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【谷原章介店長のオススメ】益田ミリ「ちょっとそこまで旅してみよう」 てらいのない文章の心地良さ

谷原章介さん=松嶋愛撮影

無理のない等身大の旅の記録

 どこへも出掛けられない日々を過ごしてきましたが、最近ようやく旅をする気分になった方々が増え始めたようです。毎朝、生放送の仕事を抱える僕自身は、なかなか叶わないけれど、せめてエッセイを読んで旅の気分に浸りたい。そんな思いで、この本を今回選びました。『ちょっとそこまで旅してみよう』(幻冬舎文庫)。著者は、漫画家・イラストレーターの益田ミリさんです。

 金沢、弘前、宮城・鳴子温泉、宝塚、萩、さらにはフィンランド、スウェーデン――。ミリさんのことは、シリーズ漫画『すーちゃん』を愛読していましたが、こんなに旅がお好きな方だとは知りませんでした。エッセイ冒頭でミリさんは「いつの間にか、旅はわたしの人生の一部になっていたのです」と語っています。これまで読んできた漫画作品からは、強い主張がないのに、しっかりとした自分の中の信念みたいなものが伝わってきたのですが、この本からも似た匂いを感じます。

 まず、良い意味で、サービス精神が旺盛でない筆致が良い。等身大のまま、そこに行って感じたこと、出会った人を、てらいなく書き綴る。過度な虚飾のない文章が、これほど心地良いものかとコロナ禍で角張った心に響きます。きっと、等身大の自分を、大切に思っている方なのだろうな。

 国内外のあらゆる場所を、彼氏や女友達、お母さん、はたまた独りで旅し、文章に綴ります。なかでも、思わず僕が「ああ、行きたいなあ!」と胸の高鳴るページがありました。

それは、こんな3泊4日プラン。

……この旅、最高じゃないですか! 行ってみたいなあ。

 じつは僕、旅って、それほど好きではなかったのです。仕事がお休みの日には、できればずっと家の中で過ごしたいタイプ。映画や番組のロケなどの仕事で、いろいろな場所に行かせてもらえるので、そう感じてしまうのかも知れません。

 コロナ禍の直前、ずっと行きたかったある国に、ロケ番組で旅が叶いました。ところが、いざ到着し、何日か過ごすうち、複雑な気持ちになってしまいました。勿論、その国の印象が悪かったのではありません。

 いろんな人が全部、段取りをしてくれる。行く先々やる事を決め、撮影許可も取り、「良いことづくし」であるはずです。ただ、自分の好きなペースで動くことは叶いませんし、本当の本当に、自分の行きたい場所に自由には行けません。何だか「中途半端に自分の思いがガス抜きされた」状態、とでも言うのでしょうか。

 そうなると、お休みの日に、「もう1回行ってみよう」という気には、なかなかならない。中途半端に味わってしまったから……。ぜいたくな悩みだと言われてしまいそうですが。そんなふうにして、他にも、僕が憧れたニューヨーク、ロンドンの街も全部、仕事で行ってしまい、同じような印象を持っています。改めてプライベートで行くには年齢を重ねてしまったし、旅を億劫に思う気持ちのほうが勝ってしまう――。僕自身、沖縄や九州を旅することがありますが、それは、かの地に暮らす友人に会うため。長らく、旅からは遠ざかってしまいました。

日常のちょっとした延長に旅がある

 そんな折に、この本を読み、海外はまだ敷居が高いけれど、奈良、京都など、日常生活から近い非日常に行きたい、という気持ちが強くなっています。さきほどの山陰・九州プランのように、1泊ごとに街を変えていく旅って素敵ですよね。特に「釜揚げ出雲そば」を食べたい! そばは水洗いせず、茹でたまま。別添えのつゆをお好みの配分で入れて、すすります。そば湯なので、つゆはとろとろ。ああ、美味しそう! 結局のところ僕にとって、旅は「食」がメインかも知れません。

 それからミリさんは、北欧の地に何度も飛んでいます。映画「かもめ食堂」の影響でしょうか、日本人にずっと人気ですよね。僕は主演の小林聡美さんがとても好き。小林さん、もたいまさこさん、室井滋さんの「やっぱり猫が好き」も大好きで、高校時代には録画して観ていたほどです。そこかしこに自分と重なる部分があるのです。

 「八丈島」へ向かう章もあります。僕も大好きな島です。十数年前、サーフィンをしに行ったのですが、トビウオの「島寿司」を美味しくいただきました。ワサビではなく、カラシを付けるのです。海岸は、黒く丸い玉石がごろごろしていて、奇怪で楽しい景色です。「京都」の章もまた良いですね。時代劇で京都に通っていた頃、錦市場で買い物したことを思い起こします。龍安寺の境内にある湯豆腐屋さんや、祇園四条の「すき焼き」のお店にも足繁く通いました。コロナ禍になってからは、家族で外食に一切行っていませんが……。「奈良」の章を読み、子どもを連れ広島東洋カープの試合を観に行ったことを思い出しました。途中、奈良ホテルに1泊し、広島に向かったのです。あの時も楽しかったなあ。

 まだまだあります。「鹿児島」の章も印象を強く残します。鹿児島市内から車で約1時間半の神社境内にある「千本楠」を、地元の青年と観に行くのですが、樹齢1000年を超えていそうな、大きなクスノキが圧巻です。そして鹿児島名物「両棒餅(ぢゃんぼもち)」をパクリ。平たいお餅を、甘い「みたらし」のたれに絡ませ、いただくのですが、「どう美味しいのか?」「どういう質感なのか?」「匂いは?」「どう感動した?」といった、情報番組では鉄板のそうした表現が、このエッセイには一切ありません。それが素朴で、実直で良いのです。

 「東京スカイツリー」「調布・深大寺」の章を読むと、遠方に向かうことだけが旅ではないことに気づきます。スカイツリーに僕が登った時は、一歩一歩「ふわふわ」している印象を覚えました。深大寺そばの香り高さも忘れがたい。日常のちょっとした延長に、旅がある。そんなことに気づきます。

あわせて読みたい

 旅にまつわる本を今回ご紹介しようと思って、最後まで迷ったもう一冊が、角田光代さんのエッセイ『恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。』。角田さんらしい、肩の力が抜けた流麗な文章で、旅だけでなく、男性に関する考察など数々のトピックについて綴られています。僕の大好きなエッセイです。

(構成・加賀直樹)