1. HOME
  2. インタビュー
  3. 「ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害」猪谷千香さんインタビュー 根深く見えづらい構造、対策は?

「ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害」猪谷千香さんインタビュー 根深く見えづらい構造、対策は?

猪谷千香さん=篠塚ようこ撮影

美大生は約75%が女性、教授は男性が80%

――「ギャラリーストーカー」とは、画廊などでおもに女性作家に付きまとう男性とのことです。そもそもなぜ、ギャラリーストーカーについて取材をしようと思ったのですか?

 もともと美術が好きで、いち美術ファンでもあったんですが、津田大介さんらによる「あいちトリエンナーレ2019」の記者会見に出まして。そこで美術業界のジェンダーバランスが非常に男性優位で、女性が弱い立場に置かれていることが発表されました。薄々は感じていた違和感が、データ化されたことで確信になりました。その後、作家や監督たちでつくっている「表現の現場調査団」という団体が、表現のジャンルに関わるハラスメントの被害調査を実施して、2021年3月に会見をしました。その結果は、本当にひどいハラスメントが横行しているという、衝撃的な内容だったんです。

――表現の現場調査団が発表した「ジェンダーバランス白書2022」によると、美術大学の学生は約75%が女性なのに、教授は80%が男性です。学長に至っては9割以上が男性という状況で、声をあげにくい部分があったのではないでしょうか。

 ジェンダーバランスの偏りはとても影響していると思います。映画や演劇の世界では、これまで泣き寝入りをしていた被害女性たちが、相手を実名で自分も実名で告発する#MeTooムーブメントが起きましたが、美術業界には波及していません。人間関係がとても狭いんです。美術予備校時代から先輩後輩という上下関係があり、それが美大・芸大でも続きます。

 また美大・芸大の先生方って、教員なだけではなくて作家でもあるんです。卒業生が美術業界で仕事をしようとした時に、やはり大学の先生の影響力はとても大きくて。先生のツテで仕事を頂くことも結構ありますので、実名で声を上げづらい。実名で告発したら、その後の作家人生に関わってしまうと恐れて泣き寝入りせざるを得ず、表面化しなかったというのが大きいと思います。だから本でも登場する被害者の方は、全員匿名になっています。

――個展にやってきて「君の作品ってすごいね」と近づき、恋人のように作家に絡んでくる人を私も目撃したことがあります。これがギャラリーストーカーですよね。

 残念ながら、無料キャバクラみたいに若い女性作家に接待を求める人もいますね。ただ、ギャラリーストーカーの場合は悪意を持っているわけではない人も多くて、自分が加害をしている意識がなく、むしろ善意で作家を助けているんだって思い込んでいる。これが問題なんですよね。また、若い作家にとって、いかに有力なコレクターとつながるか、自分の作品をコレクションしてもらえるのかってすごく大切ですから、無碍にできない。そこに付け込んだコレクターが「作品を買うから愛人になれ」と関係を迫ったりするので、性被害にもつながりやすい

――権力の差から生まれるハラスメントや性暴力についても、じっくり取り上げていますね。

 美大・芸大の学生には女性が圧倒的に多いのに、大学の教授や各賞の審査員、美術評論家、キュレーター、美術館の館長も男性ばかりです。彼らが作家をピックアップする際に男性作家を選びがちという傾向があります。選ばれた作家は業界で権力を持つようになり、「選ぶ側」を男性が占めるという状況が再生産されていく。なかなか女性が選ばれたり、ポジションを与えられたりしない構造が、美術業界にはあります。

近代美術の発展の中で固定化したジェンダーロール

――権力者は男性、学生は女性が多い一方、芸術・美術のモチーフとして裸婦像がありますよね。もちろん男性の像もありますが、「平和」とか「青春」を表現するのに、なんで裸婦なのかなってずっと疑問で。

 私は昔からあれがすごく謎で、どうして街で見かける銅像は裸婦が多いんだろうと…。今回改めて調べてみると、彫刻って素材が大きかったり重かったりと力仕事なので、男性作家が伝統的に多い。そうした中で表現として、女性の裸体を選ぶことが多いのかなと。とくに裸婦のデッサンは、日本では大学の入試や教育課程で重視されてきた伝統があります。

 1889年に東京藝大の前身である東京美術学校が開校するのですが、その募集広告には「男性に限る」とありました。女性が入学できるようになったのは、第2次世界大戦が終わってから。教員は男性、学生も男性、卒業して活躍する美術家も男性という中で、日本の近代美術が発展し、男性は「描く側」、女性は「描かれる側」というジェンダーロールの固定化がなされました。その歴史ゆえに、「平和」や「青春」といったポジティブなテーマで、自分たちの理想とする裸婦像で表現してきたのではないかと思います。

――なるほど。すっきりしました! でも日本だけではなく、カンディンスキーによって抽象画が生まれる前に、独自の手法で抽象画を描いていた女性作家がいたにもかかわらず、歴史的に無視されたことに触れてますね。「美術史の表舞台に女性は皆無だった」とありますが、海外でも日本と似た状況だったのでしょうか?

 今回、本を書くにあたり何度も書店に足を運び、どんな本が出てるのか、どんな作家がいるのかをジャンルを問わず見ていたのですが、紹介されている作家は国内外も問わず男性が圧倒的に多いんです。女性も表現しているのに、どうしてこんなに男性が多いのか。そのアンバランスさに、私も驚きました。

――昔から芸術家の男性って私生活が破天荒でも、「あの人は芸術家だから」で許されてきた部分が、あるのではないかと思います。それが被害拡大につながった部分もあるのでは?

 本の中でもピカソの女性遍歴に触れていますが、仕事は一流だからと今でも評価が高い。やっと最近になって、彼のプライベートについての批判が出てきましたが、芸術家は良い作品さえ作っていれば、あとは何をやっていても許される風潮は確かにこれまであったと思います。でも今は、他人の人権を踏みにじった上に成立している表現は許されるのか、見る側の意識も問われると思います。

女性だけではない、労働の搾取も

――演劇や映画業界では、ハラスメントや性暴力をなくす動きが進んでいます。美術業界でも、変わりつつあると感じることはありますか?

 千葉市の「くじらのほね」という企画画廊が「こういう行為は禁止です」と、ストーカー対策を明文化して発表したんですね。作家にとっては安心して、発表できる場になるのではないでしょうか。禁止行為を表明するギャラリーは、大阪にもあると聞いています。変えていこうという動きは、少しずつですが生まれています。

 加害行為をしている権力者たちは、多分若い頃から同じようなことをしても、誰にも止められることなく来てしまっているのではないかと思います。でもハラスメントや性暴力はしてはいけない行為なんだと、次世代を担う人たちには意識を持って頂きたいと思いますし、「ハラスメントは許しません」というステートメントを出したり、防止策を実施したりしている美術館やギャラリーを応援するようにしていけば、変わっていくはずです。

 ただ、大学の場合は、ハラスメントの相談窓口担当の教員がハラスメントする側だったりすることがあります。そうなるときちんとした調査がされにくいので、学外の専門家を入れて、学生が安心して相談できるようにしていただきたいと思いますね。

――ジェンダーバランスやジェンダーロールはいますぐ変えられなくても、ハラスメント対策はできると思います。それには何が必要だと思いますか?

 美大・芸大の教員は作家やキュレーターが多く、卒業生にも多大な影響を与えています。その影響を小さくするために、定期的に教員を入れ替えるとか、教員として勤めている間は教育だけに専念していただくとか、そういう対策を取らない限り、今ある権力構造はなかなか変わっていかないと思います。

 また、美術業界には伝統的に徒弟制度が残っていますが、男女問わず、師匠作家の仕事を無償で手伝わされたり、口約束だったためにタダ同然で働かされたりする。そこにハラスメントが生じやすくなります。しかし、美術業界の労働問題に取り組んでいらっしゃる先生や専門家は少なく、学生は何も知識を持たないまま美術業界に放り出されています。まずはそれぞれの教育機関で、ハラスメントについてだけでなく、契約をきちんと結ぶなど、基本的な労働についての知識も教えてほしいです。

――女性だけではなく、男性も搾取される構造があるわけですね。この1冊だけでは、被害を語りつくせない気がします。

 この本を出した後、私のところに「自分もこんな被害に遭いました」という連絡を頂くことがありました。SNSでも「自分も同じような経験をしました」という声があって。本当に2冊目が必要なんじゃないかっていうぐらい、被害の根は広くて深いと私も思っています。

【関連記事】

>「ギャラリーストーカー」書評 ハラスメントの原型を明らかに

インタビューを音声でも

 ポッドキャスト「好書好日 本好きの昼休み」では、猪谷千香さんへのインタビューを音声でお聴きいただけます。