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自分プレイングゲーム 津村記久子

 投資的なことは何もしていないのだけれども、「運用」という言葉が好きで、気の重い日常の物事でも「運用」込みで言い換えるとわりと抵抗せずに着手する。たとえば、いつまでもニュースを読み漁(あさ)っていて、それ以外のことはまったく何もしようとしない時に、「洗濯しようぜ」ではずっとぐずぐずしているけれども、「Tシャツの運用をしようぜ」と自分に呼びかけると、「そうだな」となぜかやる気を出す。人生においても生活においても、わたしのやっていることでうまくいくことというのがそうそうないため、うまくいっているニュアンスがある「運用」に弱いのかもしれない。

 自分が「運用」に親しむようになったのは、ロールプレイングゲーム(RPG)が好きなことと関係があると思う。RPGのナラティブでは、キャラクターやパーティをうまく使うことを「運用する」と言うことがよくある。子供の頃からゲームはやっているけれども、この数か月は特に無力感を感じることが多くて、自己効力感を得るために、スマートフォンや携帯ゲーム機で、買い切りのRPGをいくつかプレイしている。無力だと感じる時にRPGをやる理由は「がんばればがんばるほど結果につながるから」だ。そして、わたしにとってがんばればがんばるほど結果につながることはあまりない。Tシャツの洗濯ぐらいだ。

 なので本も「レベル上げようぜ」という感じで読む。十ページまでしか進んでいなかったらレベル1のままだけど、百ページまで進んだらレベル10、というように。本は文字のダンジョンなので、一ページごとに「地下一階」などと考えるのもいいかもしれない。

 人生自体もゲーム化したまま、自分自身を運用してなんとなく収束していかないもんかなと思う。今はレベル44だ。レベルが上がると肩がこったり視力が落ちたりするので、けっこう難しいゲームなのだが、洗濯や床掃除やゴミ捨てなどでちまちま経験値を稼いでいきたい。=朝日新聞2022年4月13日掲載