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【谷原章介店長のオススメ】東海林さだお「大衆食堂に行こう」 人間観察の細やかさからユーモアが生まれる

谷原章介さん=松嶋愛撮影

「ケの日」の小さな事象に目を向ける

 安くてうまい「大衆食堂」。ちょっとした街になら、全国どこにでもあって、いろんな人たちの胃袋を満たしています。その庶民的な空間に生まれる、なにげない日常の細かいところに焦点をあわせ、ユーモアたっぷりに綴ったエッセイ『大衆食堂に行こう』(だいわ文庫)をご紹介します。著者は、みなさんご存じの漫画家・東海林さだおさん。新聞・雑誌で数多くのロングラン連載を続けていらっしゃる、食にまつわるユーモアエッセイの第一人者です。

 東海林さんは1937年10月のお生まれですから、現在、御年84歳。「週刊朝日」の連載エッセイをまとめた「丸かじりシリーズ」が人気です。食べ物に対する東海林さんの思い入れの強さが伝わる連載で、この本にも、その連載の文章が含まれています。サバ味噌煮定食、アジフライ定食、天丼、カツ丼、カレーライス……。ただ、各メニューについての考察そのものよりも、東海林さんの興味のベクトルは、大衆食堂という空間、そして空間を共有する「人」に向けられているのが、この本の大きな特徴です。

 退屈そうにスポーツ新聞を読む、店の主人の「人となり」。あるいは、つまようじを使って「シーハー」するおじさん客と、顔をしかめながら見ている若い女性客の関係性――。「食」という切り口を使って、実は人を描くという意図を感じます。そのありようを、完全なる傍観者としてジーッと観察する東海林さん。押し黙ったまま1人席に座り、周りをスパイしているその姿を想像するだけでも、なんだか笑いがこみ上げてくるのです。

 東海林さんが長年エッセイに扱ってきたテーマは、「ハレの日、ケの日」で言うところの「ケの日」。さらに、そのなかでも、とっても小さな事象に目を向けています。こういう姿勢に、僕は強い共感を抱きます。たとえば、ひとりでご飯を食べに行った時、思わずアタフタしてしまう場面ってありませんか。「あ、今の注文の仕方では、段取りが悪くて、『面倒くさい客だな』と思われたかも」なんて、考え込んでしまう。そんな心理描写も細かく綴られています。

 東海林さんの文章の魅力は、ユーモラスで、的確な比喩を使うこと。「ニッポンの昼食」という章では、中原中也の「正午 丸ビル風景」という詩を引用しながら、東京都心の昼休みの様子をリズミカルに描きます。ご自身の心の推移も克明に描いている。まず「1時間」という昼休みの長さを、どうとらえ、自分なりにどう向き合うか、から始まって、何を食べるのか、麺にするなら中華か和食か。和の麺だったら蕎麦かうどんか。あれ、カツ丼も悪くないぞ――なんていう調子で進みます。そして中也の詩を再び取り入れつつ、グループ内の力関係を含めサラリーマンたちの言動をつぶさにウォッチする。こういった人間観察は、東海林さんの真骨頂です。

生活の楽しみ方を知る先達

 麺といえば、東海林さんは、昨今の「ラーメン愛好家」について、ページをさいて持論を語っています。彼らの「真剣な」姿勢からきっちり距離を置いて、「彼らはラーメンにハゲシク期待して出かけていくから失望も大きい」と述べる東海林さん。

 「食事というものは、本来食べて和(なご)むもの、食べて満ちたりるものであるはずなのに、食べて心がすさんだんじゃあ、どうしようもない」

 そして、街の片隅にある、どこか哀愁のある、「そんなに美味くないラーメン」への愛を東海林さんは語ります。お店の空間と、そこに集まる常連さんが醸し出す空気感、暖簾をくぐってから注文し、麺をすすって帰るまでの、時の流れ。

 「もともとラーメンは、期待して目を三角にして食べるものではなかったはずだ。いつからこんなことになってしまったのか」。東海林さんはそう締め括ります。

 僕自身は、大衆食堂というよりも「町中華」が好きで、だいぶ昔から足繁く通っては、麺や料理の写真を撮り歩いています。それこそ最近は「町中華ブーム」ですが、僕はずっと前からコツコツと通っては写真におさめてきました。先日も、朝の生放送を終えてから「Googleマップ」の検索を頼りに、マネジャーと東京の下町に出向きました。ちょうど開店時間に到着し、おばさんが暖簾を掲げる場面に出くわしました。おばさんは一言。

 「あれ、饅頭?」
 お店の一角には、湯気の立ったせいろが重ねられていて、テイクアウト用の肉まんが売られていたのです。
 「あ、ラーメン食べたいんですけど、やっていますか?」
 「どうぞ」

 コンクリートの土間に通され、丸椅子に腰かけると、冬の空気がそのまま身体に伝わってきました。一気に数十年、タイムスリップしたような気持ちになる。店主夫婦がお店を立ち上げた頃は、きっとピカピカで、活気に満ち溢れていたのでしょう。年月を経て、ピークから下り坂に向かい、枯れてきた佇(たたず)まい。ボロいけれど決して不潔ではない、この味わいが僕は大好きなのです。

 昭和、平成、令和。時の流れに思いを馳せるうち、湯気の立つ「わかめタンメン」が届きました。これがじつに美味い! 空間の持つ味わいを堪能して店を出た時、ちょっと僕も東海林さんに近づけた気がしました。きっと東海林さんは「生活の楽しみ方」を知っている方だと思うのです。

和して同ぜず、若手と向き合う

 この本のなかで、ぜひ読んでほしい章があります。定食評論家・今柊二(こん・とうじ)さんと東海林さんの対談「正しい定食屋のあり方」。東海林さんより30歳も若い今さんは、全国の定食屋に出向いては、最新情報をアップデートしながら論評をする人です。彼にはきちんと分類・整理されたデータがある。それに対する東海林さんの受け答えは――? ぜひ、読んでみてください。僕には、まるで、宮本武蔵と佐々木小次郎のような緊張感を覚えました。和して同ぜず、ピリッとした感じがじつに面白いのです。まるでレジェンド葛西紀明さんが、北京五輪スキージャンプ男子で金メダルを勝ち取った25歳の小林陵侑さんにジェラシーを感じていそうな感じ。バリバリの若手に対峙するメンタリティの若さ。東海林さんの矜持を感じるのです。

 僕自身、役者として嫉妬、というか尊敬する若手俳優が大勢います。その一人が、黒木華さん。お芝居は、その人がそこに佇む時の居住まいがすべて。語らずとも、佇んでいるだけで語りかけてくる。想像力をかきたてる俳優が「良い俳優」だと僕は思います。夏には、僕自身も松尾スズキさんの演出で「大人計画」の舞台に立つことになりました。台詞や世界観の設定がとにかく濃い「大人計画」。「太刀打ちしてやろう」などと邪(よこしま)な思いは持たず、思い切り楽しもうと思っています。日本の小劇場の良心と言われる下北沢の「本多劇場」の舞台に、僕は初めて立つことになります。空間が持つ力、歴史、いろんな役者の思いが、あの舞台に汗のように染み込んでいる。劇場もまた、年月を経て「神が宿る」という点では、東海林さんの追いかける空間と似ているかも知れないですね。

あわせて読みたい

 東海林さだおさんの「丸かじりシリーズ」第1作、『タコの丸かじり』(文春文庫)から読み解くと、彼の食への思い入れの変遷がひも解けるかも知れません。それから、対談に登場した今柊二さんの『立ちそば春夏秋冬』(竹書房)も、ぜひ読んでみたい。僕も大好きな立ち食い蕎麦、今さんがどんな切り口でまとめているのか、興味津々です。

(構成:加賀直樹)