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家から話しかけてほしい 津村記久子

 ウイルスの感染拡大が止まらず、げんなりする毎日を送っているのは確かだけれども、テレビの出演者さんがリモートで出演しているところを見るのは好きだと思う。気象予報士さんが自宅から出演して話している番組の音声を消して流しながら、〈荒涼館〉という本を読んでいると、登場人物の一人であるキャディという女の子が主人公のエスタに結婚の報告をする場面で、キャディがモニター越しにエスタに自分は結婚すると話したような様子が頭をよぎった。〈荒涼館〉は十九世紀の小説なのでもちろんありえないことなのだが、それほどモニター越しに人が話す様子というのが、自分の中で普通のことになってきている。

 そんなことを言われても、と嫌がられそうなのだけれども、モニター越しの出演者さんの背景を見るのが好きなのだった。テレビ局の中の別の部屋を使っていると思われる背景には興味をひかれないのだけれども、自宅だと思われるとじっと見てしまう。この状況にならなければ、おそらく一生見ることが叶(かな)わなかったであろう人の自宅を見ることができる。見せていただける。なんとなくその人が気前がいいような気がして好きになってしまう。

 テレビのスタジオのような改まった場所に、出演者さんの自宅が映ったモニターが置かれるリモート出演は、テレビと投稿動画の境界が曖昧(あいまい)になったような気分にさせる。リモート出演の様子に違和感を感じる人がいることは理解しているのだけれども、あの様子を見るたびにわたしは「このぐらいでべつによかったんだな」となんだか不思議な安堵(あんど)感を覚える。実は、それほど作り込まれたもの、改まったものでなくても世間は回していける。自分にとってのその考え方の象徴が、テレビのリモート出演の様子なのかもしれない。

 いつか感染がおさまったらなくなってしまうのかなと思うと寂しい気持ちになる。ときどきは、気前のいい誰かが家から話しかけてくれる世の中でいて欲しい。=朝日新聞2022年2月9日掲載