本屋に限らず書きたいことややりたいことはあるのに、なかなか動けない。「企画書出しますね」と言ったきりになっている案件や、取材しかけの案件を挙げたら、それはもうキリがない。
こんなドンくさ人間がいる一方で、サクサクと物事を進めてしまえる人もいる。韓国からたった1人で日本にやってきて、大学院生とタレントと歌人のかたわらコスメブランドを立ち上げたカン・ハンナさんや、私より一回り以上年下なのに仲間とアパレルショップを作った、友人のマッチさん(仮名)がそうだ。彼ら彼女らの「実現する力」は、一体どこから生まれるのか。本人の信念なのか周りに恵まれているのか、はてまた運が強いのか……。
今回取材した小鳥書房の落合加依子さんも、私から見たらそんな1人だった。個人で出版を手掛けるだけではなく、シェアハウスを作ったり本屋を始めたりと、マルチに活躍しているからだ。どうしてそんなに思いを形にできるのですか? それを聞きたくて雨の中、国立市の谷保に向かった。
都内8か所に住んで魅了された谷保
JR南武線の谷保駅から5分程度歩くと、ダイヤ街商店街というアーケードが見えてくる。駅方面から足を踏み入れるとすぐの場所に、シェアハウスの「コトナハウス」がある。のぞいてみると、なんとおにぎりを配っていた。
コトナハウスのリビングで月2回開かれている「ぐるぐる食堂」という、子ども食堂のイベントだと、中にいたじぇしちゃんが言った。そっと差し出されるおにぎり。えっ、私も食べていいんですか? なんでも色々な人から支援が集まり、月2回では消費しきれないからこうして、ふるまい会を開いているそうだ。
ああ、おにぎりおいしい……。
コトナハウス運営者で小鳥書房代表の落合加依子さんが、おかわりまでする私を傍らで見守っていた。
落合さんは生まれも育ちも名古屋だったが、22歳の時に童話作家になろうと思い、新宿区にある作家スクールに通うために上京したという。
「でも、学校が合わなくて。その時にいろいろ考えてみたのですが、自分は子どもたちの感性を育てる仕事がしたいんだってことに気付いたんです」
不動産会社の営業やブライダルカメラマンなど、40以上のアルバイトを経験したのち、本を作る作業を知りたいと思い、編集プロダクションに入社する。全くの未経験ゆえに取引先を怒らせたりしながら約2年勤め、2012年にセブン&アイ出版に転職した。編集プロダクションでは手掛けられなかった流通や販売など、本が生まれてから亡くなるまでの全てを知りたいと思ったからだそうだ。
「書籍編集部で実用書を担当していたのですが、やっぱり、子どもの学びに関わることがしたくて。そこで仲間とともに、2015年4月にコトナハウスを始めました」
落合さんは上京してからの2年間で、8カ所もの街に住んだ。あちこち引っ越す中で団地と昔ながらの商店街があり、都市農業がさかんな谷保に魅了された。だからシェアハウスを作るなら国立市内がいいと思い、2014年頃から色々な人に「シェアハウスをやりたい!」と言っていた。そんな中でコトナハウスの現オーナーとの出会いもあり 、2人で「地元に恩返しをしたい」と不動産屋に相談したところ、物件が即決まったそうだ。
「最初は私を含めて4人で住んでいたのですが、通算50人がやってきては旅立っていきました。なぜかここに住むと『自分は〇〇がしたい!』と、会社を辞めて独立する人が多いんですよね(笑)」
スナック跡地を買い取りオープン
まだこの頃はセブン&アイ出版に所属していたが、地域の人たちと出会い話していくうちに、自分の手で本を出したい思いに駆られるようになったという。そこで2015年7月に、出版社に勤めながら、個人で小鳥書房をつくった。
「地域の人たちから『こんな話を聞いたんだけど、本にできないかな』という相談を受けることがあったのですが、大手の出版社では、売れ行きが見込める本しか出せなくて。だから自分がいいと思った本を、自分の責任で作ろうと決意したんです。2016年から年1冊のペースで自費出版と商業出版を交互に出してきたのですが、2018年に“ばっちゃん”の本を手がけました」
自分の人生をかけたくなる著者との出会いを探していた落合さんは、ある日、週刊誌をパラパラとめくっていた。すると広島県内で食を通して子どもたちを支援している、“ばっちゃん”こと中本忠子さんの記事が目に入った。
中本さんの本を作りたいと、意を決して電話をかけた。中本さんに「1人出版社をやってます」と言うと、「お疲れさま。がんばっとるね」という声が返ってきた。その瞬間に広島に飛ぶことを決め、中本さんの思いをレシピとともに紹介する『ちゃんと食べとる?』を作ることにしたそうだ。
温かな言葉と素朴なばっちゃんの味が並ぶこの本は、広島にゆかりがある本に贈られる「広島本大賞」の2018年度ノンフィクション部門を受賞し、話題の1冊となった。
小鳥書房が実店舗を持つことになったのは、翌2019年の1月26日。この日は、落合さんの31歳の誕生日だった。
「ずっとダイヤ街で本屋をやりたいと商店街の人に話していたら、向かいにあった『萌』というスナックが店を閉めて売ると聞いたので、思い切って購入したんです。店内は塗り直しましたが、ドアは萌時代のままなんですよ」
確かにレトロなドアは、クラシックなカフェやバーを彷彿させる。中に入ると小鳥書房スタッフで編集と撮影、選書を手掛ける千葉夏季さんと、インターンシップを経てスタッフになった中村藍海(あみ)さんの姿があった。千葉さんは育休中、中村さんは毎週金曜日と隔週1回来て、2階にある私設図書館を担当している。今日はおにぎりふるまい会があったので、顔を出したそうだ。
本屋同士でフロアをはんぶんこ
3年前まで駅前に本屋があったが、今は谷保地区でここだけとなった小鳥書房は、古本と新刊の割合が5:5で、買取は地元の人を中心に積極的におこなっている。ふと本棚を眺めていると、まるで国境線のような矢印の貼り紙があることに気づいた。これは一体?
「今年の4月29日から、『書肆 海と夕焼』というショップインショップができたんです」
そんな話をしていると、「書肆 海と夕焼」の店主、柳沼雄太さんが現れた。現在はフロアを半分に区切り、手前を海と夕焼、奥を小鳥書房にしている。
「今年1月、母が脳梗塞で倒れたんです。親のことは心配ですが、谷保でこの先50年この店を続けたいと思っているので、責任を持って一緒にやれる仲間を探していました。柳沼さんは昨年夏に初めて店に来て以来、時々スペースを貸していたのですが、カウンターに立つ姿がしっくりきて。だから私から声をかけました」
以前訪れた「かの書房&ラボラトリー・ハコ」のように、同じ場所で2人でやれば、どちらかがいない時でも店は続けられる。確かにナイスアイデアだ。
「それだけではなく、柳沼さんが硬派な文学を得意としているので、私の方は小説以外を扱うことができています」
それぞれ違ったジャンルを集められると、書棚に広がりが出る。さらに2階のまちライブラリー@くにたちダイヤ街 は、一橋大学名誉教授でまちと人をつなげる活動をしている 林大樹さんが代表をつとめている。つまり1人出版社&本屋だけど1人じゃないし、生まれ育った街ではないけれど、地域にしっかり根ざしているのだ。
4人がおしゃべりするにぎやかな空間にいるうちに、実現する力は運などではなく、人を信じて受け入れて、そしてゆだねることで生まれると気付いた。だからこそたくさんの人がコトナハウスや小鳥書房を訪れるのだろうし、さまざまな版元から出版依頼があったという“ばっちゃん”も、落合さんとの本作りを決めたのだろう。
「谷保、いいところなのでまた来てくださいね」
別れ際、落合さんはそう言ってくれた。はい、重い腰をあげてみることにしたし、谷保にもまた来ますね。そう思いながらダイヤ街を出ると、雨はすっかりあがっていた。
4人がそれぞれ選ぶ! 今オススメしたい1冊
●『怪と幽』(KADOKAWA)
店主落合が外部編集として参加している、世界唯一の妖怪・怪談エンタメマガジン。2019年5月の創刊以来、お化け好きを虜にし続ける。京極夏彦氏、諸星大二郎氏、佐藤健寿氏といった強力な連載陣にもご注目を!(小鳥書房店主 落合加依子)
●『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』小津夜景(東京四季出版)
俳人小津夜景さん選りすぐりの漢詩とそれにまつわる日々の暮らしを紡いだ漢詩エッセイ本。彩り匂い空気を鮮やかに描き、漢詩と作者へ想いを馳せる小津さんの目にうつる世界は美しい。あなたの暮らしのおともに。(スタッフ 千葉夏季)
●『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』小山田咲子(海鳥社)
2000年代前半、何てことない普通の日常を真摯に生きた一人の女子大生のブログ集。落ち込んだり立ち止まったりしながらも、信念を持って前に進み続ける彼女の姿勢からは、毎日が学びであることに気づかされる。(スタッフ 中村藍海)
●『小説』増田みず子(田畑書店)
生きることは時に難しく、目を覆いたくなる時もある。しかし、書かざるを得ない熱情を帯びた時に、執念となって言葉が立ち現れる。肉親、トレーナー、夫、自分。それぞれの人生の交差を味わえる短篇集。(「書肆 海と夕焼」店主 柳沼雄太)