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蛭田亜紗子さんの読んできた本たち 20歳を過ぎて、自分の女性性と向き合えるようになった

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動物が出てくる本が好きだった

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 幼稚園に入る前から絵本は好きで読んでいました。読み聞かせてもらいましたし、自分で読めなくても絵を眺めていた記憶があります。百科事典のように巻数が多くて箱に入った「スキャリーおじさんのどうぶつえほん」というシリーズがあったんですよね。ローリーという名前のミミズが主人公のお話などがありました。あとは、「チャイクロ」という知育絵本のシリーズ。数字の話や色の話や工作の話がありました。

――本を読むのが好きな子供でしたか。

 はい。幼稚園の頃は図書館で毎週、「バーバパパ」のシリーズでローテーションを組んで、同じ本を何度も借りていました。かこさとしさんの『からすのパンやさん』やねずみたちが主人公の「14ひき」シリーズの『14ひきのひっこし』や、『だれのおうちかな?』という、建築家のねずみがいろんな動物の家を作るという絵本も、絵が緻密で好きでした。『だれのおうちかな?』も「14ひき」シリーズもねずみの暮らしが丁寧に描かれているんですよね。ずっと眺めていられるような、細かい絵の絵本が好きでした。

――どちらかといえばインドアだったのでしょうか。

 親に「外に遊びに行きなさい」と言われて表に出ても、蟻の巣をずっと眺めていたりして。できるだけ家にいたい子供でした。

――小学校に入ってからの読書生活は。

 1年生の時に、絵本ではなく文字の多い本として読んだのがいぬいとみこさんの『ながいながいペンギンの話』でした。100ページ以上あるので、1年生の自分としては「こんなに読めた」と誇らしい気持ちになったのを憶えています。ペンギンの兄弟が成長していく話で、実際のコウテイペンギンの生育の話になっているんですよね。低学年の頃は他に『若草物語』も読みました。ちょうどアニメの「世界名作劇場」で放送されていたんです。「こまったさん」シリーズも好きでしたし、「シートン動物記」もよく読んでいました。こうしてみると、動物の話が多いですね(笑)。

 中学年くらいになると、「ズッコケ三人組」のシリーズなどもよく読みました。シャーロック・ホームズやルパンのシリーズも読みましたが、ホームズはピンとこなくて、ルパン派でした。当時はホームズの謎解きの部分にあまり面白みを感じず、ルパンの人間的魅力のほうが面白かったんです。今読めばホームズもワトソンも人間的な魅力があると分かるんですが、小学生が読んでもあまりピンとこなかったようです。

 4年生の時だったか5年生の時だったか、学校の図書室で『ルパン対ホームズ』を借りたんですが、返さずに延滞してしまって。卒業式の日にやっと返したんですが、その日までずーっと罪悪感があって、気に病んでました。あれは人生最初の大きな悩みでした。

――一度返しそびれると、申し訳なくてかえって返しづらくなるということはありそうですね。

 そうですね。それまで"いい子ちゃん"だったので、いけないことをしてしまってどうしよう、という気持ちで。2年間くらい、ほぼ毎日気になっていました。卒業式の日に返したら先生は笑っていましたけれど。

――ちゃんと返しに行ったんだから偉いですよ。他に、漫画やアニメなどは好きでしたか。

 私は「りぼん」派でした。岡田あーみんさんの『こいつら100%伝説』とか『ルナティック雑技団』とか。谷川史子さんの、素朴で叙情的な絵の少女漫画も好きでしたね。

 テレビは、バラエティ番組は家で禁止されていたんです。観てもいいのは先ほども言ったアニメの「世界名作劇場」とか、あとはクイズ番組とか。当時「わくわく動物ランド」という番組があって、それは好きでした。

――やっぱり動物が好きなんですね。ご自宅でも何か飼っていましたか。

 小学生の頃に猫やサンショウウオを飼っていました。同じ敷地内に祖父母の家があって、そこにはビーグル犬がいました。

――ごきょうだいは。本の貸し借りなどされたのかな、と。

 ふたつ下の妹とは漫画を共有していましたね。弟は七つ下なのであまりそういうことはしませんでした。

自分を出すのが苦手な子供だった

――国語の授業は好きでしたか。作文とか。

 作文の授業は苦手でした。タイトルと自分の名前の後は1、2文字しか書けないままどんどん時計の針が進んでいって、焦って泣き出してしまうような子供でした。

――書くことが浮かばなかった、とか?

 書くことが恥ずかしかったんです。自分の気持ちを書かされることがすごく嫌でした。頭の中ではいろいろ空想したりはしていましたけれど、それを人に読ませるのが嫌だったんです。

――小学生の頃、「将来の夢」にはどんなことを書いていたのでしょう。

 作文と同じで、そういうことを書かされるのが本当に嫌で嫌で嫌で。全然思ってもいなかったことを書いたりしていました。

――自分を表に出すことが苦手だったようですね。

 苦手でした。でも、5年生の時か6年生の時に、詩を書く授業があったんです。その時に、自分のことじゃなければ書けるんだと気づきました。その時書いたのは、昼間の空が夜に変わっていくというような、他愛のない風景についての詩だったんですが、これなら書けるし人に読まれても辛くないと思ったんですよね。

――蛭田さんはTwitterに時々、ご自身が作った洋服の写真を挙げていますよね。ブラウスやコートなどどれもすごく可愛くて。実際に洋裁をモチーフにした『エンディングドレス』という小説も書かれていますし、小さい頃から手を動かすことは好きでしたか。

 手芸や工作はすごく好きでした。実際に作らなくても、フェルト手芸やキャンドルづくりの本とか、紙粘土の本を眺めながら作ることを想像するのも楽しかったです。

ファンタジーが好き

――では、中学生になってからの読書生活は。

 当時はライトノベルという言葉はまだ一般的ではなかったんですが、スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫の日本のファンタジーはよく読んでいました。好きだったのは、水野良さんの『ロードス島戦記』のシリーズとか、田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』や『アルスラーン戦記』、冴木忍さんの『星の大地』とか。中学生って微妙な年頃なので、学校にも社会にも馴染めない感じがあって、せめて本の中で現実とは違う世界が読みたいと思ったのかもしれません。

 路面電車に乗って塾に通っていたんですが、塾がある駅のひとつ前の駅のそばに小さい本屋さんがあったんです。それでいつも、ひとつ手前で降りて本屋さんで本を見てから、ひと駅分歩いて塾に行っていました。

――札幌育ちですよね。学校の体育の授業ではやはりスキーなどを習ったのですか。

 校庭に雪山を作って滑ったり、スキー場に行ってスキーの授業がありましたね。同じ北海道でも道東の雪が少ない地域はスキーではなくスケートなんです。でも私は身体を動かすことが苦手で。運動会でも走ると必ずビリでした。

――部活は何をされていたんですか。

 中学校では茶道部でした。お茶飲んでお菓子を食べるだけなのでいいなと思って(笑)。その部活の友達が、ファンタジー小説が好きで自分でも書いていて、読ませてもらっていたんです。私はその子のことがすごく好きで付きまとい過ぎて嫌われていたんですが(苦笑)、その子に近づきたくて自分でも30枚くらいのファンタジーを書いたんです。それがはじめて書いた小説でした。

――それはその子に読んでもらったのですか。

 いえ、読ませなかったし書いているとも言わなかったんですけれど、雑誌の「ザ・スニーカー」に短篇小説を募集しているコーナーがあったので応募しました。特に何の反応もなかったんですけれど。その頃にはもう、小説家になりたいと思っていました。

――中学生だと、授業で古典などの課題図書を読んだりはしませんでしたか。

 国語の授業で印象的だったのは、20代の女性の先生がいつも授業の前に自分の好きな詩を黒板に書いて解説してくれたことです。中原中也とか、萩原朔太郎とか草野心平とか。たとえば草野心平の「冬眠」という、「●」がひとつあるだけの詩について、冬眠しているカエルの寝床を示している、とか解説してくれて。すごく自由な世界があるんだなと思いましたね。

学生時代の読書

――高校生になってからは。

 活動範囲が広がって、学校帰りに大きい本屋さんにも行くようになって。いわゆる昭和の文豪、太宰治や三島由紀夫、谷崎潤一郎などをよく読みました。小学校の頃に行っていた図書館にあった「少年探偵団」のシリーズは表紙が怖くて読めなかったんですが、高校生になってからは江戸川乱歩もすごく読みました。怪奇っぽいものが好きでしたね。夢野久作の『ドグラ・マグラ』なども読みました。

 出版社が毎年、「夏の100冊」というような文庫キャンペーンをやりますよね。そういうところから、いろんな本を知りました。海外だったらカフカやカミュ、トーマス・マンなどの有名文学を結構読みました。なかには読んでも全然分からないものもあって。今だったら分からないと立ち止まってしまいますけれど、当時は分からなくても気にせずにゴリゴリ読んでいました。

――現代作家は読みましたか。

 通過儀礼的に当時ハマったのはW村上ですね。修学旅行に読みかけの『ねじまき鳥クロニクル』の単行本全3冊を持っていって、結局1ページも読みませんでした(笑)。ただ重いだけで、今思うとすごく恥ずかしいですね。修学旅行の後で読み切ったんですけれど。

――それぞれ、どの作品が好きでしたか。

 今だったら違う作品を挙げる気がしますが、当時好きだったのは村上春樹なら『1973年のピンボール』、村上龍なら『海の向こうで戦争が始まる』。どちらも2作目の著作なんですよね。当時なんで好きだったんだろう......。

――友達と本の貸し借りをしたりとかは。

 友達に物静かな美少女がいて、みんなその子に自分の好きな音楽や本を貸したがっていたんです。私も春樹なんかを貸しましたし、その子も読んでいました。

――部活は。

 高校では美術部で油絵を描いていましたが、描いているよりも喋っている時間のほうが長かったです(笑)。

――小説は書いていましたか。

 ノートに3行くらい書いて終わり、という感じでちゃんと書いてはいませんでした。作家になりたい気持ちはあったのに。

――卒業後、東京の大学に進学されたんですよね。また生活ががらっと変わったのでは。

 家から離れて暮らしてみたいという気持ちがありました。最初の2年間は寮に入るという約束だったんですが、寮のルールが厳しかったんですよね。狭山の茶畑の奥の奥にある寮で、門限に間に合うように帰るためには池袋を7時半に出なきゃいけない。1分でも遅れるとしばらく外出禁止になって、罰として掃除当番をさせられたりして。部屋も相部屋だったしテレビも共有スペースにあって、一人きりになれる時間がなかったのも辛かったんです。そうした集団生活があまりに嫌で、1年で出て2年生の時から一人暮らしを始めました。

――晴れて一人暮らしになった時は相当な解放感があったのでは。

 そうですね。また行動範囲が広がりました。サブカルチャー寄りの本屋で今までとは違うタイプの本が手に入るようになりましたし。吉祥寺のヴィレッジヴァンガードなどによく行きました。その頃は澁澤龍彦のエッセイが好きでした。

――当時のサブカルチャーって、今のサブカルと言われているものとはまたちょっと違いますよね。

 私は1999年に20歳になったんですけれど、当時は世紀末のあやういムードがありました。サブカルチャーも「危ない1号」などのアングラ系のムックが流行っていましたね。今読んだら自分もきっと腹が立つだろうけれど、当時はそういうものを面白がっていました。

 これは高校生の頃からなんですけれど、18歳未満のうちはマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』とかをエッチなものとして読んでいたんですよ(笑)。沼正三の『家畜人ヤプー』とか、『O嬢の物語』などを性の教科書にしていたので、かなり偏った知識を得てしまいました(笑)。

 それと、ちょうど大学に入った頃、J文学が流行っていたんです。J文学の旗手と呼ばれていた阿部和重さんの『インディヴィジュアル・プロジェクション』や、町田康さんの『くっすん大黒』を読みました。それと、大学時代にすごく読んだのは安部公房。一番好きなのは『燃えつきた地図』で、探偵が人を捜すうちに迷い込んでしまうというか。

 他には村上春樹の流れで、フィッツジェラルドやカポーティもよく読みました。短篇が好きでした。カポーティなら「無頭の鷹」、フィッツジェラルドなら後期の、人生の陰を感じられるものが好きでした。看護師に当たり散らす話とか、これは初期の作品ですが、奥さんがクッキーを壁に飾り付けた話とか、初恋の女の子と再会する話とか......

――読書以外に、何にハマっていましたか。

 インディーズバンドが出ているライブハウスによく行っていました。雑誌の後ろのほうの細かいページやミニコミ的なものにそういう情報があったし、5、6組の対バンの時にお目当て以外にも好きなバンドを見つけたりして広げていっていました。

――ロック系ですか?

 高校生の時にビジュアル系バンドブームがあって私も好きだったんですが、だんだんそこからずれて、白塗りでおどろおどろしいことをやるバンドが好きになって。グルグル映畫館とか、cali≠gari(カリガリ)とか。ただ、彼氏ができるとライブから足が遠ざかり、その後大学を卒業したらまた北海道に戻ったので、その後は追えていないんです。

北海道で会社員生活&作家デビュー

――北海道に戻るとは決めていたのですか。

 東京で暮らすのは大学の時だけ、というのが親との約束でした。でも一応、東京でも就職活動はしたんです。氷河期だったので選考でまったく先に進めず、結局親のコネで北海道の広告代理店に就職しました。でも当時は働き方改革の影も形もない頃で、日付が変わる頃に帰るような毎日で。テレビもまったく見る時間がないので、広告代理店で働いているのに何が流行っているのか全然知らなかったんですよ。それで5年くらいで転職しました。

 最初の会社にいる頃に印象に残っている読書体験がありました。東京にいた頃に付き合いはじめた人と遠距離恋愛をしていたので、ゴールデンウィークに東京に遊びに行ったんです。一緒に電車に乗って出掛けて、知らない駅で降りてみようという話になって、蘆花公園駅で「公園があるんだろう」といって下りて、ポカポカ陽気のなか散歩して。公園を抜けたところに小さい図書館があったので入ってみたら床に座って本が読めるスペースがあったんですが、私はなぜかそこで色川武大の『狂人日記』を読み始めたんです。すっかり読み切って気づいたら夕方でした。滅多に会えないのにそんな時間の使い方をしたのはもったいなかったという(笑)。

――それくらい面白かったんでしょうか。

 それが、数年後に読み返したらしっくりこなくて。当時なぜ読めたんだろう......。

――その後、会社員生活の頃はあまり読書はできなかったのでは。

 あまり読めませんでしたが、一時期好きだったのは伊井直行さん。一番好きなのは『濁った激流にかかる橋』ですが、こっそり裸で出歩くことがやめられないサラリーマンの話があるんです。「ヌード・マン」とか「ヌード・マン・ウォーキング」など、同じ話で長さが違うものが何種類かあるんですけれど。あとから読み返した時、自分がデビュー作を書いたのは、そこからヒントを得た部分もあるのかなと思いました。

――蛭田さんのデビュー作「自縄自縛の私」は、密かに自分を縛って日常生活を送る女性の話ですよね。本格的に小説を書き始めたのはいつだったのですか。

 1社目を辞めて、無職の期間が半年間あったんです。その時に「なにをしようかな」と考えて「小説を書こう」と思って。それで短篇を3つ書いたんです。短篇で応募できるところを探して、ひとつは別の賞に送り、あとの2つは「女による女のためのR-18文学賞」に送り、再就職したくらいの頃にそのうちの一個が受賞しました。

――え、その時書いたのが「自縄自縛の私」で、いきなり大賞受賞だったんですか。あれはすぐスラスラ書けたんですか。

 そうですね。ビギナーズラックだったんです。R-18はみずみずしい感性を描く人が多い印象だったので、そうじゃないタイプのものが面白いかなと思って書きました。

 でもそこから単行本を出すまでに2年かかりました。1本書いて送っては数か月返事を待って「駄目だ」と言われたりして。小説を書く経験を積んでいなかったので1からのスタートでした。今も手探りですけれど。

――再就職されていたわけですよね。仕事との両立は大丈夫だったのですか。

 2社目は数人しかいない小さな会社だったんですが、あまり合わなくて。長くはいなかったんです。

――プロとしてデビューしてから、作家仲間ができたことは大きかったのでは。東日本大震災の際、R-18出身の作家さんたちでチャリティーを目的としたアンソロジー『文芸あねもね』を出されたりしていましたね。

 R-18出身の作家さんと繋がりができたのは大きかったです。一時期は一緒に旅行したりしていました。別に創作の話はしませんでしたけれど、なかなか本を出せず出版社からもなしのつぶてだった頃は励みになりましたし、他の人たちの本も読むようになりました。

 それと、在籍時期は重なっていないんですけれど、最初にいた会社に藤堂志津子さんも勤めていらしたんです。その繫がりもあって、藤堂さんが札幌近辺の女性作家さんに声をかけて食事会を開いてくださったことがありました。桜木紫乃さん、朝倉かすみさん、乾ルカさん、まさきとしかさん......。

――なるほど。桜木さんは「知っている土地しか書けない」と言っていつも北海道を舞台にした小説を書かれていますが、蛭田さんはいかがですか。

 ああ、北海道とは季節感が全然違うので、他の地域を書く時は何月に何が咲いて、いつ梅雨に入るかといったことは調べます。逆に北海道の話を私の感覚で書くと他の地域の読者に通じるだろうかと不安になります。

 そういえば、デビューしてから、海外の長篇の古典をいろいろ読んだんです。海外文学は短篇を読むことが多かったので、ちゃんと長篇も読まなきゃと思って。それですごく好きだったのは『嵐が丘』です。あの荒れ地の空気感が、北海道の道北に向かう海沿いのオロロンラインという道路に通じるものを感じたんです。実際は原生花園などもあるので『嵐が丘』とは全然違うんですけれど、あそこに書かれている土地の持つ力が、何か自分が知っているもののような気がします。

読書傾向を分析すると

――どんな小説が好きですか。変化もあったかと思いますが。

 驚きのあるものが好きですね。たとえば伊井直行さんの作品はサラリーマン小説と言われることも多いですが、いわゆるマジックリアリズムみたいなところがあるんですよ。安部公房も現実とは全然違うことが起きますが、そういうところが好きです。

 作風は全然違うんですが、『赤目四十八瀧心中未遂』などの車谷長吉さんも好きです。ミラン・クンデラも『可笑しい愛』などの短篇小説が好きでした。

 私は学生の頃から、男性作家を読むことが多かったんですよね。中学生の頃に吉本ばななさんや山田詠美さんといった人気の女性作家さんも好きで読んでいたんですが、どちらかというと男性作家を読んでいました。というのも、女性作家の小説を読んでいて書き手の影を感じると素直に読み進められなくなるところがあって。今はそんなことないんです。20歳過ぎて大人になって、自分の女性性と向き合えるようになったら読めるようになりました。

――女性作家では、どのような方たちのどの作品が好きですか。

 江國香織さんや中山可穂さん、倉橋由美子さんとか。好きな作品は1冊に絞れないんですけれど、江國さんなら『神様のボート』、中山さんなら『マラケシュ心中』、倉橋さんなら『聖少女』。それと、私が応募した時にR-18文学賞の選考委員だった山本文緒さんと角田光代さんの本もよく読んでいました。山本さんの『恋愛中毒』や角田さんの『私のなかの彼女』が面白かったですね。

 そういえば、その前から好きだったのは松浦理英子さんです。男性作家ばかり読んでいた時期も松浦さんの『親指Pの修業時代』などは好きで読んでいました。

――お話うかがっていると、なんというか、人間の生々しい部分とか、グロテスクなことも容赦なく書く人が好きなのかなとも感じます。

 ああ、ふわっとしたほっこり系の話というよりは、ぐさっと刺さるもののほうが好きというのはありますね。

――ご自身でも、たとえば『凜』でも、大正期に東京から北海道に連れてこられてトンネル工事の労働を強いられる青年や網走の遊郭に売られた女性の過酷な部分を容赦なく描きましたよね。

 悲惨な体験の話が好きで......というと語弊がありますが、よく読むんです。大岡昇平の『俘虜記』や『靴の話』とか、南方戦の悲惨な話とか、宮尾登美子さんの満州にいた頃を書いた自伝的小説とか、シベリア抑留の話といった戦争体験の話などに妙に惹かれてしまうので、そこに罪悪感がありますね。

 でも以前、黒柳徹子さんが貧乏話が好きだと話していたんです。自分も貧乏の苦しさを知っているのになんでかしらねと言っていて、それを聞いてちょっとほっとしました。現実に過酷さを知っている人でもそういう話に興味あるんだと思って。

――単に悲惨だったり暴力的だったりする話が好きというなら、もっと違うジャンルもあるわけです。人間の歴史の中で、実際に誰かが経験した極限状態だということが大きいのでは。

 そうですね。実際の体験に基づいた話に興味があります。ノーベル文学賞を受賞したアレクシエーヴィチの、元女性兵士たちに取材した『戦争は女の顔をしていない』とか、子供の戦争体験を取材した『ボタン穴から見た戦争――白ロシアの子供たちの証言』もすごく好きでした。

最近の読書と自作について

――最近では何が面白かったですか。

 今読んでいるのがリサ・タッデオの『三人の女たちの抗えない欲望』という海外のノンフィクションです。三人の女性たちに定期的に会って性遍歴について話を聞いていく、という内容で面白いです。

 最近頻繁に買っているのは洋裁の本かもしれません。小説は読んで面白いと嫉妬して焦るし、つまらないと「なんでこれが売れているんだ」と腹が立ちますが(笑)、洋裁の本なら素直にわくわくするだけで気持ちが流されないので。

――資料を読むことも多いのでは。最新作の『共謀小説家』は小説家を志す17歳の冬子が大御所作家の女中になるも相手にされずにいたところ、弟子のひとりからある提案を受ける。実在した小栗風葉・加藤壽子という作家夫婦の存在がヒントになったそうですが、どこで知ったのですか。

 どうして知ったのかはあまりよく憶えていなくて。ネットで論文か何かに当たっていた時だったのかな。夫が小説を雑誌に発表し、翌月に妻がそのアンサーソング的な小説を発表した夫婦がいると知り、面白そうだなと思って調べていったんです。

 当時の生活を知るために資料も読みましたが、主婦の日記が面白かったです。女中に足袋を送ったとか、引っ越し業者に何を送ったとか、病院や歯医者に連れていったとか、他愛のないことばかりなんですけれど生活の様子がすごくよく分かりましたね。

――尾崎紅葉をはじめ、実在の人物を彷彿される人や出来事がたくさん出てくるのも面白かったです。冬子が書く小説のあらすじも出てきますが、どれもあの時代にしては突き抜けてて、読んでみくなります。

 本人はそういう性格じゃないけれど、書くとなるとそういう内容になるタイプなんですよね。意図せずにむき出しになってしまうという。

――蛭田さんは小学生の頃に自分について書くのが嫌だったり、女性作家の作品を素直に読めない時期があったわけですが、今、ご自身が小説を発表することについてはどう感じていますか。

 今でも読まれることは恥ずかしいので、まだまだ覚悟が足りないなあと思っています。フィクションを書いているといってもやっぱり登場人物に"自分"が出てしまうのはしょうがないですよね。そこに無意識の偏見が出てしまったりしていないかは気になります。

――執筆は昼型ですか、夜型ですか。

 本当は夜書いたほうが筆が進む気がするんですが、朝しっかり起きる生活を送っているので日中に書いています。本は寝る前に読んでいる感じですね。

――それにしても、取り上げる題材も設定も幅広いですよね。

 バラバラですよね(笑)。その時書きたいものを書いているだけなんです。

――今とりかかっているのはどんな小説ですか。

 戦後からはじまって平成に至るまで、一人の女性と日本の戦後史を絡めた話です。日本が伸びていくなかで取りこぼされてしまった人の話を書きたくて。それとは別に、最近書いていなかった、現代を舞台にした軽いものを考えています。『エンディングドレス』で洋裁を扱ったように、自分の好きなものを絡めて書きたいな、と。

――好きなものってなんでしょう。Twitterを見ていると、パン作りをはじめとした料理をされたり走ったり、いろいろされていますよね。

 考えているのはスパイスの話です。カレー屋さんと、その隣のスパイスを使った焼き菓子屋さんの話を書けないかな、と考えているところです。

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