舎の町に越してきた女性が、一人の少年に出会う。その子がどうも母親に虐待されているようで、なんとかしようとするけれど......という。強い者が弱い者を助けるだけではなくて、誰もが強さも弱さも持っていて、誰もが助け合えるということが伝わってくる内容です。

 そう言ってもらえると嬉しいです。私、読み終えた後に「明日も頑張ろう」って思えるものを書く、というのが原点なんですよ。私が氷室冴子さんの本でいただいたものを、自分の本で誰かにお返ししたい、とまで言うのはおこがましいかもしれないですけれど、私の本を読んだ後に「明日も、ちょっとだけでも頑張ろう」と思ってもらえたら。たとえば『52ヘルツのクジラたち』を読んで「明日、クラスの隅っこにいるあの子に"おはよう"って声かけてみよう」とか、そういうちょっとしたことでいいので前向きな変化があったらいいなという気持ちで書いています。
 世界を変えるというような大それたことは全く思っていないんです。ただ、「おはよう」とか「バイバイ、明日ね」ってみんなが一言声をかけたりするだけで世界は優しくなるというか。もっといえば、人と人が仲良くなれたり、「助けて」と言えたりする世の中になったらいいな、ぐらいの夢はあります。

――『52ヘルツのクジラたち』は主人公側の事情が少しずつ明かされていきますが、その情報の小出しのタイミングも絶妙で、途中で「ああ...!」となりました。それをプロットなしで書かれていたとはびっくりです。

 あんまり言うと無計画なのが露呈して恥ずかしいんですけれども、プロットを綿密に立てたと思われるとなんか嬉しい(笑)。ただ、1章を書いた時点である程度事情はもう決まっていたので、自分が書きやすい時に情報を出していったという感じです。

――さきほどエッセイは挙がっていましたが、他に小説以外のものは読まれるんですか。

 また北海道出身の方になるんですが、穂村弘さんの短歌は好きですね。短歌から入って、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』を読んで「こんなかわいいおじさんいるの」と思ってエッセイを読んだら寝ぼけながら菓子パン食べるって書いていて、「ああ......かわいい......」って思って(笑)。
 詩でいうと、茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』っていう詩は、頭を殴られたくらいの衝撃でした。あの「自分の感受性くらい自分で守れ」っていう一文、すごいですよね。そこから茨城のり子さんも好きです。氷室さんも推されていたんですよね。氷室さん起点のものが多くてお恥ずかしいんですけれど。
 短歌とか詩って、切り落とされた鋭さがあって、そういうところが好きです。小説は十数万文字とかかけて伝えたいことを書いているので、たった十数文字の組み合わせで無限の感情や景色を受け取り手に与える短歌や詩ってすごいなって思います。自分は書けないけれど、触れるのは好きです。

――本を選ぶ時に最初の一文で決めるとのことでしたが、書評などを参考にすることはありませんか。

 書評は、読み終わった時に読む方が好きなので参考にはしないです。読んだ本の書評を探して読んで、「私もそう思った。一緒」「これ、これよ!」とか言うのが好きです(笑)。私、本の感想ってうまく言えなくて、本当に面白く読んだのにうまく言えない。「すごく面白かった」「面白かった」「難しかった」の3つくらいしかない(笑)。だから書評を見ると、「うわー、そうそうそう。こういうこと」っていう。言いたいことがすべて詰め込まれている書評を見つけて読むのが好きです。

――それにしても、おうかがいしているとたしかに北海道の人が多いですね。

 「好きだ」と思うとだいたい北海道出身の方なんですよね。桜木さんの作品も、北海道を舞台にしているところが特にひときわぐっとくるんですよね。前世で北海道に住んでいたんじゃないかって思います(笑)。桜木さんは「土地を書く」というところもすごいと思っています。

――桜木さんは「自分が知っている場所でないと書けない」とおっしゃっていますよね。

 私も、『52ヘルツのクジラたち』とかで自分の住まいのある北九州市を出したんですけれど、そこではじめて桜木さんの気持ちが分かったというか。自分が住んでいると、土地の空気とか匂いとかが分かるんですよ。先日テレビ番組で桜木さんがいつ冬が来るか分かる、小説の舞台がどう動くのかが分かるというようなことをおっしゃっていて、ああ、私も北九州だったら分かるもんなって思いました。

――今後どんな舞台を書かれるのか楽しみです。最後に、今後の刊行予定を教えてください。

 新潮社の連作短篇『コンビニ兄弟』の2巻を「出していいよ」と言われているので、私の頑張り次第かなと。長篇は、次は中央公論新社から書き下ろしになるんじゃないかと思っています。頑張って書いているところです。