グルメ番組には食指が動かないのに、映画やドラマに登場する食べ物が時々、意外なほど美味(おい)しそうに見える。先日あるドラマに、プリンアラモードがちらりと映った。パフェほど華美ではないが、ただのプリンに比べればはるかにポップ。どんな喫茶店にもありそうな庶民派の癖に、意外と注文しない不思議な存在だ。
長らく食べてないな、と思った途端、急にプリンアラモードが恋しくなった。だがこのご時世、外出も憚(はばか)られる。かくなる上は、と生クリームがあることを確かめ、プリン作りに取りかかったが、我が家にはプリンアラモードにふさわしい器がない。仕方なく洋風の四角い小鉢に盛り付けたものの、心に描いていた光景には遠く及ばず野暮(やぼ)ったい。プリンは自画自賛するほど美味しく、果物の飾り切りもうまく行っただけに、その差が残念だった。
思えば料理に興味を抱き始めた幼少時は、我が手で食べ物が作り出せる事実が単純に嬉(うれ)しかった。当時はネットなぞなく、子供向きの料理本を見つつの挑戦だったが、それでもたとえば初めて一人でバナナとイチゴのフルーツサンドを作った日の胸の弾みは今でもよく覚えている。子どもの料理なので、きっと断面はひしゃげ、果物のサイズもばらばらだったはずなのに、とても美味しいフルーツサンドだった。
それが見かけや盛りつけが気になり、己の料理に内心、ケチをつけるようになったのは、自他を比較する大人の知恵がついてしまったためなのか。いや、待て。少なくとも小鉢のプリンアラモードは実に美味しかった。あれで何の文句があるんだ、と自分に言い聞かせてみると、あの料理もこの料理も――下手と思っていたその他の家事ですら、実は意外と頑張っているのでは?と、思わぬ自信が湧いて来る。ふむ。ならば今度から何か落ち込むことが起きたなら、またプリンアラモードを作ってみよう。どうやら小鉢のプリンアラモードは、作り手に勇気を与える無敵の料理らしいのだから。=朝日新聞2021年5月26日掲載