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新大陸へ 澤田瞳子

 大人になって機会が減った出来事の一つに、友人との本の貸し借りがある。十代の頃は級友同士、毎日のように手持ちの本を勧め合っていたが、互いに仕事を持って会う機会が減ると、そういうことも難しい。だからこそLINEやメールでお勧めの本の話題が出ると、メモを片手にすぐ書店に走る。

 自分で本を探して読むのは、無論、楽しい。だが自分一人では手に取らなかったであろう作品を勧められた時は、思いも寄らぬ新大陸へと招待されたような喜びを味わえる。

 その喜びは本のみに限らず、これまで知らなかった趣味や文化に、他者を媒介して触れた時も同様だ。以前、某アイドルグループにハマっている後輩が、「瞳子さんに見てもらおうと思って」と彼らのライブDVDを持って遊びに来た。メンバーが総勢何人かも分からない私に、「この曲は、〇〇さんが主人公を演じたドラマの主題歌です。あ、この曲は冒頭のダンスが見どころです。しっかり見てください」と、イヤホンガイドよろしくつきっきりで解説してくれた。

 だからといって、彼女ほどそのグループにハマったわけではない。ただ一度そうやって向き合う機会を得ると、以来、彼らがテレビに出ていると思わず見入ってしまうし、主演映画の話題を聞けば、見に行ってもいいなと思う。何かを知るとはそれだけで、歩む大陸を新しく獲得することなのだ。

 近年ルールが定まったニュースポーツ、ブレイク最中の俳優さん。それらを知らないまま過ごしたとて、日々の暮らしに不自由は生じない。だがそれらにほんの少し興味を持つだけで、歩くことの出来る新天地は次々増える。とはいえ人間が関心のアンテナを向けられる方角はさして広くなく、一人ですべての情報を入手することは不可能だ。だからこそ思いがけぬ大陸を指し示してくれる友達がとてもありがたいし、私もまた誰かに新大陸を教えられる存在でありたいと思う。=朝日新聞2021年9月15日掲載