号泣した平原綾香さんがニュースに
――小学校を卒業した子どもたちが6年間共に過ごしたランドセルを、アフガニスタンの子どもたちに贈るプロジェクト「ランドセルは海を越えて」。その活動を写真で紹介する同名の絵本を出版したのが写真家の内堀タケシさんだ。2001年12月に初めてアフガニスタンを取材して以来、20年近く現地の日常を追ってきた。政情不安定な状況下にあっても、ランドセルを背負い、学ぶ喜びに満ちた子どもたちのきらきたした瞳、たくましい笑顔を伝えている。
表紙の少女が背負っているピンクのランドセルは、歌手・平原綾香さんが実際に使っていたものです。僕が平原さんのコンサートに行ったときに、アフガニスタンへ届けてほしいと渡されたんです。後日、TOKYO FMの平原さんのラジオ番組にゲスト出演し、「ランドセルをタルサワちゃんという少女に渡したよ」と伝えると、平原さんは嬉しそうな彼女の写真を見て号泣してしまいました。するとその日のYahoo!のトップニュースに「平原綾香 放送事故」と載ってしまったんです(笑)。
ランドセルを受け取る子どもたちを撮るのはとても大変なこと。行列ができるのですが、写真をなかなか撮らせてくれない。皆、ランドセルをもらうとすぐに走って帰ってしまうからです。でもこのタルサワちゃんだけはニコニコっとする子だったので、彼女が並んでいた順番に合わせて、ピンクのランドセルを並べました。アフガニスタンの人はあまり手を合わせることはしません。この時はたまたま嬉しそうに指をそっと唇にふれたくらい。事前に頼んでいたら、こうは撮れなかったですね。一瞬、ぱっぱと撮ってるだけですから。
――日本から届いたランドセルの山。澄み切った青空のもと、現地の男性スタッフがランドセルにノートや文房具を入れている――。内堀さんにとって、特に印象に残っている写真だ。
よく見ると空にドローンが写っています。これは兵器。以前は偵察機でした。今はミサイルと機関砲が付いています。ここは、ジャララバードの空軍基地が近くにあるので、ドローンが飛んでいる。ドローンを撮ろうとすると「危ない、撃たれる」と現地の人に言われます。子どもたちの置かれている環境が、どれほど危険かわかりますね。
「お茶が出来たから職員室にどうぞ」って言われて行ってみると、そこは野外に石を並べただけの職員室でした。僕が地面に座ろうとすると、お尻にサボテンの針が刺さって「痛~っ」と叫んだら皆がケラケラ笑った。爆笑してました。その時に「ハイ」と言って撮ったのが裏表紙の写真です。撮影する時に、僕から「笑って」とは絶対に言わないですね。自分がそこで出会ったものを撮るようにしています。
アフガニスタン人は基本、写真を撮られたことがない人たち。だから学校に行くと、どんなに人数が多くても全員撮影します。被写体を選ぶといい写真が撮れないと思うんです。自分は人を選ぶほどそんなに偉くないですし。本にする時は、ピントとか光の感じとかで写真を選び、写真や文の配置はデザイナーに全ておまかせしています。
就学率を上げる役割も
――校舎が壊され、青空教室で授業を行う場所では、ランドセルは机代わりにもなる。そんな状況が色鮮やかな写真を通し、臨場感をもって読者に伝わってくる。
先生が棒でびしびしやらないといけないくらい、子どもたちははしゃぐんです。ランドセルの中に入っている、色鉛筆にプリントされたキャラクターを穴が開くくらいじっと見ていますね。子どもたちは神に感謝するんです。親が子どもに「神があなたを見ていて、あなたにこういうチャンスを与えてくれたんだよ」という場合が多いですね。
今までは子どもたちの姿を見ても、仕事をしているのか、学校に行くのか、遊びに行くのか、どこに行くかわからなかった。でも、村でランドセルを背負っている子が増えると、通学していることが明白になります。その姿を見た親たちが「うちの子も行かせようかな」となり、就学率を上げる役割を担っていると感じますね。
――アフガニスタンの取材のきっかけは、日本に住むアフガニスタン人の医師との出会いだった。「弱って動けない人のもとへ、動ける人が出かけていくのは、アフガニスタンでは当たり前」という彼の言葉が心に残っている。
僕は毎年、フォトボランティア ジャパン基金という団体のチャリティ写真展に参加し、写真を即売していろんな団体に寄付しています。2001年10月のアフガニスタンの空爆が起こった時、その仲間たちと現地に何か支援できないかという話になったんです。そこで以前、日本で暮らす外国人を追う雑誌連載で取材した、静岡県に住むアフガニスタン人の開業医レシャード・カレッドさんを思い出しました。レシャードさんは、茶畑が広がる山あいの高齢者世帯へ週1で往診に行っていたんですよ。
そしてレシャードさんにフォトボランティア ジャパンの話をしたところ、「12月にアフガニスタンへ現地の医療視察に行くから一緒に行こう」と誘われ、同行したんです。隣国のパキスタンから首都カブールへ向かう陸路は命の危険を伴うルートでしたが、何とか到着。そこは、がれきだらけで東日本大震災の跡のような惨状でした。
帰国後、東京都三鷹市の公民館で写真展を行ったところ反響があり、以来各地の小学校で、大きく引き伸ばした写真を見せて、子どもたちと話し合う「フォトディスカッション」の活動を始めました。機関銃や戦車の写真を見た子どもたちの反応は大きく、質問が止まらないほどでした。今では感想文が段ボールで何箱もたまっています。
23万個以上がアフガニスタンへ
――学校での展示活動をしている頃、出版社から「アフガニスタンの本を作りましょう」と提案され、出版したのが『写真絵本 アフガニスタン 勇気と笑顔』(国土社)だった。その本の印刷所の人が「刷る度に余る紙が大量にあるけれど、アフガニスタンは物資が少ないと思うから送る?」と提案してくれた。それが本書の出版につながったという。
印刷所の余った紙で日本の四季のカレンダーを4枚1組で作成。でも、出来上がった1万セットは天井に届く位の量で、さてどうやって送ろうか悩んでいたところ、荷物の半分を国際交流基金が、残り半分をNGO「ジョイセフ」がランドセルを送るコンテナのたった5cmの隙間に入れて運んでくれることになったんです。
そこでジョイセフのスタッフから「ランドセルが届いて、子どもたちが使っている写真を撮ってきてくれないか」と頼まれ、現地でランドセルが配布されるところを撮影してきました。送り主の子どもからすると、自分が使っていたものがアフガニスタンの一人の子どもに届くわけですね。その事実を子どもたちにも理解しやすい絵本にしようと考え、企画書を児童書の編集部に送りました。そしてポプラ社でこの絵本の出版が決まったんです。
そもそも、アフガニスタンにランドセルを贈るプロジェクトは、ランドセルの人工皮革「クラリーノ」を製造する化学メーカー「クラレ」が発案したものです。不要になったランドセルをゴミに出すなら、途上国に送ったらいいのではということで、ジョイセフの協力により2004年に始まりました。これまでアフガニスタンへ届けた数は、23万個以上。絵本のタイトルは、そのプロジェクト名なのです。
海を越えた信頼関係を
――令和2年度から光村図書出版の教科書「国語 四上 かがやき」に本書が紹介され、絵本の読者にとどまらず、より多くの子どもたちの目にふれることになった。学校に通うこと、学ぶこと、幸せ、それらの意味について考えさせられる。
全文掲載されていて、小学4年生はこれを音読するそうです。当初、光村図書出版から連絡をもらったときは、社会の科目だと思いましたが、国語と聞いて驚きました。これを読んで国際支援に関心を持つようになったり、普段から外国の人に手助けをできるようになったりしたらいいことだと思います。
僕がこれまで小学校で難民キャンプの写真を見せて話をしてきた中で「あなたはカメラじゃなく、パンを持っていけ」と言う子がいたんです。1人1個100円のパンを3万人に持っていったとしたら、1カ月だと高額なお金がかかる。それを説明すると、僕一人がアルバイトしたくらいでは無理だと理解してくれる。すると、どうすれば手助けができるのかを小学生は本気で考え始めるんですね。
――「ランドセルは海を越えて」の活動は17年以上続いている。絵本で活動の様子を知り、いつか、日本とアフガニスタンの信頼関係の礎になっていったらうれしいと内堀さんは語る。
子どもたちには本当の支援の意味を知ってほしい。ランドセルを送ることで、いろんな世界情勢に興味を持ってもらいたいですね。支援とは、こちらからモノをあげることですが、実は支援したことによって、同じだけ何かをもらっているんだと思います。思い出のあるランドセルを捨てずに送ったことによって、自分が浄化されて気持ちが明るくなったり、視野が広がったりするはずです。それはやってみたらわかる。支援してみると自分が救われ、癒やされることに気づく。等価交換しているだけだと思うのです。
この活動が始まった頃にランドセルを送った子どもは、もうすぐ30代。その子どもたちの一人がもしいつか日本の外務大臣か何かの職について、アフガニスタンの外務大臣と会ったときに「私は日本から送ってもらったランドセルで勉強したよ」「僕も送ったよ」という出会いがあったらすごいですね。いつかね。でもそういう出会いが必ず来るって思っています。
アフガニスタン人は、人の信頼に対する価値がとても高い。ビンラディンに5000万ドルの懸賞金がかけられた時も、「もし俺に懸賞金が付いていたら俺を売るのか? しないよね。だって俺たちの友情はその賞金よりずっと価値が高いだろう」と言われたことがあります。彼らにとっては、人を裏切ることが何よりも重い罪なわけです。子どものときに、ランドセルを送ったこと、もらったことはきっと忘れないはず。顔は見えなくても、海を越えて、ランドセルを通した厚い信頼関係が築かれていると思います。