1. HOME
  2. コラム
  3. カバンの隅には
  4. 日々は続く 澤田瞳子

日々は続く 澤田瞳子

 お気に入りの食器にひびが入り、それが次第に目立ってきた。幸い水漏れはない。すぐ捨てるのも可哀想で、いまだおひたしやサラダなどの総菜を盛り付けているが、ためしに爪で小さく弾くと、磁器とは思えぬ間抜けな音がする。やがて何かの拍子に、かぱんと二つに割れるだろう。

 先日、うっかりグラスを割った時は、後片付けに苦労した。大きな破片を拾い、箒(ほうき)で掃き、ガムテープで欠片(かけら)を集め、最後に濡(ぬ)れ雑巾でふく。その間、近寄る猫を必死に遠ざけ、電話をかけてきた友人に「後で折り返す」と言い……たった一つのグラスが割れただけで、こんなに手間がかかるものかとため息をついた。

 物語やドラマの世界では、ちゃぶ台を覆したり、誰かの顔に水をぶっかけたりしても、焦点は衝動的行為にのみ据えられ、片付けまでは描かれない。だから何かに激怒し、「ああもう!」と力任せに机の上のものを薙(な)ぎ払った時、ドラマなら次のシーンで綺麗(きれい)に部屋が片付いているが、現実にはまだ収まらぬ怒りとなんでこんなことしたんだろという後悔を抱えながら、汚れた床を一人で片づける羽目となる。「このグラス、お気に入りだったのに」「ラグの汚れ、落ちるかな」と失ったものに思いを馳(は)せ、更に後悔を強くする。

 結局、世の出来事にはすべて、それまでとこれからが存在するのだ。童話では冒険を終えた主人公たちのその後は、「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」の一言でまとめられるが、現実はそんな単純ではない。どれだけ嬉(うれ)しいことが、また反対に辛(つら)いことがあったとて、生きている限り明日は来る。日々の中で時に忘れがちなその事実は、時にとても不条理で、同時に希望に満ちている。そして人類は太古の昔からそんな変わらぬ事実を積み重ね、今、二〇二二年を生きているのだ。

 この先に何が起きるのか、それは誰にも分からない。だからこそ日々の一つ一つに目を留め、ひびの入った器を、お気に入りのラグを注意深く使い続けたい。=朝日新聞2022年12月7日掲載