「前向きになれる要素があった」
――本作は、「愛し合っていた一組の夫婦」と、「許されざる恋に落ちた恋人たち」という、全く関係がないように思われたふたつの物語が、数十年の時を経てつながっていく様子を描いたラブストーリーです。大泉さんが演じた小山内堅は、妻と娘を一度に失うという辛い役どころでしたが、台本を読んだ印象とオファーを受けた時の率直な感想を教えてください。
正直な話、最初は辛い役で大変だなと思いました。撮影の間、ずっと辛い思いが撮影期間続くのはしんどいので、できれば避けて通りたいという思いはあったのですが、それだけに終わらない、どこか前向きになれる要素がこの作品にはあったんですよね。
僕が演じる小山内は一度に家族を失うわけだけど、そこに「生まれ変わり」ということと、目黒(蓮)くんと有村(架純)さんが演じる2人のラブストーリーが小山内の人生にまで関わってきて、その関わり方がとても絶妙なんですよね。とっても難しい内容ではあるんだけど、実に見事にバランス良くいろいろな話が絡み合って成立しているなと感じました。
――公式サイトのコメントで「同じくらいの娘を持つ父親として、今まで演じた役で一番感情移入しやすく、それだけに、今まで演じてきた中で一番辛い役」と仰っていましたが、特にそう感じたシーンやセリフはありましたか?
この映画を撮る時に、廣木(隆一)監督から「この映画で小山内の涙は1回だけあればいいと思っているから」と言われていたんです。それは多分、遺体安置所のシーンのことだと思うんだけど、目の前に妻と娘の遺体があって、警察の人に「身元を確認してくれ」と言われるわけですが、そのセットに入った瞬間「あぁ、ダメだ。ここに入れない」と思ってしまった。僕も夫であり父親でもあるので、2人の遺体を見るなんてとても耐えられなかった。本当は監督のおっしゃる通り、一度だけ小山内が慟哭するシーンがあれば十分なんですが、他のシーンでも辛いことが多くて、結構泣いてしまいましたね。
――当初の予定よりも泣くシーンが多かったのは、それほど大泉さんご自身の心が動いたからなのですね。
動きましたね。小山内は、妻子を失ってからずっとそのことに蓋をして生きてきたと思うんですよ。ところがそこに、三角という男が突然現れて「あなたの娘さんはだれかの生まれ変わりだったんじゃないですか」と、無理やり傷口を開くようなことを言われるわけです。閉じていたものを久しぶりに開かれるのは演じていても辛かったし、それまでずっと見てこなかった娘のアルバムを久しぶりに開いたとき、もう一度娘に逢えたような気がしたシーンは、特に心が大きく動かされました。
――愛する家族を想う気持ちのほかに、小山内に共感したところはありましたか?
僕は彼の行動の全てに共感しました。なので、「この時、小山内はどう感じていたのか」と僕が感じたことを監督たちと話し合いながら、台本を変えて撮っていったところもあります。例えば、映画の後半で伊藤(沙莉)さん演じる瑠璃の親友・ゆいとのシーンでは、小山内の「自分の子供が生まれ変わりだとは思いたくない。そこには自分の子供がちゃんといるはずだ」という思いをより表現したくて、準備稿の段階で話し合いを重ねて直したんです。そのおかげもあって、そのシーンはとても感情移入できました。
――泣いて、悩んで、苦しむことが多い役どころでしたが、小山内にとって何か希望になるものがあるとすれば、どんなことだと思われますか?
この物語のテーマでもあるけど、「妻も娘もどこかで生まれ変わって、自分も生まれ変わって、いつかまた逢えるかもしれない」と思えることが、小山内の希望になっているのかもしれないなと思いました。作中で、娘が父親のことをどんな風に思っていたのか聞けるようなシーンがあるのですが、そこで彼は辛いけど幸せな気持ちにもなって、不思議なんだけど、最後には一つの希望になったんじゃないかなと感じました。
「生まれ変わり」とは「前世の記憶もある人」
――本作のテーマのひとつでもある「生まれ変わり」について、大泉さんはどんなことを思われますか?
僕は「生まれ変わり」というのは「前世の記憶もある人」のことだと思うんです。最初の台本の段階では「これでは小山内の気持ちがどうにもうまく収まらない」と思うようなところがあったので、「娘が全く消えてしまうのではなく、前世の記憶もあるんだということをもう少し描いて欲しい」といったやり取りをした覚えがあります。そうじゃないと「じゃあ一体、僕の子供はどこにいっちゃったんだ」という小山内の葛藤がちゃんと着地できないなと思ったんです。
――役者さんと監督が話し合って、最初の台本から少し手直しが入ることはよくあることなのですか?
割とありますよ。もちろん「僕はこう思うんだけど、どうですかね」とお互いが良くなるような提案をします。作り手は全体を見て作っていくけど、役者は自分の役をどこまでも深めていく仕事だから、セリフの一言一言に全部理由がないと話せないわけですよ。僕は自分の演じる役を掘って「このセリフはどうして出るんだろう」とか、「ここでは堅の気持ちをなんとか成仏させてあげたい」という気持ちがあって、そこは作り手が気づかないところでもあると思うんですよね。そういうところを話し合って「なるほどね」となれば、台本を書き直すこともあります。
――悲しい物語でもありますが、妻の梢とのラブストーリーや、瑠璃が生まれてからの小山内家のシーンは多幸感に溢れていて「こんなに仲の良い家族って羨ましいな」と思いました。大泉さんは小山内家にどんな印象を受けましたか。
僕の家族はとても仲が良いので、家族ってそういうものだと思っていたし、小山内家はとても親しみやすい家族だったんだけど、でもそれって実はすごくありがたいことなんですよね。世の中を見ると、どうやらそんな家族ばかりじゃない現実があって、子供が小さいときに夫婦が別れざるを得ない家庭や、いろいろな事情があってあまり関係性が良くない家族もたくさんいる中で、温かい家族に恵まれたのはありがたいことなんだなと思いました。
娘が遊んでくれる間は、一緒に過ごす時間を大事に
――本作は家族の絆を描いた作品でもありますが、大泉さんの著書「大泉エッセイ〜僕が綴った16年~」(KADOKAWA)で、ご家族とのエピソードのほか、文庫のあとがきではお嬢さんへの思いも綴っていましたね。
あとがきを書いた頃はまだ娘が小さかった時で「こんなに楽しく過ごしていても、やっぱりいつかこの子は忘れちゃうんだよね」と、当時はすごく切なく感じていたんです。その気持ちはあまり変わっていないけど、今はより焦っているかもしれないな。娘が僕と遊んで「楽しい」と思ってくれるのはあと数年かなと思うと、父親としては焦るんですよね。
この先、大学生くらいまでは親のことを振り返ることってなかなかなくなると思うし、僕の経験上でも、自分のやりたいことや友達のことに必死になるからね。だから、それを超えて親が年を取ってきた頃に「もう一度親と過ごしてみるか」っていう気持ちになるのかな。そこを抗って「中学生になってもパパと遊べよ!」と言ってもしょうがないわけなので(笑)。パパと遊んで楽しいと思ってもらえる間に少しでも一緒に過ごしたいから「夏休みにはなるべく仕事を入れないで」って、事務所の人に話しているんです。