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アフガニスタンとは 多様な民族や文化、今も交錯 大阪大学言語文化研究科教授・山根聡

アフガニスタンの首都カブールにある内務省の施設を警備するタリバン兵たち=8月17日、AFP時事

 19世紀初め、英国使節団長としてアフガニスタンを訪れたエルフィンストーンが、アフガニスタンの王となったマフムード・シャーをこう評した。「彼の統治は、安定政権の樹立というよりは、一時的な軍事的成功に近い」。「謎の集団」タリバンにも、同じ言葉が当てはまるのか。アフガニスタンという国をいま一度見つめ直したい。

隣接国との紐帯

 タリバンは長い内戦を終結させるため、治安回復を掲げて急速に勢力を伸ばし、1996年に首都を制圧した。だが、今から20年前の9・11同時多発テロで始まった対テロ戦争はタリバン政権をあっけなく崩壊させ、この国は米国主導で復興の道を歩みだした。だから、よもやこれほど早く、彼らが再び首都を制圧するとは誰も想像しなかった。

 『誰がタリバンを育てたか』には、タリバン政権直前期から9・11直前までの、アフガニスタンとその周辺国、米国の動向や、通商路や資源をめぐる米国やパキスタンの思惑が描き出されている。かつてソ連の地質学者はアフガニスタン北部に油田等の地下資源の存在を推定しており、最近の中国のタリバン接近もこうした文脈でとらえられよう。進藤雄介『タリバンの復活』(花伝社・2420円)は、復興のなかで汚職や政治的腐敗が蔓延(まんえん)して「ローカル・タリバン」が結成されるのを許すなど、国際社会が対テロ戦争下でタリバンを過小評価し、油断した点を指摘する。タリバンと米国の関係を「もともとは敵ではなかったものの、相手を敵だと決めつけたために本当に敵になってしまった」との説明は示唆的だ。

 古代から2002年までを描いた『アフガニスタンの歴史と文化』では、本文冒頭の文言など、この国をめぐる多くの文献を駆使し、アフガニスタンが、多様な民族、宗教、文化が交錯した空間であることを示している。16世紀末、インドのムガル朝と交わした条約によって、この国は北部地域と南部地域の交流が制限された。その流れによって、国内では民族間融和よりも、四方に隣接する他国との民族的紐帯(ちゅうたい)を強化するようになったことなど、歴史を往還することで得られる知識の意味を感じさせる。繰り返されてきた権力闘争は複雑で難しいが、それだけ、アフガニスタンの歴史の深さを知ることができる。

女性たちの生活

 また、今回、高い関心を集めているのがタリバンによる女性への処遇だ。上層部は女性の社会進出を認める発言を繰り返しているが、末端の兵士による蛮行が続き、市民は不安を払拭(ふっしょく)できていない。そもそも、現地の女性たちはどのように生き、生活しているのか。垣間見られる一つが写真集『アフガニスタンの少女マジャミン』だ。主人公の少女とその周辺を通し、アフガニスタンの空気、湿度、声を届けてくれる。復興のなか都市部でヴェールを脱ぎ、西洋的な文化を享受する女性と、伝統的なヴェールを宗教的であるとして被(かぶ)り続ける女性の混在は、タリバンとなり米国への協力者に暴力をふるう若者の苛立(いらだ)ちと重なる。共存への模索は続く。

 対テロ戦争直後、平和構築、復興に関する書籍が数多く刊行された。医師・中村哲氏の多くの著作も社会の関心を生んだ。だが11年にアル=カーイダの首領ウサマ・ビン=ラディンが米軍に殺害されると、日本も国際社会もアフガニスタンに対する関心を失った。結果、多くの書籍は入手が難しくなっているが、アハメド・ラシッド『タリバン』(講談社・品切れ)や前田耕作『アフガニスタンの仏教遺跡バーミヤン』(晶文社・品切れ)など現代社会や文化を読み解く書籍は多くある。アフガニスタンの人々との長い付き合いについて、いま一度多角的に考えよう。友達になるのは簡単だが、友達でいるのは難しい。=朝日新聞2021年9月25日掲載