ふたりとも原点は「本好きな父」
書籍と雑誌、絵本と小説。ジャンルや読者層を、垣根を軽やかに超えて、“その本の読者”に届ける一冊を手がけていくのがアルビレオの装丁だ。
そんなふたりは、小さい頃から父の影響で「日常に本があった」と話す。
西村さんは、インドア派だった父に連れられよく図書館へ通ったそうだ。小学校の夏休みは弟と一緒に図書館で過ごしていたという。
「父が図書館に行くのが趣味の人だから、ほぼ毎週末(笑)。朝一番、開館前の8時半から並んで、9時に入って、暗くなるまで。お昼ごはんを食べる時間になると、父が1階の子どものフロアに降りてくるんですけど、それ以外は別行動でしたね」
草苅さんも、父の本棚が記憶に残っているという。「本好きだった父は、とくに海外ミステリーが好きで、(アメリカの小説家)ロバート・B・パーカーやロバート・マキャモンなどが積んであって、手に取る機会は多かったです」と振り返る。
草苅さんは、小学校のクラブ活動で、自分で書いた原稿で上製本を作ったことがあるという。和紙を使い花布もつける豪華な一冊だったそうだ。
その話を聞いた西村さんも、中学時代に国語のレポートをA4サイズの和綴じで提出したことを思い出す。奇しくも、ふたりは若い頃に表紙のある本をつくった原体験があったようだ。
鈴木成一デザイン室で出会い独立
西村さんは、大阪のデザイン事務所を経て、25歳で鈴木成一デザイン室に入社。まだ求人サイトもない時代、クチコミや事務所への電話によって面接の機会をつかんだという。
「最初はクラブのフライヤーとか飲食系のロゴのデザインをする事務所に入りました。ムック本を1冊まるっと担当させてもらううちに、もっと本のデザインについて学びたくなって。関西には装丁の土壌があまりなかったので、そうすると東京なのかなと」
「雑誌の編集部に電話をして事務所の連絡先を教えてもらい、鈴木さんにポートフォリオを見ていただきました。夜行バスで関西に帰ったタイミングで、電話がかかってきて『明日から来て』って(笑)」
3年後、デザイン事務所でエディトリアルデザインをしていた草苅さんも、25歳のときに入社。こうしてふたりは鈴木成一デザイン室で出会った。
多くの本を手がける鈴木さんの事務所は、「不夜城」と称されることもあったそうだが、忙しいのは「普通だった」と振り返る。文芸誌のデザインをふたりで担当した頃は、朝の3時半に入稿作業を終え、打ち上げをして、始発で帰ることもあったと笑う。
「ブックデザインの基本は全部、鈴木さんから学びました。厳しかったですが、理不尽なことはありませんでした」。いま様々なジャンルの装丁ができるのも、鈴木さんのおかげだと草苅さんは話す。
「鈴木さんは『本に貴賤なし』と言っていました。どんなジャンルにも読者がいて、著者がいて、やることは一緒だと。鈴木さんが手がけた本は、デザイナーの作家性よりもその本だからこの装丁になったということがよくわかります。私たちも本に合わせてデザインしていきたいので、職人に近いかなと思います」
2008年8月8日、ふたりは神保町にオフィスを構えて「アルビレオ」として独立する。鈴木成一デザイン室に入ってから、西村さんは10年、草苅さんは7年の月日が経っていた。「アルビレオ」の意味を、草苅さんが教えてくれる。
「アルビレオははくちょう座の中にある二重星で、遠くから見るとひとつの星ですが、実は同じ重心で回ってるふたつの星です。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にもアルビレオ観測所が登場します」
ちなみに、出版社や本屋が多い本の街だから神保町を選んだわけではないらしい。「事務所を探して東京中を散歩して。たまたま通りかかり〈スタートライン〉という名前に惹かれて入った神保町の不動産屋でここを紹介されました。後から出版社の方に『近い』と言っていただけて」と笑い合った。
男性作家、時代小説…あらゆる本の装丁をふたりで
基本的には、一冊の装丁はひとりが担当する。それでも、編集者との打ち合わせは、もうひとりも“背中で”聞いていて、何か悩んだことがあれば相談するという。
文芸書のほか、実用書やビジネス書などを手がけることも多い。最近は、絵本やヤングアダルトを手がける機会も増えた。ジャンルはなんでもやりたいと思っていたという。
「女性ふたりだからといって、女性らしい本の依頼ばかり来るわけではない」とふたりは口を揃える。実際、男性作家の小説、コラムやエッセイなどを担当することも多いという。
聴こえない親を持つCODA(コーダ)のライター五十嵐大さんのエッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)では、ろうの写真家・齋藤陽道さんの作品を起用。長いタイトルが写真になじんでいる。
「もともと齋藤陽道さんの写真が好きだったこともありますが、この本にぴったりの作品だと思いました。帯の書き文字は、著者の五十嵐さんに描いていただきました」(草苅さん)
風を感じる「赤い本」が生まれるまで
最近手がけた作品をそれぞれに尋ねると、草苅さんは作家・村山由佳さんの長篇『風よあらしよ』(集英社)を挙げた。村山さんにとって初の評伝小説で、明治から大正の時代を駆け抜けた婦人活動家で作家の伊藤野枝(のえ)の生涯を描いたものだ。
「ゲラを拝読したときに本当に面白くて。アナーキストとしての短くて太い一生。引き込まれました」
最初に編集者から聞いたのは、「赤い本にしたい」という村山さんの希望だった。
「装画は、連載でも挿絵を描かれていたオカダミカさんです。打ち合わせの際に伊藤野枝の激動の人生を絵にしてほしい、波打つように風を感じさせたいとお伝えして。素晴らしい絵を描いていただきました」
「帯の下に口元は隠れていますが、目だけでも十分でした。基本的にイラストに関しては、あまりこうして欲しいと言わないようにして、タイトルの位置も気にせずに描いてもらうことが多いです。自由に描いてもらった方がお互いに面白いと考えています」
556ページの分厚い長篇ながら、年配の人でも読み見づらくないように仕上げた。本作は、第55回吉川英治文学賞を受賞。「本の雑誌が選ぶ2020年度ベスト10第1位」にも選出された。著者の村山さんも装丁を気に入ってくれたそうだ。
「まず読者に届けたいと思っていますが、著者の方に喜んでもらえるのはやっぱりうれしい。賞をいただくことも励みになりますが、重版がかかったと聞くとほっとします」と草苅さん。すると西村さんも、「重版は何かお返しできた感覚。自己満足じゃなくて、ちゃんと届くべきところに届いたということなので」とうなずいた。
母と娘の距離感、悩んだ末に
西村さんが挙げたのは、タレントの青木さやかさんが自身の半生を綴った私小説『母』(中央公論新社)。
「お母さんとの確執の話ですが、自分が母になって娘さんとの関係を書いている箇所もあり、心に染みる内容でした。この庄野紘子さんの絵は、お母さんと青木さん、青木さんと娘の両方に見えると思いました。母娘の距離感もちょうど絵の通りだと」
「庄野さんの作品は、スタイリッシュでキレがあるものが多いのですが、今回はエッセイ本ということもあり、青木さんらしさというか、ユーモアも入れたかった。それで絵とタイトルを絡ませたんです」
5月に発売され反響を呼んでいる本書だが、西村さんによると、このデザインに決まるまで、様々なアプローチを探ったという。
最初は、青木さんの母が好きだったリンドウをモチーフにした装丁を検討した。達筆な青木さんが筆で書き上げた「母」の題字を生かす案も出た。いろんなアイデアのなかで何か正解なのかと悩み、仕切り直そうと足を運んだギャラリーで、庄野さんの絵に出会った。
「これだって思って、すぐご連絡しました。本はできてしまったら何事もなかったような顔で(店頭に)並んでいるんですけど(笑)」
編集者に伴走するデザイナーとして
アルビレオに依頼される仕事の傾向について、「情報量の多い本、混沌とした内容をまとめてほしいと依頼されることも多いように思います」と西村さんは話す。
ときにはタイトルを相談され、編集者と一緒に考えることも。編集者に伴走しながら、本の特性に合わせて、伝えたい情報を整理して一冊にまとめていく。
「『読んでどうでした?』と聞かれたら、正直な感想をお伝えします。編集の方も迷うことがあると思うので、別の視点からの意見を伝えることも大切だと思っています」と草苅さんも続けた。
ちなみに、よく聞かれるそうだが、ふたりの意見が対立したり、喧嘩したりすることはほとんどない。
ふたりは、「絶妙な年の差のせいかもしれませんが、他にやらなきゃいけないことがあるので、喧嘩している場合じゃない。プライベートでもよく一緒に遊ぶので、お互いの夫からは『気持ち悪い』って言われますね」と笑みをこぼした。
サポートし合った育休期間
これまでの経験から、ふたりで良かったことを尋ねると、西村さんは言葉を選びながら「出産と仕事の問題」と答えた。独立して13年、草苅さんは9歳の子ども、西村さんは3歳と5歳の子どもの親でもある。
「(出産の)時期がずれていたので、お互いにすごく助かりました。1人だったらきつかっただろうなと。育児中のスタッフもいるし、働く者同士が協力し合う職場にしたいです。長く働くためにはどうしても必要だから」
最後に、装丁の面白さについて尋ねると、「毎回違うこと」と西村さん。「デザインして、紙を決めて、入稿して、色校を確認して、というプロセスですが、本によって全部違うんです」と草苅さんが続ける。
「言葉にできないものをかたちにして世に出す。正解かどうかはわからないですが、手に取る人それぞれにきちんと届けばいいなといつも思っています」とふたりはうなずいた。
小さな頃から本が好きだったふたりは、ブックデザインを通じて、多くの読者と作家をつないでいる。たくさんの編集者に寄り添いながら。