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ウイグル問題 多民族中国の実像、重層的に 東京大学教授・阿古智子

中国当局に拘束されているウイグル族の解放を訴える人たち=3月、トルコ・イスタンブール

 「中国」という複雑な表象が日本の論壇では過度に単純化され、対立の構図を生じさせているからだろうか。欧米の研究者やメディアがウイグル人などの強制的な収容や労働を積極的に調べるのに対し、日本では「政治」に巻き込まれたくない中国研究者の間で「ウイグル問題」は半ばタブーとなっている。

友好プログラム

 そんな中で今年邦訳が出たサイラグル・サウトバイらの『重要証人』はウイグル人らへの迫害の実態を知る貴重な一冊だ。

 サウトバイは新疆ウイグル自治区で生まれ育った医師・幼稚園長のカザフ人女性で、突如、家族と引き離されて再教育施設と呼ばれる強制収容所へ送られ、中国語教師として働かされる。二度目の収容中は二人目の子どもを妊娠していた。劣悪な環境で自己批判を迫られ、独身の中国人男性と二人きりで過ごすという奇異な「友好プログラム」にも参加させられた。

 命がけで隣国カザフスタンへ出国した後も秘密工作員の影に怯(おび)え、不法入国罪で逮捕される。二〇一八年の裁判では数々の弾圧を証言し世界各地のメディアが報じた。六カ月の自宅拘禁の処分で済むが、カザフスタンでの亡命申請は却下される。滞在許可が切れる直前にスウェーデンに政治亡命した。

 こうした迫害の証言の真偽や誇張を疑う声はあるが、私自身三十年以上中国研究に携わり、権力と対峙(たいじ)する人々が監視、拘禁、拷問の対象になる状況を見てきた。本書を読み、サウトバイは自らの辛(つら)い過去と真摯(しんし)に向き合っていると感じた。言論統制とプロパガンダに力を入れる巨大な多民族国家の実像は相当な努力をして、内側から見ようとしなければ見えてこない。

 一方、少数民族問題への理解を深めるためには「中国」の特徴をとらえることも重要だ。中国を代表する思想史・歴史研究者の葛兆光による『中国は“中国”なのか』はグローバルで壮大な歴史の視座を提供する。

 歴代王朝が離合を繰り返し、中央が統括する空間を変化させてきた「中国」は、徐々に漢民族文化を主軸とする文化的共同体を構成し、宋代には国境を意識した民族国家を形成し始めた。しかし、葛兆光は漢族文化を中国文化とは見ず、漢族文化が周辺文化と相互に浸透し、融合と分化を重ねる中で文化的重層性のある「中国」が形成された過程を丹念に分析する。

 葛兆光は異質性が顕著な「西洋」を鏡にせず、周辺(日本、韓国、ベトナム、インド、アフガニスタン、チベット、モンゴルなど)を「他者」として多面鏡に映し出すことで、移動する歴史上の「中国」と現実の政治的中国を区別できると説く。

誘拐犯との共生

 だが中華民族の偉大なる復興を掲げる中国は、そのような区別を許さない。『私の西域、君の東トルキスタン』の著者、漢人作家の王力雄は一九九九年、国家機密窃取の容疑で新疆ウイグル自治区で拘束された際、獄中で出会ったウイグル人のムフタルと語り合う仲となる。

 「なぜ漢人は自分の国を持てて、他の民族は持てないのか」というムフタルの問いに、ウイグル人と漢人の分離が衝突と流血、恐怖と欠乏をもたらすならば、分離しない選択を探るべきではないかと王力雄は答える。

 専制主義は民族の怨恨(えんこん)をもたらす。これを民主化を拒む理由に使い、大漢民族主義で国民の支持を得ようとする。この「誘拐犯と人質の共生共死のロジック」を解くためには、民間において民族間の対話を促進することが重要だと王力雄は述べる。しかし、ウイグル人に寄り添いウイグル人の心の扉を開こうとした王力雄も、現在は海外への渡航はさることながら、中国での言論活動にも厳しい規制がかけられ、口を封じられている。=朝日新聞2021年11月13日掲載