良い映画とは、観客にとって「自分ごと」に見えるものではないか。映画「映画大好きポンポさん」の舞台は、映画の都ニャリウッド。新作の監督に抜擢(ばってき)されたジーンは、見た作品すべての記録を取っている生粋の映画オタクだ。目にくまを作ったさえない新人の彼に、映画プロデューサーのポンポさんは「現実世界で満たされていない人こそ創作に向いている」と断言する。
ロケを順調に終えたジーンは編集作業でスランプに陥る。72時間もある映像を90分の映画にしなければならない。「どれも大事なシーンに思えて切れない」。悩むジーンは、ポンポさんの祖父である映画プロデューサー・ペーターゼンに相談する。彼は、「映画の中に君はいるかね」と問いかけた。
その言葉にジーンは気づく。編集とは取捨選択すること。ジーンは、“大切なものを残すために、それ以外を切る”のだと捉えた。ここに、「編集」という一見地味な作業に焦点をあてた意味がある。
本作で描かれているのは「失ったもの」だ。ジーンは学校の級友と親しむ時間を、別の登場人物は女優になるためにアルバイトを続けて生活を犠牲にしている。彼らが失うことをよしとしているのは、ひとえに「自分の夢」を大切にしたいからである。そしてそれは、原作者の杉谷庄吾氏や平尾隆之監督ら作り手の思想とも受け取れる。
クリエーターや創作物のファンといった、「夢を追うこと」に関心が高い人々から支持を得ているのも、夢を追うには代償がつきまとう点を描いているからだろう。「ポンポさん」は、「失ったもの」がある人や、それに自覚的な人に向けられた映画だ。
本作の広がりは、明確な夢を持つ人だけにとどまらない。ジーンの同級生アランは、就職した大手銀行で、仕事にやりがいを見いだせないでいた。そんな彼がジーンと再会し、資金不足に陥った映画のために、融資提案会議でプレゼンをする。クラウドファンディングを立ち上げて、多くの人がこの映画を応援していることを伝え、「何もない人にも夢を見させてください!」と訴える。
観客はジーンやアランに自分を重ねることができる。それが、本作が持つ強さなのだと思う。=朝日新聞2021年7月27日掲載