第165回直木賞受賞作である。五度目の候補入りで受賞したのは、著者が得意とする古代史ものでも、輝かしい業績を持つ偉人伝でもなく、時代と家族の中で迷い続けたひとりの女性の物語だった。
明治22年、画鬼と呼ばれた天才絵師・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の死から物語は始まる。一門を継いだのは、幼い頃から父の手ほどきを受けてきた娘のとよ。兄とは折り合いが悪く、弟は頼りなく、妹は病弱という中にあって、父の画風を守りたい一心での選択だった。とよは河鍋暁翠(きょうすい)の名で絵を描き続けようとするが、明治という時代は彼女が「画鬼」になることを許してくれない。
豪商に仕事場を用意してもらえば囲われ者と思われる。結婚や出産も避けて通れない。夫は優しい人で、とよが絵を続けるのを「許してくれる」が、女子美術学校で教鞭(きょうべん)を執り、挿絵などの小さな仕事を受け、子育てに追われるうちに日々は過ぎ、大作に挑む時間はない。
そこに訪れたのが西洋画ブームだ。河鍋暁斎も、彼が学んだ狩野派も「古い」と言われるようになってしまう。
天才と言われた父のような絵は描けない。描けば描くほど力の差を思い知らされる。かといって世間が父の絵を古いと謗(そし)る中、自分までが流行を追って河鍋の絵を捨てるわけにはいかない。父の軛(くびき)から逃れることも、父を継ぐことも超えることもできず、とよは懊悩(おうのう)するのだ。親子や家業といった制約から逃れられないのは、今の世の私たちにも通じる部分だろう。
その結果、とよがどのような人生を選択したか。どうかじっくりと味わっていただきたい。
芸術には流行(はや)り廃りがある。その一方で変わらず受け継がれるものも存在する。天才でも画鬼でもないとよの闘いから、それが浮かび上がってきた。
澤田瞳子が描いたのは絵師・河鍋暁翠ではなく、時代に翻弄(ほんろう)されたひとりの女性、河鍋とよの物語だ。それはもしかしたらあなたの姿かもしれない。=朝日新聞2021年7月31日掲載
◇
文芸春秋・1925円=2刷7万7千部。5月刊。「50代以上の女性読者が多いが、働く若い世代にも響いているようだ」と版元。