素朴なクマに一目惚れ
――雑誌「Quick Japan」などの編集長を経て、2017年に“ひとり出版社”である「百万年書房」を設立した北尾修一さん。今年は「28年の編集者人生で初」という絵本の翻訳出版を手がけた。『よるくまシュッカ ぐっすりねむれる あいの ことば』(エミリー・メルゴー・ヤコブセン作・中村冬美 訳/百万年書房)は、瞑想の呼吸法を取り入れた「寝かしつけ絵本」。2018年にデンマークで発売された原作は、翌年のデンマークの書籍総合売上第3位を記録するなど、ベストセラーとなっている。
『よるくまシュッカ』の原作を知ったのは、北欧文学の翻訳者の中村冬美さんがきっかけ。中村さんが参加する「北欧語書籍翻訳者の会」のメンバーが、北欧文学の魅力をプレゼンするイベントに参加したのですが、そこで「デンマークですごく人気がある、寝かしつけ絵本」と紹介されていたのがこの『よるくまシュッカ』だったんです。
最初に原作を見たときの印象は、「このクマ、すごくかわいい♡」(笑)。作者のエミリー・メルゴー・ヤコブセンさんは元保育士で、プロの絵本作家ではないのですが、だからこその作為のない、素朴であたたかみのあるタッチに惹き付けられました。あと、中村さんのプレゼンを聞いていて「そういえば、自分も子育て中に娘が寝てくれない時期があってしんどかったな」と思い出し、「寝かしつけのための絵本」という実用的な部分にも魅力を感じて。翻訳も絵本の編集もやったことがないけれど、まずは版権を取ってみるか!という軽い気持ちでスタートしました。
「百万年書房」は自分ひとりでやっている出版社なんですが、偶然にも『よるくまシュッカ』を出しているデンマークの版元も、同じく“ひとり出版社”だったんです。ラリーのようにメールを頻繁にやり取りしていくうちに、変わりもの同士で意気投合しちゃって。先方も「面白いやつだな」と気に入ってくれたみたいで、「シュッカ」シリーズの版権をすべて取得できることになりました。
親子でリラックス
——原作者のヤコブセンさんはメディテーション(瞑想)に詳しく、絵本には(はなから いきを すって、はきます)という呼吸法や、眠りを誘う「あくび」が取り入れられている。静かな語りと瞑想の効果によって、絵本を読み終えるころには、親子で深くリラックスできる仕掛けだ。愛嬌のある主人公のクマ「シュッカ」は、本国デンマークでは今や、国民的キャラクターとして人気となっているそう。
作者のエミリーさんは3児の母なんですが、長男のウィリアムくんが4歳のころ、パートナーとケンカして家を追い出され、女友だちの家に身を寄せていた時期があったそうなんです。そのときに、不安な環境にいるウィリアムくんを、なんとか快適な眠りに導きたくてつくったおはなしが『よるくまシュッカ』の原型。「夜にあなたのお世話をしてくれる動物を選ぶとしたら、何がいい?」と聞いたら「……クマがいい」とウイリアムくんが答えたので、主人公がクマとなったそう。「シュッカ」という名前もウィリアムくんがそのときに付けたものです。非常にプライベートな出来事が、この絵本の出発点なんですよね。
心理学の要素などを取り入れた「寝かしつけのための絵本」はいろいろありますが、『よるくまシュッカ』の魅力は素朴で愛らしいキャラクターと、子どもたちに語りかける愛に満ちた言葉の数々にあると思います。絵本には「(…………)は わたしのたからもの」「(…………)は そのままで すてき」「だいすきな(…………)」などのフレーズがたくさん。(…………)の部分に子どもの名前を入れて、一日の終わりに名前をいっぱい呼んであげて、「そのままのあなたが最高なんだよ」「心から愛しているよ」と言ってあげられたら、子どもは幸せな気持ちで眠りにつけますよね。普段は照れくさくてなかなか言えないような言葉も、絵本を通して自然に伝えることができるんです。
読者からの感想が届いて分かったことは、読み聞かせする親御さんたちにも、深いリラックス効果があったということ。これはうれしい驚きでした。デンマークではそういう感想は聞いていなかったので、やはり日本の環境ってすごくストレスフルなんでしょうね。
特に子育て世代は大変。都会で、夫婦2人だけで子育てしながら共働きって、正直「どんな無理ゲーなんだ」と思います。まいにち仕事で疲れ切って家に帰ってきて、溜まった家事を片付けてから、早く子どもを寝かしつけないと……となると、イライラしてしまうのも仕方ない。でも、寝る前に子どもと一緒に『よるくまシュッカ』を読めば、いつの間にか優しい気持ちになれて、心も穏やかに整う。親の心身の状態ってダイレクトに伝わるから、それで子どもも安心することができて、眠くなるんじゃないでしょうか。
「自分専用」として楽しむミニ版も
——翻訳出版するにあたって、日本版オリジナルの工夫も。同時発売された『よるくまシュッカ ミニ』は、文庫ほどの手のひらサイズ。テキストやページの量を減らし、子どもが“自分だけの絵本”として楽しめる仕様となっている。
本国デンマークでも、ページ数やテキストを減らしたミニ版は出版されているのですが、おでかけの際に持ち歩くためのボードブックなんですよね。大小の絵本の使い分けがいまいちピンと来なかったので、ミニ版は思い切って「こどもせんよう」という位置づけにしたい、と長い手紙を書いてデンマークの原作者と版元に交渉しました。
日本では、子ども向けの絵本というと、どうしても親が選んで買って読み聞かせて……と、大人が主体になることが多いですよね。そうではなくて、眠る前に子ども自身が“自分のため”に絵本を選んで読む、そういう文化を根付かせるきっかけになればと思いました。「自分の本を所有する喜び」を、ミニ版の『シュッカ』から感じてほしかったんです。
カバーそでの注意書きも、日本だけの完全オリジナル。(…………)の部分には、「自分の名前を入れて読んでもいいけれど、弟や妹、ママやパパの名前を入れて読んであげてね」というメッセージを書き込みました。君がほかの家族に読み聞かせしてあげるのもすてきだよ、という提案です。
コロナ禍もあって、日本のお父さんお母さんたちはすごく疲れていると思うんですが、それをねぎらうように子どもから絵本を読んでもらえたら、疲れも飛んでいくと思います。子どもだって、たまには親に頼られると、すごく誇らしい気持ちになるはず。「きょうはパパが読もうか」「きょうはぼくが読むね」というように、親子で毎晩交互に読んでもいいですね。恋人や夫婦、友だち同士で『よるくまシュッカ』を読み聞かせし合うのも面白いかもしれません。『よるくまシュッカ』は絵本のかたちをしたコミュニケーションのツールですから、それぞれの家族に合わせて、自由にいろんな楽しみ方をしてもらえればと思っています。
(文:澤田聡子 写真:百万年書房提供)