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京極夏彦さん「遠巷説百物語」インタビュー 江戸末期の東北を舞台に描く、6つの「化け物」騒動

京極夏彦さん(「怪と幽」編集部提供)

昔話ができる過程を逆に辿って

――『遠巷説百物語』(とおくのこうせつひゃくものがたり)はドラマ化・アニメ化もされた「巷説」シリーズの第6弾です。シリーズ前作から11年、まさか続きが読めるとは思っていませんでした。

 自分でも考えていませんでしたね。もともと「巷説」シリーズは「怪」という妖怪専門誌の第零号から連載していた作品です。お化けの雑誌なんかすぐ潰れるだろうと関係者全員そう思っていたんですが、これが意外にしぶとくて、単行本にまとまっても終わらず、2冊目が出てもまだ終わらず、3冊目をいよいよ完結編にしようと思っていたんですが、それが大きな賞(直木賞)をいただいたりして、結局『西巷説百物語』まで都合5冊も書くことになっちゃったんです。

 さすがにもういいだろうと、その後しばらく別の作品を書いていたんですが、2018年についに「怪」が廃刊になって、もう書かなくていいぞと喜んでいたら、今度はやはり終刊になった「幽」という怪談の雑誌と一緒になって「怪と幽」という新雑誌が誕生しちゃったんですね(笑)。そちらでも何か書いてくれと依頼されて、「新しい連載を立ち上げるか、『巷説』を再開するか」ということになった。いや、再開といっても、元々一冊ずつ別作品として書いてきたので新作に変わりはないんですけど、新しいシリーズを立ち上げるといっても雑誌の性質上まるっきりお化けと無関係な小説も書けないしなあ、というわけで「巷説」をリブートさせることにしたんです。

――作品の舞台は江戸末期の遠野。河童やザシキワラシの伝承で知られる「民話の里」です。妖怪時代小説である「巷説」シリーズにはぴったりのロケーションですね。

 別に遠野ありきだたったわけではないんですね。このシリーズは一冊ずつ異なるコンセプトを用意して、それによって作品の構造も変えてるんですが、今回は「昔話ができる過程を逆に辿る」という試みを中心にして組み立てました。民話も伝説も、もとを辿れば世間話や実話です。盛ったり削られたりして巷の噂になり、やがてハナシが整えられて定形に収まる。固有名詞が失われれば、もう昔話ですね。この小説ではその逆をやろうと。各話の冒頭に昔話を置いて、巷の噂、当事者視点の語り、仕掛けの種明かしとエピソードを3つ並べることで、昔話をもとの形にまで戻してやるというのはどうだろうと。

 そう考えてみると、遠野は何といっても「民話の里」ですから、舞台にちょうどいいんじゃないかなと。前作の舞台が上方でしたし、東北を舞台にするのも良かろうと思いました。僕は以前、柳田國男の『遠野物語』を綴り直した『遠野物語remix』『遠野物語拾遺retold』を上梓していますし、「えほん遠野物語」シリーズも書かせていただいているので、遠野にはご縁があるんですね。

――柳田國男の『遠野物語』に書かれた風景からつい山深い村を思い浮かべがちですが、当時の遠野は活気ある城下町なんですね。

 現在遠野といえば『まんが日本昔ばなし』に出てくるような風景をイメージするんでしょうし、実際それに近いんでしょうが、江戸時代は日本中がそんなもんでしたし、遠野はむしろ都会的だったでしょうね。お城があって、武士、商人、農民、工人、猟師、漁師などさまざまな人が暮らす商業拠点で、しかも交通の要所でしたから、諸国から人がやってくる。だからハナシがたくさん集まったんです。

『遠野物語』も民話集だと思って読むから牧歌的な印象になっちゃう。しかも怪談や妖怪方面ばかり強調されがちです。でも河童やザシキワラシの話だけでなく、噂話から三面記事的な事件まで、『遠野物語』には実に雑多なエピソードが収められています。そもそも『遠野物語』を書いた時点で柳田に民話という認識はなかったはずなんです。なら『遠野物語』以前の遠野、というより『遠野物語』を生成した土壌は、その昔はどうだったんだろうと。

怪獣総進撃のようになってしまいました

――「巷説」シリーズは、表の道では処理できない困難を、裏の世界に生きる小悪党が、妖怪の仕業に見せかけて解決するというシリーズ。今回は長耳の仲蔵という男と彼の仲間たちが、遠野各地に妖怪を出現させます。

 仲蔵はこのシリーズがアニメ化された際のアニメオリジナルキャラなんですが、小説に逆輸入する形で『前巷説百物語』という作品で使いました。奥州でねぶたの原型作りに手を貸したという逸話も書いたので、遠野に流れてきていても良いかしらと。

 六道屋の柳次は、『西巷説百物語』チームなんですが、あまり活躍させなかったので再登場させました。献上品を売買する献残屋という仕事で諸国を巡っている設定なので、遠野の南部家に出入りしていても良かろうと。でも、あんまり活躍しなかったですね(笑)。

――遠野南部家当主の密命を受け、市井の動向や噂の真相を探っている若侍・宇夫方祥五郎は、仲蔵たちの〝仕掛け〟を見届けることになりますね。

 小説としては、事件の当事者と仕掛ける側がいれば成立するんですが、今回はそれが昔話として伝わらなければいけない。宇夫方祥五郎はそのための装置です。『遠野古事記』という遠野の歴史や習慣を記した古い文献の著者が宇夫方姓なので、祥五郎はその傍系の子孫ということにしました。

 着想として、島田一男さんの『お耳役秘帳』の檜十三郎のようなものがあったんです。お耳役というのは大名の配下で市井の噂を探るスパイですね。でも十三朗は剣の達人で強いんです。ドラマで演じたのは伊吹五郎さんですからね。祥五郎が強いと自分で解決してしまうでしょう。それじゃあハナシができないので、きわめて弱いということにしたんですが。

――「歯黒べったり」「礒撫」「波山」「鬼熊」「恙虫」「出世螺」と、妖怪の名前を冠した6話を収録しています。各話のお化けはどのような基準で選んでいるのですか?

 このシリーズでは竹原春泉の『絵本百物語』という本に描かれたお化けを、一話につきひとつずつ使っています。最初のうちはよかったんですが、6冊目にもなるといいお化けがほとんど残っていないんですね。「歯黒べったり」は、お歯黒の大口女の記事が『遠野古事記』に載っていたのを覚えていたので即採用しましたが、それ以外は苦し紛れです。でかい魚に火を吐く鳥、巨大な熊、血を吸う虫、山に埋まった法螺貝と、怪獣総進撃のようになってしまった(笑)。

 今回は各話の冒頭に昔話を置くスタイルなんですが、そんな怪獣の昔話が都合よくあるわけがない。実際遠野で語られる昔話が使いたかったんですが、ないので、それらしい昔話を創作することになりました。

お化けのせいにする、という生活の知恵

――「歯黒べったり」ではある商家の抱える問題が、「礒撫」では流通にまつわる騒動が、妖怪の出現によって解決に向かいます。江戸時代の人にとって妖怪とはどんな存在だったのでしょうか。

 江戸時代の人だからといって、お化けを信じていたわけではありません。いないものはいない。そこは今も昔も変わりません。でも文化装置としてはあったんですね。お化けのせいで済ませられることは済ませようという、一種の知恵ですよ。

 その知恵が近代以降は失われてしまったんですね。やがてお化けは人の心に憑くようになる。「百鬼夜行」シリーズが憑き物落としを扱っているのはそのせいですね。僕の作品は妖怪小説と言われますが、妖怪そのものが出てくるわけではないので、人とお化けの関わりが変化するにつれて、話の作りも変えなきゃいけないだろうと。

――第3話「波山」では攫われた女性たちが焼死体となって戻ってくる、という悲惨な事件が描かれます。こうした出来事を受け入れるためにも、妖怪は有効なんですね。

 法の裁きには従うべきですが、それで関係者の心がきれいに収まるわけではないですね。当事者は辛いし、悲しいですよ。時代劇だと憎い相手を成敗することもできますが、現実にはそうもいきません。というかいつの時代でも無理。そういう時がお化けの出番ですね。

 実は『遠野物語』にも、これは民話というより刑事事件じゃないか、という逸話が載っているんですね。でもそういう扱いではない。もちろん、今も昔も罪は罪なんだけれども、法律的にどうこうというレベルとは別の次元で語られているんですね。そうしたケアは民俗共同体がおこなっていたんでしょうが、近代に近づくにつれそれは難しくなってくる。明治を目前にして、仲蔵のような連中がその役割を担っているという設定です。

――祥五郎に巷の噂を売って生活している、乙蔵という男が登場します。この人物については『遠野物語』にも記述がありますね。

 ええ。峠で甘酒屋をやっていた老人で、膨大な数の話を知っているんだけれども、臭いので誰も話を聞きにいかないという。甘酒を売っているのに臭いってどういうことだよと(笑)。気になる人物ですよね。どんな人生がそんな爺さんを作ったのかと。他にも『遠野物語』とリンクするところはいくつかあります。それから、「礒撫」で扱った半兵衛騒動も、「出世螺」の一揆も、実際に幕末の遠野で起こった出来事ですね。虚構と記録を混ぜ合わせて、新しい虚構を作るというのも昔話っぽいだろうと。

次回作はいよいよシリーズ完結編

――巻末の「恙虫」「出世螺」では、盛岡藩を揺るがす大事件が描かれます。しかもそれは他の「巷説」シリーズとも繋がっていく。こうした入り組んだストーリーは事前に考えていたのですか。

 実際書くかどうかは別にして、第1作の『巷説百物語』を書いた段階で全体像は考えていました。このまま書かずに終わるかと思ってたんですが。その段階では遠野を絡めるつもりはなかったはずですが、僕はメモも何もしないのでよく覚えていない(笑)。

――雑誌「怪と幽」では、早くも新作『了巷説百物語』(おわりのこうせつひゃくものがたり)がスタートしていますね。こちらはどんな作品になりそうですか。

 これで本当に終わりです。もうお化けも残部僅少で。出がらしみたいなお化けしか残っていないんですが(笑)。「巷説」シリーズで長編をという企画が初期段階からあって、面倒なのでかたくなに避けてきたんですが(笑)、最後なので、長編用に用意した材料を連作中編に再構築しようと考えています。「巷説」シリーズは多視点、傍観者視点、多重構造、仕掛ける側視点、仕掛けられる側視点、昔話からの遡行と一作ずつ変えてきたので、最後は仕掛けを暴こうとする側視点にする予定です。化け物遣いの小悪党たちは、敵です。

――「巷のハナシ」をさまざまな手法で描き続けてきた「巷説」シリーズ。中でも昔話が生まれる背景に迫った『遠巷説百物語』は、シリーズのひとつの到達点のような気がしました。最後に読者へのメッセージを。

 裏で何が起こっていようと、事実がどうであろうと、最後は〈物語〉が残るというのがこのシリーズの基本的なスタンスです。どこからが嘘でどこまでが真実か、興味のある方は『遠野物語』をお読みいただくとか、遠野の歴史を調べていただくのも良いかも。まあ小説にしちゃった段階で全部嘘なんですが。それから、長く続けていますので、『遠巷説百物語』にも『巷説百物語』や『後巷説百物語』など、過去に書いてきた作品のエッセンスがあちこちに入っています。まあ、だからといって既刊もお読みくださいなんてあつかましいことは申しません(笑)。