ゆえあって、カカシを作らねばならなくなった。日本の田園風景にお馴染(なじ)み、棒で拵(こしら)えた手をだらりと下げ、「へのへのもへじ」で書かれた顔に麦わら帽子。鳥や動物を脅すためのあの人形である。
田畑とは遠い場所に暮らしていても、カカシはテレビドラマや映画、漫画の中で頻繁に見かける親しみある存在。都会暮らしの弟妹を案じる某男性フォークシンガーの名曲、映画化もされた童話『オズの魔法使い』など、カカシが登場する作品も様々ある。そのため勝手にカカシに親近感を抱き、簡単に作れると侮っていた。――しかし、である。
どんなカカシを作るかは自由。とはいえ棒に服を着せただけでは、あのフォルムにはならない。昔ながらの作り方の場合、芯になる棒と服の間に稲藁(いなわら)を詰め、肉体部分をふっくらさせるという。……いや、待て。稲藁なんて、マンション暮らしの身でどこで手に入れれば?
驚いて調べた結果、ビニール袋に新聞紙を詰めたものでも代用できると分かった。だが今度は顔部分を覆う白布や、かぶせる帽子が手元にない。芯柱の長さが分からず、自分の背丈を参考に考え込む。制作前の親近感は雲散霧消し、自分はカカシについて無知だと痛感させられた。
なるほど、私はカカシを見たことはあった。だがそこで得ていたのは所詮(しょせん)、経験に基づかない頭でっかちの知識。仮に一度でもカカシの間近に寄ってみれば、必要な棒の長さで悩むことも、稲藁が要ると驚くこともなかったのに。
知識とは時にそれだけで、人を傲慢(ごうまん)にする。そして考えてみれば世の中の出来事や日々目にする様々な品物の中で、一人の人間が本当の意味で「知っている」事は、どれほどあるだろう。
なお私が作ったカカシはその後、我が家の車に乗らない大きさであると分かり、一旦(いったん)解体して運搬後に組み立てる羽目となった。私がカカシを知っていると言える日は、どうやらまだまだ先らしい。=朝日新聞2022年9月7日掲載