中学3年生のアスナは、身体感覚までバーチャル世界とつながるゲームの中に、他のプレーヤーとともに閉じ込められてしまった。ゲームでの死が現実の死に直結し、誰かがボスを倒さないと現実世界には戻れない。アスナは親友の助けを借りて敵を倒し、レベルを上げていく。
「劇場版 ソードアート・オンライン プログレッシブ 星なき夜のアリア」は、原作・テレビアニメシリーズの冒頭を、主人公キリトのパートナーとなるアスナ側の視点から描く。のちにすご腕の剣士となる彼女が、初心者からゲームをスタートし、強くなる決意をする物語だ。
現実世界のアスナは裕福な家に育ち、成績も優秀。だが、テストで良い点数をとっても、さらに上を望む母には認めてもらえない。彼女は、どこか自分のものではない人生を歩んでいた。恵まれた環境と能力。今風に言うと“親ガチャに勝った”アスナだが
、皮肉なことに彼女の本当の人生は、誰もが同じゼロ地点に立つゲーム世界で始まる。転機は親友との別れ。極限状態に置かれた彼女は、「生き方は選べないけど、死に方くらいなら選べる」と運命にあらがうことを決めた。
戦い続けて倒れたアスナを介抱したのはキリト。彼は、アスナがまずそうに食べるパンをおいしくする工夫を教えた。工夫とは生きる知恵だ。アスナは、おいしい食事と温かいお風呂で「生きる喜び」を実感する。バーチャル世界で「身体性」を強調する描き方が印象深い。
9年前に発表された原作が10~30代を中心に支持され続ける背景には、「人生を他人と平等な環境でスタートしてみたい」欲求もあるだろう。自分の環境が恵まれていない、と「格差社会」を感じる若者は増えている。その怒りを本作は、ゲーム発売前にテスト版をプレーできた当選者1千人を憎む人々という形で描いている。
「同じ環境があれば」「選ばれなかった自分が悔しい」――。プレーヤーたちは、私たちの写し鏡でもある。だからこそ、絶望を乗り越えて強くなるアスナたちに引かれる。ゼロ地点からでも、自分次第で道は開ける。本作が私たちに投げかけるものは大きい。=朝日新聞2021年11月30日掲載