「土葬の村」書評 見送り方 消えゆく風習に探る
ISBN: 9784065225448
発売⽇: 2021/02/17
サイズ: 18cm/312p
土葬の村 [著]高橋繁行
土葬を続ける理由を問われ、ある男性が「そら焼かれるのはかなわん。熱いやんか」と答える。現在、日本の火葬率は九九・九%以上。逆に言えば、一〇〇%ではない。国の定める墓地埋葬法では、土葬を禁じていない。なぜ少ないのか。なぜ残っているのか。
三十年にわたり土葬の村を調査し続けた著者が繰り返し記すのは、千年以上続いてきた土葬が、この十数年であっという間に消えようとしている事実。
伝承はいつしか途絶え、弔いの形は変容する。奈良盆地の東側山間部と、隣接する京都府南山城村に、土葬の村が残されていた。誰かが死ぬと、隣組の組頭が陣頭指揮を執る。遺族の仕事は、「故人の膝(ひざ)を折っておく」こと。死後硬直が始まれば座棺に入れられなくなるからだ。埋葬地まで死者の棺を担ぐ「野辺送り」にも様々なやり方があり、奈良市大保町では、先頭の者が大きな松明(たいまつ)を持ち、紅蓮(ぐれん)の炎から黒い煙を出した。そこに、死者が食べる弁当を持つ「四つモチ」が続く。
土葬にこだわる住職の言葉が耳に残る。二十歳で結婚し、七十年間も田んぼや畑を耕してきたおばあさんを、葬儀会館で急いで送るのになじめない。「みんなで〝ムダ〟をいっぱいして故人を送ることが供養になるのです」
土葬だけではなく、野焼き火葬や風葬の歴史を追いかける。無論、その善しあしを定めようとするわけではない。風習に根付いている、死者に向けられる想念を書き取る。
著者は二十年ほど前、ある友人を亡くし、親しい友人たちだけのお葬式で見送った。送るのは家族でなければならないのか、との問いが、弔いの歴史をひもとく動機になり続けた。
人は誰もが死を迎えるが、送り方、迎え方には潮流がある。土葬の場には、個人、家族、地域それぞれで死を受容するという態度が通底していた。失われていく風習の中に残る、失ってはならない眼差(まなざ)しを知った。
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たかはし・しげゆき 1954年生まれ。ルポライター、高橋葬祭研究所主宰。著書に『お葬式の言葉と風習』など。