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YATO(東京) 「ラクになってしまう」と教師を辞め、本屋空白地帯の両国に作った「自分が居心地のいい店」

 地縁血縁はないけれど、なぜかよく行く街というものがある。相撲の聖地・両国が、私にとってはそのひとつだ。とはいえスー女だからではなく、以前は友人の家に、ここ数年は関東大震災で犠牲になった朝鮮人の追悼式に通っているから。しかもつい最近、また別の友人が引っ越して来たので、さらによく行くようになっていた。でも両国ってちゃんこ屋は多いけど、本屋がないんだよなあ……。

 と思いながらてくてく歩いていると、「YATO」という文字と並んで「BOOKS GALLERY COFFEE AND MORE」と書かれた看板が目の端を通り過ぎた。えっ?

印象的なロゴは静岡在住のデザイナー亀澤希美子さんとバランスを考えに考えて作ったもの。

 その場所はJR両国駅から歩いて約10分の横網町公園近く。木枠にガラス張りの扉の奥に、本棚らしきものが見える。これは素通りできない。中に入ってみると、縦長のスペースの両端に本が並んでいた。ほ、本屋だあ!

3階建ての建物の、1階にある。

 はやる気持ちを抑えながらクールに棚をチェックしていると、拙著『奥さまは愛国』(北原みのりさんと共著、河出書房新社)が置かれていた。嬉しくなって「あの、この本の共著者なんですけど……」とレジにいた店主の、佐々木友紀さんに声をかけてしまった。

「仕事がラクになってしまう」と教師を辞める

YATO店主の、佐々木友紀さん。

 なぜ駅から離れた場所に本屋を?

 「かつての僕には2つ夢があって、1つは教師になること、1つは店をやることでした。それでとにかくいろいろな人に『店をやりたいんだけど、どこかいい場所はないか』と言っていたら、この物件を紹介されたんです」

 佐々木さんは太宰治と同じ青森県五所川原市の出身で、1997年に予備校進学のために東京にやってきた。10代の頃の佐々木さんは、FMで紹介された輸入洋楽アルバムのレコード番号を調べては当時地元にあった新星堂に注文するなど、「音楽が好きで本も好き」な少年だった。

 上京した90年代後半と言えば、「宇田川町を歩けば輸入レコード店に当たる」と言われるほど、渋谷の街にはレコード店があふれていた。佐々木さんはタワーレコードのスタンプが3カ月で満杯になるほど、通い詰めていたという。

 「大学は英文科に通っていたのですが、映画にも強い興味を持っていて。映画について学んでみようと思い、まずはアルバイトをして資金を貯めようと思いました」

 大学1年生のときに選んだのは当時、豊洲界隈にあった造船所で、1500円の時給で雑務全般をこなしていた。映画を作りたい気持ちは持ちつつ、バイトで得た資金をもとにドイツやフランス、ベルギーなどヨーロッパ各地を回った。出会った人の家に長期滞在してみると、「スクウォッター」と呼ばれる、自分の家以外をオキュパイ(占拠)する人たちがいることを知った。

 「当時は占拠を宣言してから48時間が経過すると合法であったり、冬の寒い時期は退去猶予期間になったりするなど、ヨーロッパと日本では公共についての考え方が違うことを知りました。メキシコを旅行した際は、街の中心にソカロと呼ばれる大きな広場があって。普段は皆散歩したりブラブラしたり、新年のお祝いや芸術の会場としても使われたり、ときにはデモや政治への抗議の場にもなっていて。沢山の人が集合しては通りすぎていく。街が持っている機能として人々が交差する様子が、とても興味深かったんです」

 そんな刺激的な日々を送るうちに30歳を迎えた佐々木さんは、まず最初の夢である教師を目指した。両親が教師をしていて、自身も「僕が先生だったら、どう教えたかな」と授業中に考える子どもだったという。

 縁あって郷里の私立高校に採用された佐々木さんは、2年生の担任となる。翌年には、教務主任も任されてしまった。

 「担任をして、授業も教えて、他校との生徒の転出・転入にも責任がありますし、カリキュラムを組んだりするのも仕事。とにかく忙しかったけれど学ぶことが多くて。とてもやりがいがありました」

 しかしだんだん慣れてくると仕事がルーティン化し、私立高校は教師の異動もほぼないため「このままいると来年はようやく少し慣れてラクになるかなと思うと、なんだか少し胸がザワザワしてきて。少しワーカホリック気味になっていたのか、もっといろいろなことをして頑張ってみたいという気持ちが出てきてしまって」 、パートナーを東京に残してきたこともあり、3年で教師生活を終える決意をする。

 ラクになりたくて同じ仕事を続ける人が多いのに、佐々木さんは逆だったのだ。

店内は縦長の空間を活かしたレイアウトに。 

心地よい空間を作りたくて独立

 再び東京に来た佐々木さんは、アパレル系ECサイトの管理などをしながら、もう一つの「店をやる」夢を叶えようと思ったものの、とくに業種は決めていなかった。しかし晶文社の「就職しないで生きるには21」シリーズの1冊で島田潤一郎さんの『あしたから出版社』を読んだことで、本に関係する仕事に興味を持ち始めたそうだ。

 「その頃よく自転車で通っていた、東上野あたりで店をやりたいと思うようになりました。上野駅界隈って人が多いけど、国道4号線より東側には本屋もないと思ってたんです。でも『ROUTE BOOKS』というブックカフェがあることを知り、独立前提で働かせてくださいとお願いしたんです」

 2015年の年末、晴れて採用された佐々木さんは選書担当となったが、ノウハウも参考になる本もなかったため、京都・誠光社の堀部篤史さんと島田潤一郎さんの「まちで本屋を新たに開くということ」イベントに参加したり、人に教えを乞うたりしながら、現場で学んでいった。ユリイカの臨時増刊号『出版の未来』(青土社)なども大いに参考にしつつ、1年5カ月働いたのちに独立を決めた。

 「僕が働き始めた頃のROUTE BOOKSはビルの4階にあって、いろんな意味でありえない空間構成で素晴らしくてそこに惚れたんです。でも1年経った頃にビルの1階に移転して、十分後を任せられるなあっていう新しいスタッフも入ってきて。今、独立して自分でやってみるべきタイミングなのかな、とある日思って」

ブックカフェがコロナ禍で一転

左側のロンTはディスプレイ用。「途中でやめる」というブランドで、自由に3文字をオーダーできるものを2文字にしてもらって「やと」と描かれたもの。右は1920年代に作られたスモーキングジャケット。

 今の場所は、友人である台東区池之端 の古書店・タナカホンヤの田中宏治さんに大家を紹介してもらった。40年前は美容室、その後は倉庫として使われていた。そこをROUTE BOOKS時代に仲良くなった大工の知人に設計を頼み、DIYでほぼ2人だけで作り上げた。 最初から決めていたのは、「キッチンをつける」ことだった。

 「それこそ本屋とカフェだけでなく、たとえば無農薬野菜を販売するなど、複合的な場所にしたかったんです。だから何度も打ち合わせをして、今のレイアウトになりました」

 レジカウンターの中には確かにキッチンがある。以前取材した谷保の小鳥書房もキッチンが奥にあったが、スナックの跡地だった。でもYATOは一からキッチンを作ったのだ。

 2019年1月にオープンして以来、ここで佐々木さんはカレーや焼き菓子を作ってはお客さんに提供してきた。しかし2020年から始まったコロナ禍で、様相は一変する。

 「店の中にテーブルとイスはありますが、今はほぼ完全に、本がメインになりました。最初のうちは古書が多かったのですが、今は新刊が9割です」

 

かつては飲食用のカウンターだったところに、今は本が並ぶ。

 そうなったことで近所の人はもとより、同じく本屋がない地域から本を求めるお客さんが来るようになったと語った。

 「店を始めた頃は、お客さんに『老婆心ながらこういうお店は中央線沿いにあったほうがいいのでは』と心配されて、それはその通りなのかもしれない(笑)。でも確かにちょっと大変かもしれないけど、ここでやることに意義を感じてるんですよね。誰かがやってる場所だったら自分はお客さんになって応援して他のことをしていると思います。自分が気軽に行ける距離に本屋があったらいいよね、町に1つは本屋あってもいいよね。まだここには無い。じゃあこの場所でやってみようって思いました」

 9坪(約27平方メートル)の店の在庫冊数は「今は4500~5000冊くらいかな?」と、佐々木さんははにかみながら言った。反レイシズムに関する本は並んでいるが、いわゆるヘイト本は見当たらない。 「あんまり考えたことはないですけど、1日に数百タイトルが出版される中で、一生懸命面白い本やいい本を選ぶと、自然にそれは入ってこられない気がします」

 意識的なセレクトでないにしろ、それでも個人的には、ほっと安心することには違いがない。もちろんアートなど、佐々木さんが興味を持つジャンルも手厚い。

 「自分でも色々なものを吸収して思考し続けて、価値を見出して提示する必要は絶対あると思っていて。そうでなければAIやアルゴリズムでよくなっちゃうし。まあ個人の限界はありますけど、簡単にそこを諦めるつもりはなくて」

店名の由来、あらゆる境界線を溶かす「と」

 YATOには「本屋と」の「やと」と、フランス語の「et」の意味が込められている。佐々木さんが影響を受けたゴダールのドキュメンタリー映画『ヒア&ゼア こことよそ』の中に何度も登場する「et」は、日本語の「と」の意味を持つ。

 ●●と××という、違う2つのものを結ぶ接続助詞の「と」は並列の言葉だけど、私は2つの境界を溶かす言葉でもあると信じている。YATOは本とカフェ、映画とアートなど、さまざまなものの境界線が溶けてひとつの場に集まっている。やってくるお客さんも地元のお年寄りから別の街の本好きまで、実に幅広いからだ。

 「これ、この間、長野の松本に行ったときに買ってきたんです。机だったんですけど、自然すぎて誰も気づかないんですよね」

3段に積み重ねられた陳列棚は、一見しただけでは机とわからない。

 佐々木さんはそう言って、店の奥にある書棚を指さした。これっぽっちも棚だと信じて疑わなかったそれは、3段に積まれた机だったのだ。この店では、机も書棚も区別がない。あらゆるものの境界線を曖昧にしながら、訪れた人に心地よい空間を提供している。

 「……先生ってすごいね!」

 佐々木さんの生徒じゃないのにそう言いたくなる気持ちを、私はぐっと抑えることにした。

(文・写真:朴順梨)

佐々木さんが選ぶ3

●『庭仕事の真髄―老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭』スー・スチュアート・スミス、和田佐規子訳(築地書館)

 世界的なガーデンデザイナーを夫に持つ精神科医・心理療法士の書いた全英ベストセラー。庭園の中で自然に包まれていると安全を感じる、というのは実は大きな発見のような気がします。まず傷ついた人に。そこに留まらず様々な広がりを持つ庭園論。

●『くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話』ヤマザキOKコンピュータ(タバブックス)

 当店ロングセラーです。投資のテクニック本というよりは主にアティチュードの本(テクニックについては著者は割とネット上で無料公開もしておりますのでそちらも是非)。1つの買い物だって、自分が住む未来の街を選ぶ投票行動でもあって。いつも「自分で選ぶことから逃げない」ことで、あなたにとって街はもっと面白くなるかもしれません。

●『汽水空港台湾滞在記』モリテツヤ(汽水空港)

 著者は鳥取県湯梨浜町にある書店主。 台湾に支店を作りたい!という目標の第一段階である台湾滞在記。 「まずここに台湾からの暖かくて優しい風を吹かせたいわけ。環境は変えることができるし、つくることができるのだという実感を」。 上の本の続きで、これを購入することで、それが現実にある世界に小さな1票を投じることにもなります。台湾独立系ブックショップガイドとしても◎。

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